『そして私は神を続けることを誓う』 中田祐三様

 もう


 タイトルから不穏な響きが……






『そして私は神を続けることを誓う』 中田祐三様


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885226182




 くじは普通です。













 うわぁ……









 感想を全力の一言に込めました。


 春の嵐が過ぎ去ったさわやかな朝方、ネットをポチポチしながら小説を読むアラサーの全力の感想がこれですよ。

 なんだろうこの悲哀。


 短編なので、ネタバレにならない程度で手短に。


 宗教に心を奪われた妻を、監禁までして洗脳を解こうとした結果、自身が神として信仰の対象となることで妻を取り戻したその後の話です。


 そうせざるを得なかった主人公の葛藤、新たな信仰に身を費やす妻に対して、どのような感情を抱くのかは自由だと思います。


 だからうわぁってなりました。




 信仰自体は自由です。誰かの考え方を学び、自らを高めたり、理想に満ちた世界を作るために善行を摘もうとする心意気は、尊いものであるのかもしれません。


 私は基本的に神やら仏やらを信じていないというよりは、都合のいい時だけ信じるタイプなので、普段は信心深い行動や言動など一切ないです。


 人生を豊かにするために、世界を良くするために、目的を持って信仰することが重要なのであって、教えの操り人形になることが向き合い方ではないように思います。


 教えではこうだから、経典にはこう書いてあるからなどではなく、教えや一部の真理を自ら考察し納得した上で向き合うものだと思います。


 思考を停止してただ盲信する姿は、純粋に怖くて虚しいなという感想を抱かずにはいられません。


 そう考えると、怖い物語だなあと感じました。





 ところで、脳科学的に、神を信じる脳回路というものがあるようでして、どうやら人間という生き物は、非科学的かもしれなくて、ありえないかもしれない超常的な神を信じる機能が備えられているそうです。


 さらには、意識レベルというものを変化させて、認識機能が曖昧な状態になると、様々な人は広大で神秘的な川の存在を見るらしいです。三途の川というやつですかね。


 そういった概念を知っているからこそ、冥府への入り口の暗喩として川を見るのか、それとも三途の川という概念すら知らなくても、川の存在を見るのでしょうか。


 神を知らなくて、川も見たことがないという人間も同様に神を信じる概念がもともと備わっていて、意識レベルが変化した先に川を見るのであれば、とても面白いですね。


 学ばなくてももともと抱えている共通認識として、すでに神や三途の川の概念が人には備わっているのかもしれません。


 そう考えると、人が神を信じるのは極自然なことで、もしかしたらあらゆる命を生み出した神という存在は、本当にいるのかもしれないですね。


 まあまだまだ脳科学も解明されていないことはごまんとあるでしょうし、奥が深いですね。









 ちなみに今年の初のおみくじは小吉でした←一番微妙なやつ!


 しかも良いことがほとんど書いてありませんでした。


 今度どっか行ったら絶対におみくじを引きなおしてやる(根に持つ)。





63万








 次のお話はなんだろなー。













 ひかりをこえて 宵待なつこ様


 三年間眠ったままという衝撃的展開からのスタートですか。


 非常に難しい物語だと思います。


 楽しみにしています。










 次回予告











 将来の夢は自転車のサドルだと言っていたYくん。おばさんの自転車のサドルに転生をするの巻。

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