第1話 継続性の原則④

 午後二時。

 新宿繁華街の路地裏。

 耳を覆いたくなるような怒号が飛び交っている。


「やっぱり荒い」


 スーツが遠巻きに見ている。


「おーやってるやってる」


 蘇合は物見遊山のような気分で眺めている。


 いかがわしげな内装の狭い店内で厳つい男たちが暴れている。

 怒鳴り声と店内に並べられている商品がそこら中に散らばっていく音が響く。


「楽しそうじゃねえか」

「そうは見えない」


 スーツが首を右に傾げる。

 店内で暴れている彼らは実際には捜査、摘発しているはずなのだが、野次馬からしてみれば、抗争か強盗にしか見えない。


「よし、行くぞ」


 蘇合が店内に入ろうとして、案の定店の前で見張りをしていた二人の男に止められる。

 格闘技でもやっているのか、屈強な男たちは、蘇合でも押し返せそうになかった。


「なんだお前ら」


 着ているスーツが筋肉で弾けて破れそうな男が二人に強い口調で言う。

 柄がよいようには見えない。

 新宿の繁華街でもほとんどの人間が避けて通りそうな、そんな男だ。


 堅気とは思えない。


「やめてくれ」


 スーツが不平を言った。


 蘇合に一人が対応している間に、もう一人がスーツに背後から忍び寄り、羽交い締めにしていた。

 摘発中の店の関係者かもしれないので逃がさないようにしたのだろう。


 蘇合が腰ポケットから手帳を出す。


「捜査協力だよ」


 腰のチェーンで繋がれているため、ジャラジャラと音がした。


「お前がそうか。タレコミもそっちからあったみたいだな、助かるよ」


 一転して蘇合を押さえていた男の口調が弱まった。


「まあ、たまたま別件で引っかかっただけだ。俺たちはケンカは得意じゃないからな。そっちはほら、マトリの専売だ」


 マトリ。

 厚生労働省に所属する、締官の俗称だ。


 マトリは警察官ではないものの、特別司法警察職員であり、麻薬取締や薬物の犯罪捜査をし、容疑者を逮捕することができる。


 ミイラ取りがミイラになるというが、柄が悪い連中を相手にするうちに、自らもそちらに染まっていくのだろう。


「そっちは、確かにそうだな。ケンカができそうには見えない」


 マトリが蘇合の連れの細いスーツを見て言った。


「ああ、後ろのもだ。離してやってくれ」


 蘇合に言われてマトリから離されたスーツが、掴まれていたスーツの肩の部分を丁寧に払って、皺をなくしている。


「中に入るぞ」


 蘇合が一応の確認をして、マトリがうなずいたのを見てから二人で入る。

 店内は香が焚かれているらしく、スーツの鼻を奇妙な臭いが過ぎていった。


「下品な臭いだ」

「葬式みたいだな」


 身も蓋もない感想を蘇合が漏らす。


 マトリが散らかした店の中央に、正座させられている男がいた。

 床には香やら乾燥した草やパイプが散乱している。

 男は髭を生やし、ヒッピーのような服装をしている。

 どうやらこの男が店長らしい。


 蘇合が膝を曲げて、店長と顔を合わせて、ニッと笑った。

 そしてそのまま、勢いよく襟元を掴んで引き寄せた。

 二人の顔の距離は五センチほどで、お互いだけに表情が認められる。


「売り上げは?」


 男はぶんぶんと首を振る。


「売れてねえの? じゃあ、『在庫』が余ってしょうがないだろ、口いっぱい食べてみたらどうなんだ? あ、観賞用なんだっけか?」


 これでは脅迫をしているかのようだ。

 場にいたマトリの職員も少し引いている。


「今朝方お前の口座は凍結したぞ。残高は1千万しかなかったがな」


 犯罪に利用されたと疑わしき銀行口座は、届出をすると利用不可の凍結状態になる。

 銀行も犯罪に使われているという批判を恐れてか、最近は素早くロックするようになった。

 疑わしき、のため、実際に頻繁にやり取りをしているだけの無実の口座もアルゴリズムでロックしてしまうケースも頻発している。


「他の金はどうした? 裏カジノでスッたか? 違うだろ? ああ?」

「け、け、競馬に使った!」


 これは横領やマネーロンダリングを行った人間の常套句だ。


 競馬、競輪、競艇、オートレースという公営競技は、多額の金額が動きながら、コンピューターから購入したものでなければ個人が特定できない。

 詐欺師、横領犯が大金を得て使う先でもあるし、『使ったことにする』先でもある。


 これらに使ってしまって金はなくなった、というごまかしをするのだ。


 同様にパチンコ、パチスロもあるが、最近は長時間遊べるように玉やメダルの単価が下がっていて、一気に大量の現金を使う、使ったことにするのは厳しくなっている。


 天井から垂れ下がっていたどこの国のものともわからない刺繍がされた天幕を見ていたスーツの男が口を開く。


「東京競馬?」


 意味が取れなかったのか、店長はぽかんとして、それから、


「そ、そうだけど」


 と答えた。周りのマトリも今その確認が必要か、という不思議そうな顔をしている。


「東京競馬場、一月三十日、第一レース、三連単、2︱15︱7。第二レース、6︱12︱3。第三レース、6︱8︱2……」


 何も見ず、スーツの男は東京競馬場のレース結果を羅列していく。


「三十一日、第一レース……」


 十二レースまで言い終わると、翌日の東京競馬場の結果を言い始めた。

 淡々と言い続け、表情も抑揚の変化もない。


 男の奇妙な行動にただならぬ空気を感じたのか店長が青ざめ始める。


「証拠、証拠はある!」


 店長はカウンターの引き出しを指さす。


「確かに、ありました」


 マトリの一人が引き出しから輪ゴムで留められた馬券の束を出す。

 店長はほら見たことかと二人を見た。


「事実でしょうか」

「売り上げを競馬に使ったかって? はは、馬鹿な話だ」


 マトリが心配そうに二人を見るが、蘇合が笑う。

 スーツの男が冷静に、首を横に振ることなく否定する。


「そんなわけはない」

「わざわざ持って帰る馬鹿がいるかよ、その場で捨てるだろ。当たっていたって、引き替え期限は60日以内だから、普通は引き替えて帰る。金を使った証拠に馬券を持って帰ろうって考えが浅知恵すぎるぜ。沈水じんすい、情報はあるか?」


 蘇合が天井を見ながらイヤフォン越しに質問する。

 十秒ほど経って、蘇合の携帯電話が振動する。

 ディスプレイに文字が表示されていた。


『ヒットした。外れ馬券を買い取ると声をかけていた不審な連中がいたらしい。売った人間も見つけている』

「サンキュー」


 スーツの男が馬券の束を左手で持ち、トランプを切る前に確認する人のように右手でパラパラとめくった。


「現金換算で1315万700円だ」

「ふーん」


 こちらは先ほどと違い、イヤフォンから声が聞こえた。


『今のところ、銀行口座、証券口座にそれらしいものはありませんでした。架空名義の口座の可能性は否定しきれません』


「零陵さん、ありがとうございます」

「こんな手口を使うようなら架空口座の線は薄そうだな」

『古物商と接触した形跡もありませんでした。高額品の購入はないようです』

「貴金属でもなし、か」


 小さくて交換性のある物品といえばまず貴金属が当てはまるが、その可能性は薄そうだった。


「あの、どうしてそう思うんですか?」


 筋骨隆々のマトリが小さな声でスーツに聞く。


「犯罪収益移転防止法。貴金属等取引業者から貴金属を購入する際、二百万円超の現金取引なら個人の証明書が必要になる。業者も本人確認しなければいけない。表立って出せない金を使うのに、リスクを背負って本名で買うとは考えられない。もちろん、他人を使って買わせる方法はあるから万全の策ではない」

「はあ」


 淀みなく説明するスーツに、マトリはわかったようなわからないような曖昧な受け答えをするが、スーツは気にしていないようだ。


「貴金属は、金、白金、銀、これらの合金、ダイヤモンドその他宝石類、真珠、これらを利用した製品だ。書類の保管期間は七年。それ以外に、犯罪収益に絡む現金である疑いがあるケースもだ」

「ええ、ああ、わかりました」


 正規の業者であれば、免許を失いたくないのでこれには従っている。

 あとはモグリで売買している輩であるが、まだそこまで捜索はしていない。


「どうだ、うちのは面白いだろ」


 蘇合が茶化して、マトリが愛想笑いを浮かべる。


「ええ、はあ」

「それじゃ、あとは債券ってのもあるか」


 捜索はマトリに任せて、二人は店内を物色する。


『観賞用』と書かれている乾燥した草のパッケージを蘇合が拾う。


「観賞用ねえ、カラッカラの草をどう観賞しろっていうんだよ、なあ」


 危険ドラッグは店側はあくまでも『吸引用』ではないという名目で売っている。

 購入した人間が『誤った』使い方をしても責任は取れないという理屈なのだ。

 結果的に、『観賞用』などというポップがついて売られることになる。


「他人の趣味はそれぞれだ」

「お、今のはジョークか? いいねえ」

「ふん」

「エリート、クスリはやらないのか?」

「やらない」


 素っ気なくスーツが即答する。


「そっか、健全でいいねエリートは。天然でバグってるんだな」

「その言い方は気に入らない。蘇合は?」

「若い頃に試したことはあるが、別にいいもんじゃないな。売りはしてないぞ、そういうのは好きじゃない。しかし、最近はどうもヤバいらしいな」

「どういうことだ?」


 スーツが聞いた。


「俺もあんまり詳しいことは知らないが、こっちの方がマズいって聞くぜ」


 蘇合は手に持った『観賞用』の袋を耳元で振りながら、入口で客が入ってこないように見張っていたスキンヘッドのマトリの一人に視線を向ける。

 彼はうなずきながら二人に話しかける。


「昔からあるヤツは、大体効果も中毒性もわかっているんですがね、最近のは成分が色々混ざりすぎて、何が起こるかわかんないですよ。それこそ少量で、依存する前の一回目でお陀仏しちゃうパターンまでありますし、ハーブだかお香だか知らないけど、こんな店で堂々と買えるようにしてくれちゃって」


 厳つい風体の割りには気さくな話し方だ。

 舐められないように外見を気にしているタイプなのかもしれない。


「いたちごっこってヤツか」

「そうですね、包括指定って言って、色々薬物まとめてアウトにしているんですけど、全然ダメですね、新しいヤツはいくらでも出てくる。もう指定薬物も二千種類を超えたんですよ。覚えるのも限界って感じですね」

「効果がわかっている大麻の方が安全ってわけか」


 冗談とも取れない蘇合の言葉に、マトリが苦笑する。


「私の口からはとても安全とは言えませんね」


 マトリは厚労省の公務員であり、その指示に従っている。

 アメリカでも限定的に解禁されつつある大麻だが、日本では法で規制されている以上、たとえ思っていたとしても肯定的な発言をするわけにはいかないのだろう。


「あったぞ!」


 奥から別なマトリが紙束を抱えて持ってくる。


「株券みたいです。確認しますか?」


 マトリが百枚ほどの紙を蘇合に渡す。


「ああ、これは参ったな」


 すぐに蘇合が嘆息する。

 背後からスーツが覗き込んだ。

 彼には見覚えのある紙で、蘇合がぼやいた意味がわかった。


「ああ」

「そうだよ、俺たちが先月未公開株詐欺で挙げたグループの偽造株券だ」


 A4の株券の束だ。どれもナンバリングがされている。


「わかるか?」


 蘇合はスーツの前で紙をパラパラとめくりながら確認をさせる。


「抜けていた番号だ」


 一回見せただけで、スーツは躊躇なく答える。


「回収しきれなかった分か」


 株式会社の株券は、その名の通り、会社の所有権を細切れにしたものだ。

 発行済みが百株なら、一株につき、百分の一の権利を持っていることになる。


 証券市場に上場している会社の株は、2009年にペーパーレス化として電子化されている。

 それ以降は紙での発行がされないことになっており、所有者も証券会社によって把握されている。

 紙の株券は、株券そのものには所有者の記名がされていない。

 相続等によって行方不明になることもなくなっただけでなく、紛失や盗難、偽造株券の心配もなくなった。


 それによって上場会社の株で詐欺を働くことは難しくなった。


「えーと、ということは、どういうことですか?」

「ただの紙くずだ。こいつは偽物だよ」

「えっ」


 マトリの質問に答えた蘇合に反応したのは正座をしたまま小さくなっていた店長だった。

 顔を上げて、蘇合を見ている。


「こ、これはもうすぐ上場するって。手堅いって」

「全部嘘だ。こんな会社は存在しないぞ」


 上場していない、いわゆる未上場会社については、これまで通り紙の株券のままでよいことになっている。


 そこに詐欺が入り込む余地がある。


 これから上場する予定だ、上場すれば値上がりする、そういう触れ込みで、将来性のないクズ株や、偽造株券を売り渡す詐欺が頻発するようになったのだ。


 売る方もすぐには引っかけない。


「だ、だって、欲しいって、買うヤツがいるって」


 店長はなおも抗弁する。自分が騙されていることを認めたくないようだ。


「転売してほしいって、買う前に電話か何かがあったんだろ?」


 蘇合の質問に店長は大きくうなずく。


「それが手口なんだよ」


 蘇合が左手を耳に当てて、電話をしている素振りをする。

 まず買いそうな人間に電話をかける。

 上場予定の株券を買わないか、と持ちかけるのだが、ここで買う人間はいない。

 一本で数百万だ、何倍も値上がりをすると言われても、おいそれと出せる金額でもないし、詐欺だと、事実詐欺なのだが、そう思われてしまうだけだ。


 しかし数日後、また電話がかかってくる。

 今度は別人で、別な組織だ。

 蘇合が警察署でやったのと同じように慣れた口調で詐欺の真似をする。


「『我々はこういう株券を探している。我々には買う伝手がなく、伝手がありそうな特別な方に電話をしている。もしあるなら一割増しで買うから、手に入ったら教えてほしい』どうだ?」


 次に購入しないかと再度電話が来て、振り込んだら最後、もう買いたいという電話はかかってこない。

 かけ直しても繋がらない。

 多くはそれで騙されたことに気が付くが、この店長は株券は正当なもので上場されることを信じていたのだろう。


 『特別感』を煽ること、『感謝』されること、それに『手間の少なさ』を合わせて、引っかかりやすい手口だ。


 ネットオークションが一般にも広まり『転売』という言葉が日常的になったことも大きい。


「上場を待っても良し、転売しても良し、絶対に損はしない、そんな気持ちだったか?」


 ぶんぶんと店長が首を縦に振る。


「まあ、よくある手だな、同情するぜ。なんて言うとでも思ったか? 脳みそスカスカにしながら、他人の脳みそもスカスカにしたことでもムショで反省してろ」


 蘇合が持っている鞄にぞんざいに偽造株券を詰め込む。


「ここには金がない。俺たちの出る幕はもうないな。一応こいつは預かっておこう」

「次」

「研究所だ」

「相手は独法で、こっち側は検査院か。今度は上品に違いない」


 残ったマトリには目もくれず、二人は去っていく。


「いい加減昼にしようぜ」

「別にいい」

「あっそ」




「嵐のように来て去っていった」

「手際が良すぎる」

「専属にしてくれないですかね」


 取り残されたマトリが口々につぶやく。

 捕まっている店長以下従業員ですら、その素早さと解決の速さに放心しているようだ。


「で、あいつらなんだったんですか?」


 それに対して現場の指揮官が答える。



「銭の亡者だ」

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