第二話 損益計算書③
翌日になり、朝から栴檀と蘇合は連れ立って、沈水が指定してきた場所に来た。
直接来たために回収室へは寄っていない。
零陵には回収室で留守番をするように、彼女の出勤時間である九時ジャストに栴檀が連絡を入れた。
零陵はすでに回収室で仕事を開始していて、米国債券について上司に確認するとともに独自に調査をするという。
都心にあるビルの一つ、その中にある時間いくらでスペースを貸してくれる貸し会議室だ。
二人がその会議室に入る。
会議室の広さは回収室の半分ほどしかない。
十人が入ればかなり窮屈に感じるくらいの狭さだ。
すでに部屋の中央に沈水はいた。
周りには沈水を中心に円を作るように、十台以上のスマートフォンが並んでいる。
沈水は背中を向けたまま、右手を挙げて振った。
「ようこそ」
会話用のディスプレイがないからなのか、栴檀と蘇合しかいないからなのか、沈水が振り向きもせず小声で挨拶をした。
「なんだこりゃ?」
蘇合が昨日準備をすると言っていた沈水に話しかける。
「ちょっとした細工」
「もう作業を始めてたのか?」
「もう、っていうかだいぶ終わったよ。その結果がこれ」
壁掛けのディスプレイに自分のパソコンの画面らしきものを表示させる。
カクカクとした英文が上から下へと流れていく。
蘇合にも栴檀にも文字の意味は読み取れない。
「セミナーっていうか、自己啓発っていうか、そういうのもやっているんでしょ? いや、それがメインなのかな? 気が付かなかった? このビルの隣がUSPの本部ビルだよ。しかもちょうどこの部屋の壁の向こう。だから、ここでいくつか仕掛けておいたんだ。ほとんどは外れだけど、いくつか良さげなのがあった」
確かに本部の住所は栴檀が公式サイトで見て記憶していた。
近くだという認識はあったが、番地のずれがあり、まさか隣のビルだとは思っていなかった。
沈水は持ってきたノートパソコンの画面上にあるカーソルを移動させ、マウスをクリックする。
表示されたのは誰かのEメールのようだ。
「おいおい、盗聴か?」
蘇合が楽しそうに身を乗り出す。
「盗聴というか、傍受? いんや、もっと単純な仕掛けなんだけど、ほら、Wi-Fiってあるでしょ」
「ああ、無線でネットをするときに使うものだな」
大抵はどのスマホにも、あるいはタブレット、ノートパソコンにも搭載されていて、有線で接続しなくてもネットが使える仕組みだ。
「そうそう」
うんうん、と沈水がうなずく。
「最近はね、便利になったからね、フリーWi-Fiっていうのが街中にあるんだ。カフェとか公共施設とかが多いかな」
「そういうもんなのか。あんましわかんねえけど」
「フリーWi-Fiって、大体セキュリティが激甘なんだよ。フリーWi-Fiを提供している側とかがちょっと操作すれば、アクセスしている人がどういうサイトを見ているか、どういうサービスを使っているか、どういうメールを送っているかなんてことまでがわかっちゃうんだ」
ポチポチとマウスをクリックしている。
「だからまあ、あんまり不用意に使わない、使っても無難なサイトだけにして、間違ってもオンラインバンクにログインしたりしないっていうのが鉄板なんだけど」
「ハッキングしたのか?」
「ううん、今回はせっかくだから、いくつか設置してみたんだ。これ見てよ」
沈水が操作したディスプレイに表示されている名前を見て、おかしなことに気が付いた蘇合が声を上げて笑う。
「だはは、なんだよこれ」
表示されている文字は、
スナーバックス
ダリーズ
ワクドナルド
といった、有名飲食店をもじったものだった。
「別に本当の名前でもいいんだけどね、今回はほら、詐欺に引っかかるような人間は馬鹿馬鹿しいくらい単純な手口で選別した方が効率が良いって話でしょ、それを利用させてもらったんだ」
「これは?」
「お前スマホいくつ持ってるんだよ」
「ほら、フリマサイトで買っているって言ったじゃない。たくさんあるよ」
床に置かれていた回収室の支給品ではないスマホを取り上げ、沈水はディスプレイをタッチ操作する。
その様子は、ケーブルで繋がれたノートパソコンにも表示されている。
「手順は簡単。スマホをアクセスポイントとして使えるようにテザリングをする。外からネットに繋げるための基地局って感じかな。でー、そのときSSIDっていう名前、表札みたいなものだね、それは自分で決めることができるから、それで適当な名前にする」
実演しながら『回収室』というアクセスポイントのを作って見せた。
「あとは、ここから、データを集めたってわけ。ほとんどはジャンクだから、USPが関係してそうなメールとかメッセをフィルタリングしてみたよ」
「違法じゃないのか?」
ネット関連にはそれほど明るくない栴檀が沈水に聞くと、何度も小さくうなずいてみせた。
「相手が暗号化された通信を使っていて、それを解読したりしたらダメ。傍受だけならセーフ。警察無線を聞くようなもんだね。だから、こういうところのはセキュリティソフトを入れて暗号化して使うか、それともそうとわかってウェブブラウジングだけにするか。いや、でも、傍受したのを『使ったら』違法だよ」
と言いながら、まさに今傍受した結果を『使い』、有用そうなものをどんどん開いていっている。
「内部から送られたメールはこれかな、たぶん、『間違って』Wi-Fiに接続しちゃったんだと思うんだけど」
誤認させるようなSSIDを設置しておきながら、その張本人は何の悪気もなく言った。
職員から職員への特に使いどころのない実務的なメールだった。
「このメールはあまり使い道はなさそうだね」
事務連絡のようなもので、代表補佐と書かれた幹部からのメールを引用し、代表補佐に返信しているメールだ。
「いや、猫道だって? ちょっと読ませろ」
蘇合が突然険しい表情になり、メールの署名を食い入るように読み出す。
確かに、その代表補佐の名前は猫道と書かれていた。
「知っているのか?」
「あ、ああ。猫道っていうのは、同業者、というかチンケな詐欺師か。あいつが幹部だと? 宇佐と同じように信心があったようには思えないヤツだ。むしろ、逆だ」
「逆?」
「マルチ系の詐欺を中心にやっていたヤツでな、ネズミ講とか、知っているか?」
「ああ、友達を紹介して、仲間に入れて、友達が売り上げたら、自分にキャッシュバックが! ランクが上がって不労所得でみんなハッピー! ってヤツでしょ?」
やけに明るい声で沈水が言った。
沈水なりにネズミ講を勧めている人の真似をしているのだろう。
「まあ、そうだな。頂点にいて親になれば、何もしなくても利益は入ってくる。子、孫にいくに従って利益は少なくなる、そんなシステムだ」
親は子と孫の利益の一部を、子は孫の利益の一部を、少しずつ手に入れる。
自分の子をどれだけ増やすか、子に孫をどれだけ作らせるか、がこの商法で儲ける肝になる。
沈水がどこからか取り出したロリポップキャンディを口にくわえる。
「でもさ、それって自分の子がいなくなったらゲームオーバーでしょ? なんでいつか破綻するってわかってるのに流行るのさ」
「そこは人の業ってヤツとしか言いようがないな。基本的に、今始めれば子はいくらでもいると思わせるのが上手いから流行るんだ。それにマルチ商法っていうのはあくまでも『商品』があることがメインで、子が尽きても商品の流通さえ行われていれば破綻しないっていう触れ込みもする。まあ、これは建前で、各人に売りさばくノルマが課せられていて、結局個人として破綻するケースがほとんどだがな」
マルチ商法では、会員である個々人が個人事業主という扱いになる。
会員には一定量を仕入れなければいけないというノルマがあり、その仕入の際に販売元に支払う金は自腹となる。
仕入れた分がすべて売れれば本人も儲けることができるが、なかなかそうはいかず、しばしば在庫と借金を抱えてしまうことになる。
一方で、商品を卸す販売元は、会員にノルマとして押しつけてしまえさえすれば利益を確保できるのだから、損をすることもない。
結局、親や子といった会員ではなく、胴元である販売元だけが必ず儲けることができる仕組みになっているのだ。
賭博必勝法の一つである、『儲けるためには胴元になること』の典型例だ。
「それに対してネズミ講は実体のない『権利』がメインだ。無限連鎖講っていうので、法律で禁止されているのはネズミ講だけだ。マルチ商法の方はな、今は聞こえが悪いってんで、『ネットワークビジネス』なんて呼ばれ方もしている。名前が変わると人間、一旦気を許しちまうもんなんだ。法的には、せいぜい『違法ではないが適切ではない』くらいだな。なにせ国会議員様の中にも推進している人間がいるくらいだからな」
「蘇合の言うように、だから、回収室にはマルチ商法の案件が来にくい」
「脱法なれども違法ならず、だね」
沈水が話をまとめ、それに栴檀もうなずいて答える。
「そうだな、回収室は捜査機関じゃない。違法かどうかを判断する権利はなく、違法だとほとんど決まったものだけを対象にせざるを得ない」
今は行きがかり上、疑いありきでUSPを探っているが、本来捜査をするべきなのは警察や公安の方なのだ。
「まあ、猫道はそこまで大規模にやっていたわけじゃないけどな。宗教っぽいっていうか、パワーストーンとか、変なお守りとか、そういうのを基本扱っていたヤツだよ。生活用品と違って、ニーズを作る手間はあるが、嵌まればデカいんだな。猫道ってのはそんなヤツだから信心なんてものとは縁遠いはずだぜ。逆に宗教を利用してナンボみたいなヤツだよ」
「随分詳しいな」
「まあ、広いようでこの世界も狭いからな」
詐欺師界隈にそれほど緊密なネットワークがあるとは思えないが、裏社会での伝手は蘇合が一番多い。
互いに競合にならないように内容やエリアの棲み分けもあるのだろう。
「蘇合、猫道が一枚噛んでいるとみて間違いないか?」
信心とは縁遠い詐欺師が宗教組織の幹部になっている。
当然、怪しんでしかるべきだ。
「そうだろうな、わざわざ宗教に入るようなヤツじゃねえから、そのために呼ばれた可能性は高い。とはいえ」
「とはいえ?」
「あの債券に関わっているとは思えねえな。アイツはそういう大きな勝負には出ないタイプだ」
あくまでも回収室が依頼されたのは、紙の米国債券の回収であって、USPを詐欺集団として立件逮捕することではない。
「そうか……。顔を見ればわかるか?」
「……ああ、忘れたくても忘れられねえよ」
何かの想いを込めて、蘇合が答えた。
顔を知っている程度ではない因縁のようなものがあるらしい。
「知り合いなのか?」
「……まあ、そういうこった。さて、どうするか、だ」
「もう少し様子を見た方がいいな」
「こんなのがあるよ」
ちょうど沈水が一通のメールを表示する。
「これこれ、セミナーは本当にあるみたいだ。『未来を幸せにする、昨日を変える』だってさ」
そこに表示されたのは、今日の夕方に行われるセミナーへのキャンセルを依頼するメール文だった。
急用ができて都合が悪くなり、参加できないという。
沈水が公式サイトの情報と照らし合わせ、間違いないことを確認する。
「いかにも自己啓発っぽいな。それで?」
肩をすくめて先を促す蘇合に、沈水は悪戯っぽい笑みを浮かべ楽しそうに言った。
「このセミナーに参加してみるっていうのはどう?」
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