第三話 キャッシュフロー計算書⑦


 銃声に驚き再び二人がドアを開ける。


 そこには、うつぶせに倒れている猫道とそれを見下ろす鷺がいた。

 鷺は右手に持っていた拳銃を胸にしまうところだった。


 更にその二人を、一人と一つの死体を、すでに死体になっていた牛囃が高いところから見下ろしていた。


「おい!」


 鷺と猫道、おそらく両方に対して叫んだ蘇合が部屋の中央まで走り、猫道のそばまで向かう。

 猫道と床の間からは、血が広がり始めていた。


「きゅ、きゅうきゅう」

「必要ない」


 今しがた人を撃ったとは思えない落ち着いた声で、鷺が栴檀の方を向いた蘇合を制止する。


 出血量から見て、猫道が助かるとは栴檀にも思えなかった。


「確かに牛囃は死んでいるようだ」


 鷺がスマホを耳に当て、どこかと連絡を始める。


「『こちら』の件については我々で対処しておく。回収室は何もしなくていい」

「どうするんだ?」

「どうする? とは?」

「牛囃が死んじまったら、USPも終わりだろうが」


 宗教的な教義も実績もない新興宗教だ。

 その教祖がいなくなってしまえば、頭をもがれた生き物のように死んでしまうだろう。


「そうだな、では牛囃は当面生かしておこう」

「なんだって?」

「我々の方で、牛囃はしばらく生きていることにする」


 簡単に言ってのける。


「何を言っているんだオマエは?」

「幸い、死体を見ているものはお前たちしかいない。信者たちに気が付かれないように工作して、しばらくは死を隠蔽する」


 オブジェのように部屋に調和してしまっている牛囃の死をなかったことにしようというのだ。


「そんなことができるわけ……」

「我々ならできる。これまでもそうしてきたし、これからもそうする」

「ってことは、そのために猫道を撃ったんだな」

「そうだ」


 牛囃が死んだという事実を知っている人間は、栴檀、蘇合と今来た鷺を除けば、猫道しかない。

 証拠隠滅をしたということだろう。


「お前っ! 人間を何だと」


 なおも食ってかかろうとしている蘇合の肩を栴檀が叩く。


「回収室には関係ない」

「そうだ。そちらには関係のない話だ」

「なんでそんなことを」

「宗教において、教祖が突然死んだという情報は避けるべきだ。信者に混乱が起こる可能性がある。USPに殉教する人間がいるとは思えないが、要らぬ面倒は避けたい。特に、債券が見つかっていない現状ではな。見つかっていないんだろう?」


 回収室と鷺のいる内調の本命は、USPではなく消えた米国債券だ。

 渋々といった顔で蘇合もうなずく。


「まさか、お前たちが殺したわけじゃないんだろう?」

「ああ、それはその通りだ」


 蘇合は何か言いたそうにしていたが、栴檀が脇から口を出した。


「そうか、なら問題ない。建物の内部は我々が捜索する。債券が見つからなければ引き続き回収室に協力を要請する」


 一方的に鷺は言い切り、話を終えられてしまった。


「いや、待ってくれ」


 立ち去ろうとする鷺を栴檀が引き留める。


「一つだけおかしな事がある」


 事態が落ち着いて、思考がクリアになり、栴檀の中で符合しない情報が出てきた。


「なんだ?」

「牛囃が死ぬ直前に話をしたが、直前といってもやはり時間が短すぎる」

「どういうことだ?」


 栴檀は、牛囃に呼ばれてから先ほどまでのあらましを鷺に話した。


「つまり、自分と話をした人物と、ここで死んでいた人物は別人の可能性がある」


 トリックが何でもありだというのなら、その可能性が一番高かった。

 まるでかつて火災で死んだことにするために偽物を用意した馬酔木のようであるが、馬酔木と牛囃が繋がっているのであれば、その可能性は十分考慮に値するものだろう。


 だが、その場合、どちらが本当の牛囃なのか。それはわからない。


「……なるほど。それも調べさせよう」

「行くぞ、栴檀」


 栴檀のスーツを軽く引っ張って蘇合が言った。


「こんなところ、長居する場所じゃねえ」


 疲れ切った表情をしていた蘇合は、栴檀からは一気に数年歳を取ったようにも見えた。

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