第三話 キャッシュフロー計算書⑥


 モニタに映ったのは牛囃だ。


『みなさん、ごきげんよう。とはいえ、そこには三人しかいないのでしょうね』


 モニタの牛囃はまだ生きている。


「おい、猫道、このモニタ、どこで操作できる!?」


 首に回していた手を離して、両肩を押さえる。


「……ここでは操作できません」

「録画だ」


 栴檀が気づく。


 映像に映っている場所はこの部屋だ。

 背後には祭壇が見える。

 牛囃は椅子に座っているのだろう。


 とっさに、栴檀はカメラがあったと思われる場所を見るが、変わったところは見当たらなかった。

 隠しカメラなのか、そのために用意されたものなのかもわからない。


『猫道、栴檀さん、そして蘇合さんですね』

「おい、どういうことだ栴檀、俺らの正体がバレてるってのか?」

「どうやらそのようだった」

『私から、みなさんへ短いメッセージがあります』


 映像の牛囃と対話はできない。


『これから、あなたたちに試練がやってくるでしょう。しかし、その試練から逃れるかどうかは任せます。立ち向かえば、過去を変えることもできるでしょう』


 栴檀と別れてから、短時間で撮ったのだろうか。

 だが、急いで準備をしたにしては、息を切らせている様子もない。

 何より、時間はあって数十秒だ、その間に撮影できるとはとても思えない。


 まさか、栴檀に会う前に、事前に録画していた、ということだろうか。


『そして最後に、猫道、今までよく働いてくれました。ですから、この先のことは、無礼だとは思いません。あなたは私の望みを叶えてくれたのですから』


 モニタの前で牛囃がゆっくりと目を閉じる。


『さようなら、私は鳥になります』


 その姿は、何の感情もない人形のようだった。


「あああ!」


 突然猫道が叫びだした。

 栴檀は思わず耳を塞ぎそうになる。


 映像に映った何かに気が付いたのか、それとも、牛囃が言った『この先のこと』が猫道にだけ伝わるような意味だったのか。


 牛囃はそのまま、停止しているかのように一分近くが経過した。

 映像が止まっているわけではない。

 牛囃は眠っているようでもあり、誰かを待っているようでもある。


 栴檀と蘇合はモニタをじっと見続ける。

 猫道だけが発狂したように叫び続け、モニタを見ていない。


 微かに、モニタの中からカタという音がした。

 ドアが開いて、誰かが入ってきたらしい。

 フレームの脇にその姿が映る。


 それは、猫道だった。

 モニタの中の猫道は動かない牛囃には目もくれず、横切って祭壇のあるところへ向かっていく。

 そして、振り返ったかと思うと、モニタ内の猫道は牛囃の背後から、後頭部を宇宙儀で勢いよく殴りつけた。


「あ、ああ、ああああああ、牛囃さまああああ」


 一度は立ち上がりかけた猫道が、再び膝を落とす。

 モニタの牛囃は声も出さず、ゆっくりと前に倒れていく。


 ドサリと音を立てて、顔から床に落ちて、ゆっくりと横に倒れた。

 その様子を見ていたモニタの猫道は、カメラの存在には気が付いていないようで、興奮からか荒い息を漏らし、肩で呼吸をしている。


 猫道の嗚咽とも叫び声とも呻きとも明瞭ではない、くぐもった声が部屋に響く。

 この声が、モニタからなのか、部屋にいる本人からなのか、それとも両方なのか、栴檀には聞き分けられなかった。


 そこまで映したところで、ブン、とモニタの電源が切れた。

 突然に一瞬だけ訪れた静寂。

 すぐに猫道の声だけが小さく聞こえてくる。

 この声は、今部屋にいる猫道から聞こえてくるものだ。

 幼児のように小さく丸まっている猫道を、栴檀は見下ろしていた。


「なぜ牛囃を殺した?」


 蘇合の家族は間接的で、罪には問われないかもしれないが、今回は直接的な殺人だ。

 証拠もしっかり残っている。

 オブジェのように牛囃を吊ったのも猫道だろう。


「牛囃様は、何もかもお見通しで……」


 栴檀の問いかけには答えない。


「私は、私は、牛囃様を完全なものにするために、自由にするために、一番邪魔なものを取り除こうと……」

「いかれてやがる」


 間接的に蘇合の家族を殺したことを後悔しながら、直接的に撲殺した牛囃については後悔どころか、彼女を自由にするためと言い、悪いことだと思ってすらいない。

 相当に混乱した感情が猫道にあることは間違いない。


 カチリ、と音がした。


「おい、開いたんじゃねえのか?」


 音がしたのはドアのところからだった。


「出よう」

「猫道、お前も一旦出るぞ!」

「う、うう……。牛囃様……」


 蘇合が声をかけるが、猫道は膝をついて呻いている。


「チッ」


 蘇合は猫道に歩み寄り、膝を曲げたかと思うと、うなだれている猫道の胸ぐらを掴み、無理矢理立たせ、その背中を壁に打ち付ける。


「おい、お前どういうつもりなんだ?」

「う、うううう」


 猫道は蘇合に反応しているのかどうかも不明瞭だ。


「俺はなあ、お前のせいで! 何勝手に日和ってんだよ!」


 蘇合の言葉も、はっきりとまとまっているわけではないようだ。


「牛囃様……、牛囃様……」


 猫道の目はうつろで、蘇合の目を見ることもできていない。


「小悪党なら小悪党らしく、改心してんじゃねえよ!」


 不完全燃焼で爆発しきれない感情が、行き場を失って空回りしているのが見えた。

 蘇合にとっての諸悪の根源、殺しても殺し切れない相手だったはずなのだ。


 蘇合もまた混乱しているのだろう。

 全体的に言葉は判然としない。


「お前が騙してた人間たちは、戻ってこねえんだぞ!」

「……わかっている、わかっている」

「うるせえ」


 掴んだ胸元から手を放す。

 蘇合は腕を取って連れ出すまではせず、まずは栴檀と二人で部屋を出ることを選んだ。

 ドア付近で栴檀がスマホを取り出す。


「スマホが繋がるみたいだ」


 電波ジャミングが解除されたのか、スマホの電波は問題なく繋がっている。


「とりあえず、どうする? 警察か?」


 死んだ牛囃をどうにかしないといけない。

 さすがに救急車をいまさら呼んでも生き返るわけもないが、一応連絡をしておいた方がいいかもしれない。


 栴檀が思案しながら、蘇合が開けたドアを続いて抜ける。


「ご苦労だった」


 ドアを開け脱出した二人を待ち受けていたのは鷺だった。

 相変わらず鷺は絶望を背負い込んだような青白い顔でぼうっと幽鬼のように所在なげに突っ立っていた。


 労っているというよりは、三途の川で待ち受けている水先案内人のようだ。


「牛囃は死んでいた」


 部屋に入ろうとした鷺を栴檀は呼び止める。


「そうか、警察には連絡しなくていい」


 人が死んでいるというのに、鷺はいつものように無感情の声で告げた。


「しかし」

「確認してくる」

「中に信者が一人いる。幹部の一人だ」

「牛囃の死体を見たのは二人以外そいつだけか?」

「ああ、牛囃を殺したのもだ。ビデオがどこかに残っているはずだ」

「そうか」


 猫道のことを幹部と言った蘇合に、特に表情も変えず、鷺は部屋に入っていく。


 発砲音が聞こえたのはその数十秒後だった。

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