第三話 キャッシュフロー計算書③


 一時間ほどのセミナーが終わり、三々五々参加者が帰っていく。


 参加者は帰りがけにパンフレットのようなものを手渡されている。

 話のベースは最初に話していた過去の認識を変えることで、未来に変化を及ぼす、というものだった。

 あとは緩急をつけ、似たような内容を繰り返し、印象づけていたにすぎない。


 ある者は感銘を受けているようで顔つきもやや興奮を示しており、またある者は懐疑的な面持ちをしている。

 これから前者だけが何らかの拠出をしていくのだろう。


 会場に集まっていた人数は四十人ちょっとだ。

 例の『必勝法詐欺』と同じく、このうち一人か二人にでも信じさせることができれば、このセミナーの目的は果たされたと言えるのだろう。

 表情には出さないものの栴檀と蘇合は当然後者だった。


「くだらなかったな」


 蘇合が会議室を出るなり、栴檀にだけ聞こえる小声で言った。

 声には出さず、栴檀もうなずいて同意する。

 牛囃がやったあのくだらない手品のトリックも栴檀は一度見ただけで見破っていた。


「鈴木様でございますね?」


 エレベーターに蘇合と乗ろうとしたところで鈴木こと栴檀が呼び止められた。

 鈴木という名前をすっかり忘れていたので、一瞬対応が遅れてしまったが、話しかけてきた女性には気が付かれなかっただろう。


「はい」

「代表様がお目にかかりたいとのことです」


 信者と思しき女性は、幸福が顔に貼り付いているかのような笑顔をしていた。

 栴檀を連れてくるために牛囃と会話できたことが心底嬉しかったのかもしれない。

 蘇合と栴檀は怪訝そうに顔を見合わせる。


「どのような用件ですか?」

「いえ、そこまでは……」

「そうか」


 そうして二人は揃って歩みを進めようとしたが、


「あの、申し訳ございません。鈴木様お一人をお呼びするようにと言伝されましたの

で……」


 と、本当に申し訳なさそうに彼女が蘇合に向かって言った。


「大丈夫だ」


 ついて行かなくてもいいのか、という目線に栴檀はうなずく。

 もう少し粘るかと思ったが、蘇合はあっさりと引き下がった。


「俺は俺で、ちょっとやることがある。あとで玄関で落ち合おう」

「何をするつもりだ?」

「ちょっとした野暮用だよ」


 蘇合がUSPの中でしそうなことといえば、猫道に会うことだろうか。

 情報がまったくないため、独断で米国債権を探すようなことはしないはずだ。


「わかった」


 いたって冷静な普段と変わりない蘇合を見て、心配することもなく栴檀が了解した。


 蘇合と別れ、信者の後ろについていく。

 エレベーターで二つ上がった階だった。


「こちらです」


 一つの部屋の前を案内された。


「それでは」


 信者の彼女は入ってこないようだ。

 栴檀は自分でドアノブを捻り、中に入る。


 そこはさきほどのセミナー会場となっていた会議室とは異なり、応接間のようだった。

 やや厚みのある絨毯が敷き詰められ、回収室に置かれているものよりもよほど高級そうなソファが置かれている。


 そのソファに牛囃はこちらを向いて座っていた。

 呼びつけた側として余裕があるのか、牛囃は両手を組み、膝の上に置いて、非常にリラックスした雰囲気で栴檀を待っていた。


 栴檀は何があっても対処できるように、踵に力を残し、逃げられるようにしていた。

 まさか自分があの参加者のうちのカモだとは思われていないだろう。

 特に不自然な素振りも見せていないはずだ。

 ここで一人だけ呼ばれるのは明らかにおかしい。


「あなたは純粋な参加者ではありませんね?」


 栴檀が何か挨拶でも言おうとする前に、穏やかな顔で牛囃が開口一番にそう言った。


「ええと、あなたが栴檀さん、ですね」


 牛囃がそう言い、右手を差し出し、向かい合わせになっているソファに座るように促した。


「どうしてその名前を知っている?」


 栴檀は指示されるまま、向かいの高級そうなソファに座る。

 少なくともビルに入ってからはその名でのやり取りは蘇合ともしていない。


「私の『奇跡』でわかったのです、と言ったらどうします?」

「信じられないな」


 ふふ、と牛囃は少女のように微笑んだ。


「そうですね、ネタばらしをしましょう」


 いたずらがバレてしまったかのような笑みだ。

 壇上にいたときの、神秘的で超然とした態度は欠片も見せない。

 別人になってしまったかのような錯覚すら覚える。


「私が鈴木だからです」

「なるほど、あれは釣り餌だったのか」


 その言葉で合点がいった。

 最初から、鈴木などという参加希望者はいなかったのだ。

 牛囃が鈴木という人物になりすまし、メールをUSPに送り、キャンセルに見せかけて席を空けさせておき、勝手にこのメールを覗き見た人間が、キャンセルのキャンセルをするのを待っていた、ということだ。


 つまり、USPを釣ったつもりで、実際に釣られていたのは回収室だった。


「ええ、そういうことになりますね」

「ということは、なぜここに来ているかわかっているということだな? そして、その裏に何がいると疑っているかもわかっているということだな?」

「でも、許してください。これは私の独断です。誰にも知られていません。したがって、あなたたちのことも誰にも言っていません」


 栴檀の質問には彼女は答えなかった。

 その代わり、回収室を釣ったことは、自分以外誰も知らないと言った。


「鏡越しにカードを暗記したんだ」


 牛囃は笑顔を崩さない。

 何を言われているかもわかっているのだろう。


「あんたが見せた手品だ」


 栴檀が矢継ぎ早に言う。

 栴檀は牛囃がセミナーで見せた『奇跡』の正体をすでに掴んでいた。


「あんたは鏡を見て、一瞬でカードの絵と数字を暗記したんだろ。奇跡なんかじゃない、ただの手品に過ぎない」


 牛囃の反対側、参加者の後ろには姿見があった。

 その鏡を使ったのだ。

 そうでなければ、カードを切った後に、すべてのカードを参加者に見せる必要がない。

 超能力というものが存在するなら、そうしなくてもカードの数字はわかるはずだ。


 奇跡の正体を告げることで、牛囃の動揺を誘おうとしたが、やはりその程度では揺るがなかった。


「そんなことは人間業ではできませんね」

「いいや、自分ならできる。やってみせてもいい」


 事実、栴檀ならあの一瞬でもできる。

 鏡面に映っているのは少し練習すれば問題ないはずだ。


「あなたなら、ですね。私がそうだとは言い切れない」

「できる人間はいる、ということだ。そんなものは霊能力でも超能力でもない」

「超能力の定義次第ですよ。私はあの状況で『当てる』ことができるというだけです。あなたの能力は充分に人間離れをしています。それはもう『超能力』や『奇跡』の類になるでしょう」

「詭弁だ」

「そうでしょうか。であれば、そのような能力があなたに備わっているのはなぜでしょう? それこそが奇跡ではありませんか?」

「たまたまだ。たまたま、ここにそんな能力を持つ人間が二人いたとしても、驚くようなことじゃない」

「なるほど。あなたは自身の能力もたまたまで、何の意思も介在していないというのですね。あなたは、お金のことをどう思っていますか?」


 唐突に牛囃が質問をしてくる。


「何の話だ」


 あまりの話題の転換に、栴檀は聞き返してしまう。

 話題を転換して相手に揺さぶりをかける。

 栴檀がやったことを牛囃もやってみせたわけだが、栴檀もなんとかついていこうとする。


「言い換えましょう、お金は存在すると思いますか?」

「……実物としては存在しない」


 その質問の真意にようやく栴檀も気が付いた。

 貨幣が存在するかではなく、『通貨』という存在が実在しているのか、という質問だ。


「なぜそのように思うのですか? それでは貨幣についてはどうお考えですか?」

「すべての貨幣はトークンに過ぎない。紙幣でも硬貨でも石でも貝でもいい、交換可能であればいい。実際に、トークンとして機能していれば、双方に移動した記述さえあれば、それそのものすら必要ない。通貨はシステムそのものが正体だ」


 法定通貨以外の、その場限りしか使えないが、その場では貨幣のように振る舞うコインなどの物体を代用貨幣、トークンと呼ぶ。

 貨幣はあくまでも見えるように便利にしたものであって、通貨の実体ではない。

 その取引を記録した帳簿さえ双方が納得した形で存在していれば、貨幣は必要ない。


「そうです。誰もが存在していると錯覚しているだけです。まるで幽霊のように」

「幽霊がシステムだと?」

「違いますか?」

「少なくとも宗教家が言うことだとは思えない」


 通貨はシステムであり実在するわけではないと言った栴檀に対して、牛囃は、幽霊も同じようにシステムであって実在しない、と返した。

 曲がりなりにも宗教家を名乗っていて、妹の霊が枕元に立ち能力を授けてくれたとまで言っている牛囃は、幽霊や祖先の霊などといったものに対して否定的な立場は取らないのではと思っていたが、この場で取り繕うつもりはないようだ。


「あなたは本当に私が宗教家だとお思いなのですか?」

「まさか。詐欺師だ」

「ふふ、面白いですね」


 牛囃は笑って流す。

 本音のようであり、はぐらかしのようでもあり、掴みどころがない。


「詐欺を働いて信者から金を巻き上げてどうするつもりなんだ?」


 沈水の調べによれば、牛囃は質素な暮らしをしているという。

 そこまで金に執着しているわけではないのだ。


「私は、みなさんが出したい、と思っている金額をいただいているだけです」

「それがお布施か」

「ええ、どうやらこの国にはお金を払うことで自分が何か行動したような気分になるという風習があるようですね」


 牛囃はそんな信者を馬鹿にしているのか、くつくつと笑っている。


「金を買っているんだったな。買ってどうする?」


 噂では、集められたお布施を金や銀といった現物資産に換えているらしい。

 牛囃はその質問に、壊れた人形のように首をクキっと横に曲げた。


「どうする? どうするとはおかしな質問ですね。私は単に永遠に残る価値に変換しているにすぎません。日本円などいずれ無価値になるでしょう。少なくとも、私の手元にある金は本物ですから、いずれ役に立つときが来るでしょう」

「どういう意味だ?」


 栴檀が聞き返すも、ふふ、と笑って答えようとはしなかった。


「お金があれば、あらゆるものが買えると思いますか?」

「買えないものもある」

「ええ、そうでしょうね、そして、それは多くはなくて、人の命は買えないものに入りません」


 肯定しつつ、誰しもが買えないものだと言いそうな、人間の命については、買える範疇だと彼女は言った。


「なんだと?」

「労働力は寿命です。多くの人間はそれを売って生きています。資本家は反対に多くの人間の労働力、寿命を買っています。人が死ねば、掛け金に応じて生命保険が支払われます。これは人の命を金銭的価値に変換しているのです。誰かを殺せば、損害賠償を請求されます。ほら、人の命は、金銭に換算可能です」

「それでも、失った命を買い戻すことはできない」

「ええ、食べてしまった魚と同じように、ですね」


 栴檀は反論するが、それすらも消耗品だからである、と再反論されてしまった。


「魚とは違う。どんなに金を積んだところで、同じ人間を創ることはできない。クローンを用意しても、記憶まではコピーできないはずだ」

「そうですね、おそらく、ナウマン象は復活できても、エジソンを創ることはできないでしょう。もっとも、今のところは、ですが」

「だが、任意の能力を持った人間は創れるそうだな。膨大な数から、成功した人間だけを選べばいい」


 USPが必勝法詐欺をやっていることと、牛囃が政府によって創られた馬酔木という存在を知っているであろうというカマをかけ、ダブルミーニングにして返す。


「ああ、ああ、本当に素敵な方。あの方が入れ込むのもわかります」


 それに気が付いたのか否か、彼女は不明確な発言をした。


「それは馬酔木のことだな」

「いいえ、宇宙の意思、と私が呼んでいるものです」


 もう一つカマをかけてみるが、彼女は動じない。


「そんなものあるわけがない」


 否定した牛囃を栴檀がさらに否定する。

 少なくとも、この聡明で、能力のある牛囃が、そんなものを信じているようには到底思えなかった。


「そうですね、ええ、それでは、あなたにも本当の奇跡をご覧に入れましょう」


 微笑みながらそう言って、栴檀がいた側ではなく、自身に近いドアから出て行った。


 奇跡を見せる、と言ったのだから、ついてこい、ということなのだろう。

 そうでなくても、栴檀は導かれるように牛囃の後をついていくことにした。


 消えた先のドアを抜けると、通路があった。

 牛囃の姿は見えない。

 栴檀を連れてきた信者の女性の姿も見えない。


 少し進むと通路の角になり、左側にトイレ、右側にはまた通路が伸びていた。

 その奥で、ちらりと牛囃のものと思われる白い衣服の裾が見えた。

 それを目当てに栴檀は早足で歩く。


 また角を曲がると、右手にドアがあった。

 それ以外に行き場所は見当たらない。


 ならば、牛囃はこの部屋に入ったはずだ。


 そして、カチャリとそのドアを栴檀は開けた。

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