生きる悲哀と臨床家 神木 清隆様
当直明け、疲れ切って帰ってきた自宅には
Bigプリンがありました。
一個のプリンでお幸せ。
生きる悲哀と臨床家 神木 清隆様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882784960
困っています(困りスタート)。
その理由としては色々あるのですが、うまく言葉に乗せられそうにないです。
(作者様はこの物語はフィクションだとはっきりとおっしゃっているわけだし、ドキュメンタリー風の小説としてみることが、読者の姿勢としては適切なのかもしれない。けれども物語の人物の心情は一人称の特有性の効果かもしれないけれど、あまりにも主人公の心情によりまくっていて、印象としては私小説だったりエッセイといった感覚を、非常に強く感じたんだよなあ。もちろん誰も彼も小説を書く上でリアルに沿った出来事を採用していくものだとは思うけれど、フィクションというにはあまりにもという感想が出てくる。作者様の名前と物語の主人公の名前が一致していることに意味を見出すとしたならば、物語の登場人物として、カクヨム上でロールプレイをしているということなのだろうか。ただ実は逆の場合であるならば、感想を書くことが非常に難しいぞ。物語の主人公の行動や思いについて逐一触れてしまうことは、作者様の心を直接突き倒すことになりかねないかもしれない。ああどうすればいいんだ。ええい、いつも通り敬意を払いつつ率直に感想を述べるしかないだろう。今までだってそうしてきたはずだ。たとえば君が傷ついて、くじけそうになった時は、必ず僕がそばにいて、支えてあげるよその肩を!←いきなりbelieve歌ってんじゃねえよ)
それでは、いつも通り素直な感想でいきますよー(しれっと)。
ただ今回は本当にふざけるような内容ではないので、普通に感想を書きます。
あくまでこの物語を、小説であるという視点での感想を書かせて頂きます。
臨床心理士である主人公は、発達障害を抱えています。
名前は聞いたことがある方も多いのかもしれませんが、実際どのような障害なのかというと、ピンとこない方が多いのかもしれません。
本当に正常な発達を完璧にしている方のほうが、むしろ稀なんじゃないかと思いますが、成長とともに発達した部分のバランスが歪といったイメージです。作者様が凸凹と書かれている通りに思います。
大まかな特徴の一つに、融通が利きづらいという部分があるように思います。一つのやり方に拘ったり、こうと信じたこと以外はすんなりと受け入れられなかったり。全ての人が完全に同じ様相を見せるわけではないのですが、曖昧な思考が苦手だったりすることも考えられます。
本当は良くないことであるけれど、社会において黙認されていることが許せなかったりします。極端な例で、歩行者信号を無視することって、周りに人や車がいなかったら、ついついやってしまうこともあるものですが、普通にいけないことですよね。いけないことだとわかっていても、悪いこととしての規模が小さく、罰せられる可能性も低いという打算的な理由もあり、ついついやってしまう人もいると思います。私はやりませんが(いい格好するな)。
しかし、許せないのです。黒か白かの偏った思考が見受けられることも多々あります。
で、発達障害であることが悪いことではないのです。
そのような特性を持って成長してしまっただけで、良い悪いの問題ではないのです。でも、発達障害を抱えた方って、社会の中では生き辛いことが多いのです。
小説の中では、主人公の一人称で、内容はほぼ完全に主人公、神木の思考と事実的な出来事の説明です。小説としての示唆的な、もしくは暗喩的な文学表現はほとんどないです。だからこそのドキュメンタリー風なんだと思います。
臨床心理士として、神木は非常に熱心です。たえず勉強を怠らず、児童養護施設に入所している子供達に、全力で向き合う姿勢が見て取れます。あまりにも眩しいくらいに、頑なに真っ直ぐです。
現実にありえそうな施設の問題として、職員でありながらも臨床心理や精神医学に関する、もしくは発達心理学などの専門知識をまるで習得していない状況が語られています。悲しいことに専門的な施設の職員だからといって、みんながみんな熱意をもって研鑽を重ねているわけじゃないというところが、非常にリアルです。リアルすぎると言えます。
神木はそういった現状を嘆き、なによりも子供達のために、施設の職員意識を改善しようとしたり、問題を抱えているように感じる職員に、対処法や知識を授けようとします。
もちろん無策に行なっているわけじゃなく、ちゃんと自らの行うことの意味や効果を考えた上で行なっているのです。
その行動は、確実に賛否両論を生むだろうなあと、読ませていただいて思いました。
良い悪いの二択だけで、世界が回っていかないのですから。
胸をうつリアルに、奇跡のような治療を行える橋田先生。心理療法や障害に関する知識などもこの物語のウリとして感じますので、少し発達障害や精神疾患、児童発達などについて興味があるということであれば、ぜひとも一読することをおすすめ致します。
私はこの小説を読んでいて思ったことを、正直に述べようと思います。それこそがこの企画の意義の一つです。
ドキュメンタリー、あるいは私小説やエッセイのように感じた理由として、物語の展開に、全体の流れとしての意図が少ないように感じたからです。
物語って、作者が好きなように書くものだと思うんです。このキャラクターを活躍させたいから、悪役を作ろう。ライバルを作ろう。命の大切さを伝えたいから、病気のキャラを書こう。何らかの意図を込めて物語って作られるように、私は思うのです。
けれども、この物語の展開は、神木の出来事に対する思いや行動のみで、その結果がフィクション小説的な、わかりやすいカタルシスを生む場面が非常に少ないです。
あまり知識のない先輩、優しいけれど施設の現状を完全には改善できない園長、障害を抱えているように見受けられる同僚。これだけの材料が揃っていれば、物語の方向性が一つ決まっていくように思います。
入所している児童たちから徐々に認められ、たまに失敗をしながらも味方が増えていき、施設全体の建て直しを図ろうという、前向きなサクセスストーリー。王道の展開です。
けれども、その溢れる問題には少し触れて終わりといった印象もあって、問題は問題として存在しているまま、決定的な解決に至るわけでもない様が、非常にリアルすぎるのです。
もちろん入所している子供達に神木の心理療法を駆使し、良い結果を生む展開もあります。そこは意図的に感じるのですが、カウセリングをしてもらう先生が変わっていく様と、その方々に抱く感想については、意図的な物語として作ったというよりは、体験した出来事を重ねているだけという風に私は感じてしまい、限りなくリアルに思えるのです。
ドキュメンタリーや私小説と呼ばれる類のものはほとんど読んだことがないからこその感想なのかもしれません。
そして、発達障害である神木の、特徴的な行動が本当に発達障害のキャラクターに相応しい考えや行動が見受けられるのです。もし完全にフィクションで神木が生まれているのであれば、素直に平服です。
けれども、おそらくある程度体験や起きた出来事が下地になっているように思えるのです。
そういったところが、フィクション小説としてのイメージとは少しズレているのかもと、感じました。
そして、神木の思考や行動、魅力的なキャラクターのやり取りが武器なのですが、ただ単に私の好みとしての、キャラクターの心情や物語の色を塗るような、比喩的な表現。情景の描写。他のキャラクターのバックボーンなどについての部分が、薄いように感じたことは事実です。
フィクションだから。リアルではないからこそのご都合的なこと。逆に全く救いもないような、感情を揺さぶる残虐な世界。そんなフィクション小説の自由な翼という面では、物足りない部分もあるように思います。
けれども、この物語はこれでいいのです。
内容も扱うテーマも主人公のキャラクターも表現も非常に特徴的で極端です。
そういったところが好みに合うかどうかの問題なのです。
非常に密度の濃い時間を、ありがとうございました。
うちの病院にも橋田先生と神木くんをいただけないかな(ボソッ)。
約13万
今までの中でも、ぶっちぎりで感想を書くことが難しかったですが、次にいきましょう。
えーと
胎動
躯縲都幽冥牢(くらつ・ゆめろう)様
短編ホラーですか。
弱った普段読まないぞ(汗ダラダラ)。
とはいえ、また読んで感想を書きます。
次回予告
「ま、まって!
そのすね毛で何をするの!?」
絶対見るナリよ
(本当に何をするんだよ)
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