ジャズテイストで行こう! かがみ透様

 入院中の患者様にはご高齢の方もいて、今もラブラブな内縁者がいらっしゃる方がいたりします。


 面会中に嬉しさのあまり泣き出したり、いくつになっても絆があるというカップルもびっくりなほどの熱々っぷりに、病棟の看護さんたちも言います。


 あの2人みたいな夫婦っていいよねーと。


 でもそんな中、空気の読めない独身男は言ってしまいます。


 遠藤「多分なんですけど、あの2人は結婚しているわけじゃないから今でもラブラブなんですよ。夫婦じゃなくて責任も生活も別だから恋愛をしていられるんじゃないですかね?」


 何か思うことがあるのか、空気の読めない独身男に、賛同の声もあったりしました。


 で、一言。


「遠藤くん、これは結婚できないわ」



















 そ、それは的を得た意見ですね(動揺)



















 ジャズテイストで行こう! かがみ透様


 https://kakuyomu.jp/works/1177354054882913641


 すいませんくじは引かずありのままにいきます。



















 プロのベーシストを目指す奏汰かなたはバーで働きながらカクテルとジャズを学びながら、バーのママである年上女性の蓮華れんかに惹かれていく。


 一回りほど年上の女性との恋愛。


 音楽を優先し、音楽に生きる者だからこその隔たり、葛藤。


 一般人ではなく、音楽を求める者だからこそのドラマが、垣間見えます。




















 すらすらと読めることと、題材が音楽である故の専門性は武器であると感じました。


 ジャズやボサノヴァといったジャンルを聴かないのですが、小説は文字で表現しなければならない。


 読んでいる方としてもどれだけ理解できているのかは未知数ですが、知らない世界を体験できることは、わくわくすることのように感じます。


 そして、バーで働いている主人公特有の、カクテルに関する知識についても勉強できます。


 やはり名前が知っているカクテルが出てくると、そのカクテルに物語上の意味を見出したり、知らないものは知らないで面白いです。


 実際飲んだことがあるキール(ワインカクテル)とか竹鶴(ウィスキー)とかは味が想起されますね。


 ギムレットは飲んだことがあるけど覚えていないですね……甘い系のカクテルが好きな舌を持っているもんで(女子か)。キューバリバーとかわりかし好きです。


 年上女性との恋愛ということで、同年代女性とは違った味があります。それは相手の余裕(っぽさ)であったり何かを気遣うような大人的な付き合いであったり。


 大人、っぽいことを言うのです。


 音楽家には恋が必要だって。


 紛れもなく情熱を燃やせることの一つですしね、恋って。音楽を作ったり演奏したりすることも芸術と呼べるもので、状況や心のあり方が大きな影響を及ぼす分野だと思います。


 ですので、繰り広げられる恋愛模様は、ライトなノベルよりもちょびっと大人より。


 キスなんてまるでつまみぐいのような。というよりは、相性を図ったり遊んだりと、少々違った意味合いをも魅せる行為のように感じます。


 決して軽々しいものではないんです。


 浮気心と簡単に言ってしまうには、人の心は複雑すぎます。


 誰かを縛りたくないから愛していないふりをしたり。


 好きだとしても素直に言えなかったり。


 届かない想いを誰かで代替したり。


 もともと真っ直ぐなんかじゃない人の心だから、ぐねぐねと揺れている恋愛模様も見せ所であるように思います。














 読み始めたのは午前中なのですが、2章を読んでいる辺りで確信しました。


 これは読むのに時間がかかってしまうって。


 なので急遽読む順番を変えてしまいました。申し訳ないです。


 隠してもしょうがないので、素直に書きます。


 この物語のキャラクターたちの行動が、僕の主義とはまるで違っていたからです。


 率直に、受け入れ難かったからです。


 それでも、そうだとしても最後まで読みきりたかったので、次の物語と交互に読んでました。物語に入り込みすぎないことで、心の動き具合をコントロールした感じです。


 音楽家に恋愛が必要。それはそうだと思います。


 ただ、了承を得ていたとしても公然と浮気のような行動に至る所に、激しく心が抵抗していたのです。


 物語のスパイスでもあり、人生の様々な彩りであるとは、頭でわかります。こうした経験から、少しやきもきするような展開を経るからこそ、ラストが際立ちます。


 この行動やそれに至る経過が間違いだとは思いません。平然と呼んでいる愛という形は様々であり、その中に嘘や欺瞞。間違いですらも混ざっていても別にいいのです。


 いいとわかっていても、僕は多分違った主義がある。価値観は様々だと認めることはあっても、無理に受け入れる必要はないとも思っています。


 恋人がいてもそりゃ他の人にときめきを感じたりすることだってそれは感情としては当然でしょう。出会いやちょっとした味見をしてから相性を確かめてから最終的な関係に至ることも多々あります。


 それでも、僕には無理でした。


 恋人を気遣ったり強がりだとしても、誰かと恋愛をしてもいいよなんて言いたくないし言われたくもない。


 気遣っているつもりが、最大限の相手への否定のようにも思えるから。


 そんなことを言っている僕は、まあこの歳になってもなんとピュアなんだろうと自嘲が漏れてきますよほんと。


 経験を重ねれば色々なことが寛容になったりします。心が揺れ動くことも、徐々に少なくはなってきます。


 大人として言わなきゃいけないっぽいことも、大人みたいに言えるようになったりもします。


 大人になっても、でも結局は自分は自分なので、やっぱり受け入れ難いことがある。大人である前に人間なのだから。


 で、理解できないし今のところあまり理解に至るようなことはなさそうだからこそ最後まで読みたかった。


 自分のわからないことを、せめて少しでもわかる努力だけでもしたいと思ったから。


 誤解しないで欲しいのは、これだけ心が揺り動かされるということは、間違いなくおもしろい。


 なんだかバラバラで見えなかった気持ちが、徐々に真っ直ぐへと固まっていく様子を見てみたい方にとって、絶対におもしろい。断言できます。


 間違いや紆余曲折は成功への道なのですから。


 それで、最後まで読みきれて、本当に良かったです。


 期待通りの、いいラストでした。



















 愛ってなんだろうという問いについて昔は考えたことあるけど、今だったら「そんなもん知らない。人それぞれ」だと思っている。


 単純接触の原理って心理学にあるけれど、要は会えば会うほど、人となんらかの形で関わったりすればするほど相手に対しては好意を抱くというもの。

 もちろんそこにはなんらかの強烈な悪感情があれば話は別だけど、関わりがない人よりは関わりを持った人の方が間違いなく大事。写真を何枚も見せてみて、その写真に映った人物の好感度を数値で表現するっていう実験があったそうだけど、写真を見せる回数はランダムで、特定の人の写真を何回も見せたりした。

 すると、何回も見せた人の写真の人物に、好感度が高くなる傾向がわかった。多く認識することって、人間関係を作る根幹なんだと思う。人は仲良くなるから会うんじゃなく、会っているから仲良くなっていく傾向がある。


 人と人とが親密になる方法の一つに、相手に触れるということも手段の一つだ。もちろん嫌悪感を抱かれていないことが条件だけど、相手に触れるという行為は、体に作用を及ぼす。オキシトシンだったかな。女性が主に出るホルモンで、母性ホルモンと呼ばれているものだったかな。触れるという行為に対する化学反応で、男性だろうが女性だろうがそこに親密さを感じさせる物質が分泌される。脳内物質の作用で起きた反応の結果を感情と呼ぶのかもしれない。となると、感情は行為の相互作用による結果。脳内物質に踊らされている。性行為なんかは、とてもたくさん分泌されるとのことだ。どれだけ理性で割り切っていても、情が湧くというのはそれのせい。


 感情には幅がある。いいことをプラスの感情、悪いことをマイナスの感情と考えるて、たとえば好きな人に対する感情を+100、嫌いな人に対する感情を−100とする。好きで嫌いでもなければ0。

 好きでも嫌いでもない人を好きになると0から100へ。感情の動きは+100。

 でもなんらかの作用で嫌いだった人を好きになろうものなら−100から+100へ。その差はなんと+200だ。そう考えると、初めは多少嫌われていた方が、もし感情が反転した時には普通以上に好きになってしまう。不良が子猫を拾っている姿をみて好感を抱いてしまったら、上がり幅がとても大きい。だから漫画やドラマなんかでもそういった展開って盛り上がる。ツンデレなんかも、相手の態度から簡単に−から+を体験させるから、人気があるのかもしれない。


 直感的に人を好きになるか嫌いになるかの一説には、遺伝子を表現するフェロモンが関係するらしいときいたことがある。そのフェロモンが表しているのは、その人の情報だ。中でも、この人がどんな遺伝子を持っているのかということがわかるらしい。で、例えば犬なんかだと、血統証付きの純潔よりも雑種の方が生物としては強いと言われている。純血種はチワワにはチワワのみの遺伝子しか受け継いでいないけど、雑種は様々な遺伝子を受け継いでいる。激しい環境に耐え抜いて受け継がれてきたものがあるから、病気にも耐性を持っていたりする。

 フェロモンで遺伝子情報がわかるのであれば、惹かれる要素はどんなものか。それはどうやら、自分とは違った遺伝子を持っている人に惹かれやすいようだ。自分の持っていない強みを、子孫に与えることができる可能性が高いから。比較的に近親者と結婚していた時代の家系では、生まれてくる子供の顔は似たようなものになるのは、ほかの遺伝子が混ざらないから。ちょっとした余談で、子供が異性の親に恋愛感情を基本的に抱かないのは、一定の年を重ねると近親者の発するフェロモンに嫌悪感を抱くようになるときいたことがある。思春期に親を嫌うことになる理由の一つには、こういった事情もあるのかもしれない。


 恋愛っていうのは、いわゆる自然淘汰の一環のようにも思える。より強い遺伝子に惹かれて、より強い子孫を残す。そして、子孫を立派な形に育て上げることが生物としての目標のように思う。そう考えると、第一条件にはより人間として優れていると思われる相手であること。第二条件として、その後の生育環境が盤石そうであること。原始時代であれば危険から身を守る身体の強さが重視されたのかもしれないが、現代での指標はやっぱり経済力。少なくともお金があるのであれば、子育ては格段にしやすくなるからだ。優れている可能性の高そうな芸能人やスポーツ選手、経済力が豊かそうなお金持ちに女性が惹かれる可能性が高いことは、否定できない。男としてはおもしろくない、人間は中身だという主張もあるかもしれないが、感情を切り離して生物としての役割を考えるとそれは当然であるように思う。だから、残念ながら優れていないと判断されるものは男女ともに子孫を残せない可能性は高くなってしまう。恋愛競争に勝てない可能性が高いから。


 でも人間には知恵がある。道具が使える。言葉で、行動で、相手に好意があると伝えることができる。はなから一目惚れで好きになることもあるかもしれないが、どちらかと言えば、相手が自分のことを好きだから、相手を好きになっていくように思う。人間だけではないが、生き物はわからないことは苦手だ。わからないものは自分にとって有益なのか不利益になるのかすらわからない。恋愛なら、叶うかどうかなんてわからない。でもたとえ嘘でも軽口でも好きだって言われたら、それを信じてみたくなる。そして好きだと言うことが本当であれば、裏切られて自身が脅かされる可能性は低く感じる。相手の感情がわかると、少し安心するわからないよりは。もしも言動を嘘だと思っても、繰り返されると信じてしまう。感情も記憶も曖昧なものだとどこかで自覚しているから、嘘でも繰り返されると信じてしまうことがある。そこまで言うんだったら、本当なのかもしれないって。実際にこういった実験があって、嘘を教えられた人は過去に見た光景と違う光景を教えられても、言い続けられると嘘の光景の方を信じてしまう。だから、好きだ好きだって示し続けることは、恋愛上の戦略であると思う。

 ツイッターだかどこかであがっていたらしい漫画で、同じ相手に何年間も好きだと言い続けて、ずっと好きな人がいるって断られ続けていたが、ついに相手が想いに応じてくれたという内容だった。たしか純愛だって絶賛されていたけれど、なるほどなあって思った。戦略的な粘り勝ち。


 浮気や不倫なんていうものは、ある意味では理にかなっているとも思う。男性にとっての本能は、より子孫を残すことらしい。パートナー以外の異性に惹かれるのも、本能に従ったものだろう。男性には生物的なリスクは少ないのだから。

 女性の場合は、パートナーにはない優れた何かを持っている人に惹かれるのかもしれない。自分や子供を守ってくれる力のあるものが増えるのだ。良い条件であれば、鞍替えすることもあるのかもしれない。

 もちろんケースは様々で、ただ単に今のパートナーでは自己承認欲求を認められていないからかもしれない。肉体的にも精神的にも、今の相手では満たされていないかもしれない。まあ満たされることなんて、それこそないはずだけど。感情や満足も消費されていくから、それこそ満たされることなんて瞬間的にはあっても、継続的には絶対にないように思える。永遠の愛というものはとてもとても可愛らしい言葉だと思う。

 人間は理性を持っているかもしれないが、そもそもの根本は本能に従った生き物であると思う。時に社会的立場を考えずに間違いを起こすのは、より原始的な本能だったり、理性を上回る利己的な考えだったりすると思う。


 人間は理性を持っていても、結局は本能を司った動物であるという前提は、そうも間違っているものではないはずだ。




 よくもまあこれだけ夢のないことをわかった風につらつらと書けるものだと自分でも笑ってしまうよ。


 こんだけ意味不明かつ怒りを買いそうなことを書いてきたかと言うと、それでも言いたいことがあるからだ。


 恋愛は生存競争の一環で、より良い子孫を残し育てる動物的本能だっていう考えはわかる気がする。どんだけ理性なんてもんがあっても、やっぱり本能には逆らえない者もいたりする。

 恋愛は化学反応。




 それでもさあ、愛なんていう幻想を信じてみたくなるじゃん。




 小説や漫画や音楽や絵や、なんらかの物語で表現して、その幻想を尊いなんて抱いてみたっていいじゃんか。


 実際にはほとんどありえないような美しいものに惹かれたっていいじゃん。


 ぶっちゃけこの物語の途中はほんと受け入れ難すぎてぶん投げようかと思ったよ。でもそんな理にかなわない部分を表現できるところが創作のいいところだ。


 お前らあんだけ色んな人を引っかき回しておいて最後は純愛貫くぜなんてそんな都合のいいことあるわけねーだろと思う部分はあったよ。こんなんじゃ今はハッピーエンドでも描かれていない将来のどこかで今度こそ取り返しのつかない間違いを起こすんじゃねーかって邪推しちまったことも事実だよ。


 でも、別の窓から他の自分も顔を出すんだ。


 ありえないかもしれないけど、それでもいいじゃん。気持ち良く終わってもいいじゃん。都合のいい言葉で最後を美しく飾ってもいいじゃん。


 だってこれは物語だから。


 夢や理想や御都合主義を貫いて、あー良かったって終わる。最高じゃないか。


 アジアンカンフージェネレーションは、『新世紀のラブソング』で愛をこう言っていた。


 確かなものなど見つからない。言い当てる言葉も見当たらない。それでも僕らは愛と呼んで、不確かな思いを愛と呼んだ。


 天野月子は、『鮫』で愛の大きさの反転は憎しみの大きさだということを、鮫に例えて語る。


 惜しみなく、愛して。惜しみなく、憎んであげる。降り積もる、水の重さごとあなたを潰しましょう。

 この胸に走った、痛みなどえぐってあげる。鮫のように、急カーブきっていく、私をどうか笑って。


 ラッドウィンプスは、『ふたりごと』で愛をひたすらロマンチックに語る。


 君と書いて、恋と呼んで。僕と書いて、愛と呼ぼう。そうすりゃ離れそうもないでしょ。いつかそんな歌作るよ。


 愛の形はそれぞれで不条理だ。納得いかないこともあるけれど、それでも夢のあるもんだって、言ってもいいんだと思う。




 どんだけ知識を重ねても、なんらかの経験を積み上げても、それでも人は間違える。理解できなくて成長できないこともいっぱいある。


 でもそんなところがきっとおもしろい。


 こんだけ色んなことを言いたくなるくらいに少なくとも考えさせられた。正直自分の嫌いなタイプの物語に向き合ったから考えられた。


 もしかしたら一生理解出来ないものであるのかもしれないけれど、こういった愛の形があってもいいんだって思えた。


 だから、読めて良かったです。


 ありがとうございました。



















 7287000



















 次回予告
















 恥ずかしくなってこの記事消したらごめんなさい。







 追記(書き忘れ)


 ピクミンたちは、「愛のうた」でこう語っています。


 ぼくたちピクミンあなただけについていく


 今日も運ぶ、戦う、増える、そして、食べられる








 愛って儚い。

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