第三話 キャッシュフロー計算書④
ドアを開けた瞬間、部屋の中を見て目を疑ってしまった。
「これはどういうことだ」
栴檀の眼前にあるのは、吊された女性。
牛囃だ。
首に黒いコードがかけられ、天井のシャンデリアへと繋がっている。
白装束を着ているのはさきほどと同じだ。
両手は広げられて、手首に首と同じコードが巻かれ、部屋の梁へと伸びている。
万歳というよりは、肩付近まで両手が挙げられていて、磔にされたキリストのような姿勢で宙ぶらりんになっている。
「あ、ドアを閉めるな!」
声のする方向に目をやる。
そこにいたのはスーツのポケットに手を入れていた蘇合だった。
「何をしている?」
「いいからお前、手を……」
蘇合が言い終わる前に、すでにドアノブは栴檀から離れ、ドアが閉じられた。
「しまった!」
ドアに駆け寄った蘇合がドアノブを下に引き、何度もガチャガチャと鳴らしている。
「どうした?」
「チクショウ!」
ドアが開かなくなってしまったようだ。
「外から開けることはできるが、中から開けられないようになっているんだよ!」
「ということは」
「閉じ込められていたんだ。ったく、もう少し開けておけば出られたのによ」
「牛囃は」
死んでいる。
それは近寄らなくても明らかだった。
顔は青白く、目は閉じられ、少し開いた口からはだらしなく赤い舌が垂れている。
「私が入ったときにはすでに代表様はこの姿だった」
その声で、栴檀が牛囃を軸にして蘇合と反対側にいた人物に気が付く。
そこにいたのは猫道だった。
猫道は会議室にいたときと同じスーツを着ていて、姿勢よく牛囃のそばに立っている。
「救急車は?」
「繋がらない」
呼んでいないのか、の答えを蘇合が言う。
栴檀自身も自分のスマホを見るが、電波が届いていない。
「ここは神託の間と呼ばれています」
猫道が口を開いた。
「牛囃様が、宇宙からの意思を受け取る場所です」
確かにそう言われると、牛囃が吊られている奥には、祭壇らしきものが見える。
「牛囃の言うことを本気で信じているわけではないだろ」
「私は信じています」
「チッ」
丁寧な口調で信心を露わにした猫道に蘇合が舌打ちをする。
やはり今の猫道は蘇合が知っていた時代の猫道とはだいぶ違うようだ。
「ここで嘘ついても意味ねえぞ猫道」
「いいえ、今も牛囃様を信じております」
「死んでるだろうが」
「いいえ、牛囃様は死んでおりません」
嘘を言っているようには見えなかった。
とはいえ元詐欺師だ、本気で人を騙してたのだから、息を吐くように嘘をつくくらいわけないだろう。
「いよいよ狂っちまったのか」
蘇合が深く腰を下ろして溜息をついた。
「蘇合、頼む、状況を整理したい。なぜお前がここにいる?」
「それを聞きたいのは俺の方もだが、まあいいや。俺は昔の馴染みでこいつと話をしようと思って、受付で居場所を聞いたんだよ。まあ、はぐらかされちまったから、そっと忍び込んだわけだが、途中、信者の会話で猫道がこの階に行ったって聞いたから、ここまで来たんだ」
蘇合は猫道に用があったらしい。
野暮用というのはそのことだったのだ。
「で、ようやく猫道と会ったと思ったら、牛囃がこうなっていたってわけだ」
肩をすくめ、両手を広げている。
「私はあなたを知りません」
「お前が知らなくても、俺が知っているんだ」
どうやら一方的に蘇合が知っているだけで、蘇合の言う昔の馴染みとはニュアンスが違うらしい。
「携帯の電波が届かないのはなぜだ? 神託とやらのためか?」
「牛囃様が得ているのは、宇宙意思です」
猫道が栴檀の質問を、疑問点とは関係ないところを訂正した。
「ですが、ええ、そうです。人間の不安定な情報が邪魔をしないよう、電波をシャットダウンしています」
それでは、宇宙からの意思も届かないのでは、と思ったが、話が通じそうにないので聞かないことにした。
「部屋の中から解除できないのか?」
「システムは隣の部屋にあります。ここから解除することはできません」
まるで死体がないかのように、落ち着いて猫道が話す。
「部屋を中から開ける方法は? なぜ中から出られないように設定されている?」
困惑した顔で猫道は栴檀を見た。
「それは、私には……」
栴檀が死体に一歩近づく。
以前見た鯱の死体とは異なり、嫌悪感はなかった。
むしろ、綺麗に装飾されているとさえ思った。
舌が口から出ているのが残念だという感想すら抱くほどだった。
さきほど追いかけていたときよりも白い顔をしている。
血の気がなくなっているからだろうか。
栴檀が牛囃の背後に回ってみる。
奥の壁は雛壇のように五段ほどになっていて、それぞれの段には両脇に栴檀には理解できないような流線型のオブジェクトが置かれている。
祭壇の最上部には、中空状の大きな球体が設置されている。
「宇宙儀だ」
栴檀の目線に気が付いたのか、それを説明したのは蘇合だった。
「そうか、よく知っているな」
「まあな、昔見たことがある」
「そうか」
「俺にも若い頃があったってことさ」
宇宙儀の上から、壁掛型の40インチ程度の回収室と同じような液晶ディスプレイが嵌め込まれていた。
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