第三話 キャッシュフロー計算書
第三話 キャッシュフロー計算書①
「ったく、窮屈だな」
蘇合が不平を漏らす。
さすがにアロハシャツでセミナーに出るわけにはいかないだろう、という二人の話し合いがあり、蘇合はいつものアロハシャツではなく、キッチリとしたスーツを着ていた。
筋肉が邪魔なのか、かなりピチピチだった。
「郷に入っては、だ」
栴檀はいつも通りのクラシコスタイルのスーツを着ている。
蘇合の吊るしのスーツとは何倍も値段が違うものだ。
「いつ以来だ?」
蘇合はセミナーに行く前に自分の家に行き、スーツに着替えてきた。
そのスーツは今の体格には若干合っていないようで、窮屈そうにしていた。
「……もう十年も前のだな」
「中年太りじゃないのか?」
「栴檀、お前まで沈水みたいなこと言うのかよ。筋トレだよ筋トレ。詐欺には筋トレが必須なんだよ」
蘇合がそう言って、左腕を曲げて力こぶを作った。
ピチピチのスーツが叫びだしそうだった。
「それはなんだ?」
栴檀がその蘇合の筋肉自慢の仕草で普段見慣れないものを認めた。
「結婚しているのか?」
それは蘇合の左手の薬指に嵌められた銀のリングだった。
通常、その位置には結婚指輪が嵌められる。
しかし、蘇合が結婚していると聞いたことはなかった。
今まで指輪をしていたところも見ていなければ、指輪の跡に気が付いたこともない。
「まあ、昔の話だ」
言われた蘇合は、少し言いにくそうにその左手で頬を掻いた。
「どうして今つける?」
「こういうのは既婚者の方が話が通りやすいんだよ。あとは、まあ、お守りみたいなもんだ」
蘇合が右拳を左手で受けて、話を打ち切るようにパシンっと音を鳴らす。
「さて、いくぞ」
セミナーへの参加には、沈水が傍受したキャンセルのメールを利用することにした。
メールの送り主を偽装して、『やはり行けることになったので、さきほど送ったキャンセルのメールはなかったことにしてほしい。ついでに友人も連れていっていいか』とUSP宛に送ったのだ。
USPからは『どちらも了解した』という返信があった。
そうして、栴檀と蘇合がセミナーに参加できるようにしたのだ。
「しっかし、やっぱ儲かってるんだなあ」
「宗教施設だとは思えない」
「まあ、宗教施設の仕組みも知らねえけどな」
二人が見上げているのは街中にあるビルだ。
十数階建ての白いビルは、築浅で外装も小綺麗だ。
支部が存在しない宗教団体なので、ここがUSPの本部であり、実質ここだけが宗教施設であるものの、ビル丸ごとがUSPの所有物である。
簿価、購入時で20億円ほどだったらしい。
USPとして活動を開始する前からかなりの資金があったようだ。
栴檀の言うように、寺社仏閣でもなければ、独特の様式になりがちな新興宗教の建物とも違う。
ただただ街中にあるオフィスビルといった見た目である。
エントランスを抜けて、受付へ行く。
そこには一般企業と同じようにカウンターがあり、受付が二人座っていた。
受付の女性は二人ともスーツを着ていて、やはり宗教施設には見えない。
「本日のセミナー参加者の方ですね」
「はい」
片方の女性に聞かれ、栴檀が答える。
「では、鈴木様、エレベーターで六階へお進みください」
キャンセルをした実在の人物の振りをして申し込んでいるため、栴檀は鈴木という名前でセミナーを受けることになる。
「ええと、お連れの方は」
「田中だ」
蘇合がカウンターの奥をのぞき込み、鈴木の下にあった名前を指さす。
「鈴木様のご紹介ですね、確かに承っております」
特に疑問を持たれることもなく、二人は受付を通り、エレベーターに乗った。
同時に来ていた数人のスーツの男性とも一緒に乗り込んだが、こちらも宗教の信者というよりは、営業途中のサラリーマンといった風貌の人間ばかりだ。
六階への到着を告げる音声がして、扉が開くと次々と降りていく。
目の前には学校の教室ほどの広さの会議室があった。
会議室はオフィスビルで見るような白い壁で三面が囲われ、窓ガラスにはブラインドが下ろされている。
内装は装飾もされておらず、宗教色はやはり感じられない。
入ってきたドアのすぐ横には姿見があり、参加者の一人がちらりと見て髪型を整えていた。
栴檀が横目で鏡を覗くと、鏡の中の蘇合と目が合った。
蘇合はなぜかウィンクを返してきた。
会議室の中は簡素なパイプイスと、その前に横長のテーブルがあり、それが前から七列並んでいる。
イスの数は全部で四十二脚あり、今日の参加者は多くても四十人程度ということになる。
驚いたことに、半分はもう埋まっている。
二人は顔をじっくりとみられても困るので、後方に席を取った。
意外だったのは、セミナーの参加費が無料だったことだ。
参加者が抽選で決まるほどの人気があり、かつセミナーによる金儲けが主軸の組織のはずだ。
メールには書かれていなかったが、数万はかかるだろうと踏んでいた。
だが、参加費がかからないとすれば、これはカモを集めるための第一ステップか、それとも、これから『寄付』という名目で集めるかのどちらかなのだろう。
それからも続々と参加者が集まり、時間前に会議室が人で埋まった。
参加者は男性ばかりで、それも全員がスーツを着ている。
渋る蘇合に無理にスーツを着せたのは正解だった。
普段のアロハでは相当に浮いていただろう。
それでも、その格闘家のようなガッチリとした身体つきのせいで威圧感があるのか、蘇合の右の参加者からは微妙に距離を空けられている。
「そろそろだな」
蘇合が自分の腕時計を見にくそうに言った。
普段は袖が手首まで来ていないから、スーツ姿は相当不便なのだろう。
会議室の正面には学校の教室のように段があり、中央には教壇のようなものも置かれていた。
まさに教室といったつくりだ。
「栴檀、あれだ」
蘇合が教室の端を見て、顎である人物を指す。
教壇の脇にマイクが立っていて、そこに一人の男性がやってきて告げた。
「みなさま、代表補佐の猫道でございます、まもなくお時間となりますのでご着席ください」
男性は温和で柔らかそうな表情をしていて、穏やかな目をしていた。
中肉中背で、年齢は五十頃だろうか。
後退しかけている髪は六四でピシッと分けられていた。
宗教の信者といわれれば、なるほどそのようにも見える。
「あれが猫道か」
呟いた栴檀に、蘇合が右横で相づちを打つ。
猫道が名前を言う前から蘇合が気づいていたので間違いはないだろう。
メールでも猫道が代表補佐と書かれていた。
「しかし、なんだか妙だな」
だが、蘇合が何か違和感を覚えているようだ。
顎に手を当ててさすりながら、栴檀にしかわからない程度に首を傾げている。
「あいつが猫道で間違いないんだな?」
再度、栴檀は蘇合に確認する。
自分で名乗ったのだから間違いないはずだが、うなずいて肯定したはずの蘇合の反応がおかしかったので、念のため確かめてみたのだ。
「……そうなんだが」
蘇合ははっきりとしない。
「煮え切らないな。お前の知っている猫道じゃないのか?」
猫道違いの可能性を蘇合は否定する。
「いや、どうも雰囲気が違う。違いすぎる」
「演技じゃないのか?」
困惑している蘇合に問いかける。
しかし、その困惑の理由は栴檀にもなんとなくわかるものがあった。
栴檀はここ半年ほど、相当な数の犯罪者と会ってきた。
そのほとんどが粗暴犯ではなく、経済犯ばかりだ。
もちろん人物を見ただけで犯罪者かどうかわかるわけではないが、猫道は今まで会った犯罪者と同じような、人を騙して金品を得るようなタイプにはどうしても見えなかった。
つまり、栴檀から見て、猫道は到底詐欺師には見えないのだ。
一方で、有能な詐欺師ともなれば千両役者でなければ勤まらないだろう。
今の丁寧で大人しそうな猫道も演技ではないのか。
その疑問に、蘇合は首を横に振って答えた。
「いや、詐欺師ってのは、演技じゃなくて匂いでわかるもんだ。どんなに訓練しても、『プロ』から見ればわかる」
「それがない?」
「まったく、欠片もないな」
「だが、猫道なんだろう?」
「……ああ」
過去の印象がある分、蘇合の方がそのズレを強く感じているようだ。
「今は様子を見るしかない、か」
「ああ、そうだな」
栴檀の消極的な提案に蘇合も同意する。
「定刻になりましたので、それでは始めさせていただきます。まずは、一分間の黙祷をお願いいたします」
猫道の言葉で場が静かになり、指示されたようにめいめいが目を閉じる。
栴檀は目は閉じないものの、下を見て、それと気が付かれないようにした。
一分ほどが経ち、顔を上げると、一人の人物がドアを開け、ゆっくりと歩いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます