第三話 キャッシュフロー計算書②
壇上に牛囃とおぼしき人物が上がる。
ゆっくりと、しっかりとした足取りだ。
参加者には一瞥もくれず、壇の中央まで歩いていく。
栴檀が鷺の持ってきた教祖のプロフィールを思い出す。
牛囃薫。
組織内での呼び名は『代表様』『牛囃様』。
三十二歳、栴檀と同じ歳だ。
数年前に両親を事故で同時に失い、以後、USPを立ち上げる。
兄弟姉妹はなし。
USPは、Ushibayashi Space Philosophy の略称とのこと。
写真で見るよりも若々しい印象がした。
見た目は実業家、起業家というよりは、女優のような雰囲気を漂わせていた。
牛囃は会場に集まった参加者から大きな拍手を受けている。
牛囃は女性だ。
髪は長く、何年も大きく切られていないのがわかる。
服は薄手の白いブラウスに、白いスカート、靴も白で、わずかに見える白い手足が服に溶けてしまっているようにも見える。
中央まで進み、こちらを向く。
目が合った、と栴檀は思ったが、すぐにそう思ったのは会場にいる全員だということが空気でわかる。
じっと、参加者を見つめている。
そこに一切の言葉はない。
視線は動いていないが、まるで一人ひとりを品定めしているかのようだ。
人形のような表情をしていた。
とりたてて美人というわけではないが、印象に残る彫りの深めの顔立ちで、プロフィールには書かれていなかったが、西洋の血が入っているようにも思えた。
会場の誰もが牛囃の一挙手一投足を見逃すまいと、緊迫感を持って見守っていた。
「おい、牛囃のやつ、どうしたんだ?」
小声で蘇合が栴檀に耳打ちする。
栴檀は声に出さず、さあ、という表情だけを送った。
いまだ、牛囃は何も語ろうとしない。
聴衆を見渡しているだけだ。
緊張して声が出ない、というわけではあるまい。
参加者たちはお互い知り合いではないようで、会話をせずに、ただ顔を見合わせて動揺をあらわにしている。
それでも、牛囃は言葉を発しない。
会場内に最初とは違う緊迫感が満ちてきた。
これから何が起こるかわからなくなった、という雰囲気だった。
とんでもないところに来てしまったのではないか、やはりおかしなところに来てしまったのではないか、という空気と、それに混じるわずかな高揚感があった。
牛囃が目を閉じ、すう、と深く深く息を吸った。
引いていった波が、一気に押し寄せてくる気配がある。
会議室の全員の注目が線となって見えるようだった。
「みなさん」
壇上にマイクはなく、肉声で第一声を発した。
女性にしては少し低く、透き通った響く声。
顔を見たときと同じく、舞台女優のようだという印象が深まった。
「みなさん、お忙しいなか、ご来場いただきありがとうございます。USPの代表、牛囃でございます」
強い口調の後は優しく話しかけ、丁寧なお辞儀をした。
「みなさんは、将来に不安がおありなのでしょう。未来を、明日を、変えようという意思を持ってここに来ていらっしゃることと思います。ですが、その方法については本日は何も語るべきことはありません」
将来に何の不安もない人間はまずいない。
いないとすれば何も考えていない人間だろうし、それに不安がなければこんなセミナーにもやってこないだろう。
参加者に困惑の色が見える。
牛囃がキッと表情を固めて、参加者たちを端から端へ見据える。
「みなさんは、明日を、今日を変えるのではなく、昨日を、過去を変えるのです!」
会話の強弱をしっかりとつけている。
おそらくこれが、相手の心理を揺さぶるための話法の一つなのだろう。
心にさざ波を起こす手法だ。
「過去にあった事実を変えることはできない。みなさん、そうは思っていませんか? しかし、それが違うとしたらどうでしょうか? みなさんは、変えたい過去がありますか?」
牛囃がゆっくりとこちらを見て、栴檀と目が合った。
たぶん、栴檀だけでなく、蘇合や他の参加者も全員が、どこかのタイミングで目が合ったと思わされているのだろう。
「私は、小さい頃、妹を亡くしました」
牛囃が自らの過去を語り始める。
調査書には載っていなかった事項だ。
兄弟姉妹はいないと記されていたが、今はいない、ということだったのかもしれない。
「交通事故でした。私は長じてから、その責任が私にあることがわかりました。妹は私を救うために代わりに事故にあったのです」
淡々と語る。
「それを伝えてくれたのは、ある日枕元に立っていた妹でした。妹は、宇宙の意思と繋がり、その意思を私に伝えてくれたのです。謝る私に、妹は宇宙の意思との繋がり方を教えてくれました」
牛囃はすうっと息を吸う。
「それ以来、私は妹とともに、宇宙の意思を伝えることを我が使命とすることにしました。妹は今でも私のそばにいて、共に生きています」
死んだ身内が夢枕に立ち、超常的な力を授ける。
霊能力者などがよく使う、ありふれたエピソードだ。
周りの参加者も、それを聞いてどうこう思う、といったことはなさそうだった。
こういう場ではサクラがいて、一人くらいは大仰に感動した素振りを見せるものだ、という考えが栴檀にはあったが、少なくともそのような声は上がってこなかった。
隅にいる猫道を見ても、ただニコニコと笑顔のままだった。
「それでは、簡単な、すぐにでもお見せできる奇跡をご覧に入れましょう」
それを合図に猫道が脇から来て何かを手渡した。
牛囃の手にあるのは、封がまだ切られていないトランプだ。
箱のテープを取り、一番近くにいた参加者に渡す。
その参加者に指示をして、トランプを何度か切らせ、また自らの手元に戻す。
片手でカードを広げて、こちら側だけにカードの表をすべて見せた。
きちんとランダムにカードが切れているというポーズだろう。
また一つに束ねると、カードを切った参加者に、「上から何番目か」を指定させた。
そのカードを表に返すと同時に、何のカードかを、模様と数字ともに言い、それを的中させた。
おお、という声が参加者から漏れた。
その後も、次々とカードを他の参加者に指定させ、そのたびに返す前にカードを当てていく。
十二枚連続で当てたところで、ついに牛囃は手を止めた。
奇跡というよりも手品の類だ。
蘇合を横目で見るが、特に興味もなさそうだった。
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