第三話 キャッシュフロー計算書⑤
栴檀がこの部屋に入ってから五分近くが経った。
疑問点はいくつかある。
まず、牛囃から目を離していたのは一分程度だ。
「蘇合、いつからここにいる?」
くるくると手元でスマホを回し、時間を持てあましている蘇合に聞いた。
「お前が来る一分くらい前だ。いやもっと短いかもしれないな。俺がこれに気が付いて、まず部屋から離れようとしたら、鍵がかかっていたわけだ」
蘇合が左手のスマホで牛囃の死体を指す。
「猫道、あんたは?」
「……私は、十分前ほどです」
少し考え込んでいたが、猫道が答える。
「そもそも、あんたはなんでここにいる?」
「私は、牛囃様に呼ばれました」
「用件は?」
「ある方に、直接奇跡を見せたいとのことでした」
おそらくその方というのは、栴檀のことだろう。
だとしたら、これが牛囃の見せたかった奇跡ということなのだろうか。
僅かな時間の間に死に、吊られるという奇跡だ。
「牛囃は死んでいたか?」
「ですから、牛囃様は」
「わかった、それでいい。牛囃はあの状態だったか?」
なおも生きていると主張する猫道を否定し続けるのは面倒なため、状態、と言い換えることで話を聞き出す。
「……はい」
二人の話のつじつまは合う。
しかし、これは自分が見てきた状況とは違う。
彼らの言い分が正しければ、自分が牛囃と話をしていた時間には、彼女はすでに死んでいたことになる。
猫道が嘘をついていたとすれば、誤差も含めて蘇合の言う時間にはギリギリ間に合う。
保留。
次の疑問に移ることにする。
「なぜ牛囃はこの姿勢になっている?」
「と言いますと?」
「この姿勢には、何か宗教的な意味があるのか、という意味だ」
「……牛囃様は、常々、翼を持ち、鳥の目になることを望んでおられました。ですの
で……」
わけがわからない、といいたげに蘇合は大げさに溜息を付いた。
結局、それを宗教的儀式だとするのなら、どんな理不尽な言い訳も成り立ってしまう。
猫道が信じていようが、嘘をついていようが、確認する手立てはない。
栴檀は蘇合のそばに行き、猫道に聞こえないよう小声で聞く。
「蘇合、どう思う?」
蘇合が眉間に皺を寄せた。
「どうとは?」
「考えられる可能性を場合分けする。牛囃は自殺か、他殺か。この装飾をやったのは自分か他人か。合わせて四通りだ。他殺、装飾が他人なら容疑者は広がるかもしれないが、この状況では猫道が妥当だろう」
「俺が殺したっていう線は?」
本気か冗談かわからない真面目な口調で別な可能性を提示した。
「牛囃を殺すメリットが蘇合にはおそらくない。それに、蘇合が人殺しをするようには見えないな」
そう言われた蘇合は、複雑な表情で顔を歪ませた。
「そうとは限らないぜ」
「そうか」
蘇合はそのまま、床に腰を下ろした。
「USPのシステムを考えたのはあんたか?」
「はい?」
突然話し掛けられたせいか、猫道は何を言われているのかぴんときていないようだ。
「資金集めの方法、宗教法人を利用する租税逃れ。あんた、詐欺師なんだろ?」
栴檀がそう言うと、猫道は意外そうな顔をした。
「前に、どこかでお会いしたことがありますか?」
「いいや、ないはずだ」
「そうですか、昔の私を知っているのですね。確かに私は昔、詐欺紛いのことをして生計を立てていました」
「紛いじゃなくて、詐欺そのものだろ」
吐き捨てるように、蘇合が言う。
蘇合としては同類のはずなのだが、猫道に対して強い嫌悪感があるようだ。
「そうです、そうですね、やはり、自分を偽るのはよくないですね。確かに、私は詐欺を行い、人を殺めてしまいました。詐欺の罪で刑務所に入った私は、それをずっと後悔していました」
人を殺めた。
殺人を犯したと、詐欺師が告白した。
横を見ると、蘇合がキツい目で猫道を睨んでいた。
その手には力さえこもっている。
「出所後も自暴自棄になって、何をするでもなく生活をしておりました」
殺人の件は蘇合も言っていなかった。
「そんなとき、牛囃様が声をかけてくださったのです。明日ではなく、昨日を変えよ、と」
セミナーでも聞いた牛囃の言葉だ。
「そして、私は牛囃様のお世話をさせていただくことになりました」
今だって騙しているのでは、という言葉で遮るのをやめる。
どうやら、猫道は本気で牛囃の能力を信じていたようだ。
いや、今でも信じているらしい。
「人を殺めたというのは?」
「ある家族を、です。私は自分の扱う商品を信じていたわけではありません」
蘇合によれば、パワーストーンやお守りのような神秘性を持つ商品でマルチ商法を行っていたらしい。
「ですが、私は知らなかったのです。それは十年前のことでした。ある家族が、私の商品のために借金をし、心中したことを……」
マルチ商法で各自が負える分の損をするだけならまだ猫道は何も思わなかっただろう。
中には、破産をする者もいるし、家族や友人から縁を切られる者もいる。
場合によっては、確かに、自殺を考える者も出てくるだろう。
「直接殺したわけではない」
だが、それが猫道の良心にそこまで影響したとは思えなかった。
自分が手をかけたわけではないのだから、気に病む必要もないと栴檀は思った。
「殺したようなものです。ですが、私はあの三人に謝ることもできない」
「三人じゃない。二人だ」
そこへ、ふいに蘇合が割って入った。
床に座り込んだ姿勢のまま、片膝を立てている。
いつでも飛び出せる、という体勢だ。
「お前は殺人でムショに入っていたわけじゃないから知らなかったかもしれないが、死んだのは二人だ。無理心中を図った家族のうち、死んだのは妻と二歳になる息子だ。夫は昏睡状態に陥ったが、一命を取り留めた」
ハッとした顔で、猫道は蘇合を見た。
その前に向けた両手がわなわなと震えている。
「蘇合……」
栴檀が蘇合に声をかけるが、こちらには振り向きもしなかった。
蘇合が立ち上がり、つかつかと猫道に向かっていく。
「ようやく思い出したか。お前とは一度玄関で会っただけだったな、覚えていてくれて嬉しいぜ」
「あ、あのときの……」
「うちの妻が世話になったな」
蘇合がにやりと笑う。
その笑みは自嘲的でもあった。
「詐欺師稼業をやってりゃ、いつか会えると思っていたぜ、猫道」
「蘇合、やめ……」
言いかけた栴檀を笑顔で制止する。
猫道と向かい合った蘇合は、両手を伸ばし、猫道の首へと回す。
「止めるなよ栴檀。俺はこのときだけを待っていたんだぜ。お前は俺のことを人殺ししそうにないと言っていたが、それは半分当たりで半分外れだ。俺は、今から人を殺すんだ。まさか詐欺師から足を洗ってこんなところに引き籠もっていたなんてな。どうりで簡単に見つからねえわけだぜ」
首を掴まれている猫道は抵抗をしない。
なされるがままだ。
「なんで抵抗しねえ」
それは蘇合にも奇妙に映ったようだ。
「……当然の報いだと思っています。すみません……、いくら謝っても……」
「てめえ、いまさら……」
猫道はむしろ、いつかこのときが来るのを待っていたかのようだった。
法律は詐欺師としての猫道を裁いたが、彼が持っていた殺人という罪悪感は誰も裁いてくれなかったのだ。
だからこそ、猫道は牛囃にすがったのかもしれない。
「命乞いをしろよ! 助けてくれって言えよ! 関係ないって言い張れよ! 何謝ってんだよ!」
蘇合の方も混乱しているようだ。
猫道の名前をメールから見つけたときから、この状況になるように考えていたに違いない。
それでも、猫道が白を切ったり、責任を否定すると思っていた。
まさか、彼が責任を感じていて、その贖罪を求めていたなど思いもしなかったのだろう。
囚われているのは、蘇合も同じだろう。
「やめろ!」
しかし、蘇合は手を緩めない。
「人殺しなんてするな」
自分でも白々しいと栴檀は思った。
さきほどまで、猫道に蘇合とその家族のことについて責任などないと思っていながら、今は蘇合に幾ばくかの同情をしている。
それでも、本心から出た言葉だった。
猫道は壁に身体を押しつけられて、首を持たれているだけで宙に浮いている。
抵抗をしていない両腕が、さらに力なく垂れ下がっていく。
そこへ、ガ、ガガと、祭壇のある壁から音がした。
何かを引きずるような音だ。
「モニタだ!」
栴檀がこの空気を破るように叫ぶ。
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