第3話 保守主義の原則⑦


 二人がマンションを離れたあとで警察がやってきたらしい。


 第一発見者である二人だが、証言をする義理立てはなかった。

 回収室をいつも無下に扱っていることに対するささやかな意趣返しといったところだ。


 蘇合の運転で回収室に戻った。

 俯いたままの栴檀は助手席で風を浴び、蘇合も何も言わなかった。


 回収室としての仕事は果たした。


 回収室には蘇合と栴檀の二人しかいない。

 五時を過ぎているので零陵は帰宅しており、半ば住処にしている沈水もいない。

 指示を出した馬酔木室長も姿を消していた。


「どうして自殺なんてしたんだ」


 栴檀がこぼす。


 これまで捕まえた詐欺師は、誰も彼も反省などしていなく、しているとすれば、今回はなぜばれたのか、次はどう上手くやるか、それくらいだった。


 熟練の詐欺師は相手を傷つけることも、自分が傷つくことも避ける。

 ポリシーなのか知らないが、それが彼らに共通の考えのようだった。


 鯱も詐欺をしたことに対して、罪の意識があるようには思えなかった。

 詐欺の共犯で、国税庁すら騙したとはいえ、そう長い懲役になるわけではない。


 わざわざ死ぬほどには思えない。


 工場で犬神の名前を出して問い詰めたときに見せた鯱は『失敗した』ことを理解した顔をしていた。


「お前は本当に数字しか見ていないんだな」

「何だって?」


 窓越しに外を見ながら、蘇合が缶ビールを揺らす。

 部分的な反射が二人の表情を映していた。


「お前の家族は元気か?」


 同僚であっても室員の個人情報には極力触れない。

 栴檀自身は無実ではあるが、栴檀も含めて回収室のメンバーは犯罪者だ。

 馬酔木につけられた今の名前以外に、それまでの本名もあったはずだ。

 それらには触れないのが、不文律としてあった。


「いいや、今は」


 栴檀の両親は幼い頃に死んでしまっている。

 就職するまでの彼自身の進学や生活は、大部分は優秀であることを担保にした奨学金だ。

 横領の罪で逮捕されたとき、彼に家族がいなかったことは、むしろマスコミに追いかけられる心配がなかっただけよかったと思うほどだった。


「そうか、俺もだ」


 蘇合も同じらしかったが、いないことの理由は言わなかった。


「税務署から見つけてきた。鯱のまだ黒字だった頃の確定申告書だ」


 四つ折りにされたコピーを蘇合が渡す。

 それを栴檀がじっくりと見た。


「配偶者控除、それに、同特障か」

「赤字になってからは、入れてねえみたいだな」


 確定申告書に記入する扶養状況だ。

 扶養している親族がいれば、それを扶養親族としてカウントすることで所得税と住民税の控除が受けられる。


 赤字であればそもそも納める税金がないのだから、家族を扶養していることによる所得控除は受けても意味がない。

 だから、赤字以降にはわざわざ記入をしなかったのだ。


「いや、こっちは離婚していたのか」


 蘇合が言い直す。

 配偶者控除はその名前の通り、配偶者を扶養している場合に加算される控除だ。

 赤字になって入れていないという考えと、かつては結婚していたが今は離婚しているために入れることができないという考えの二つがある。

 蘇合はそれを後者だと訂正したのだ。


「形式上はどうかはこれだけではわからない、が」


 鯱は借金をしている。連帯保証人になっていなければ、借金の催促がいかないように離婚して妻子を実家に帰すなどの手続きをすることは珍しくない。


 そして、同特障。

 これは同居特別障害者の略称で、障害の程度が重い障害者を同居して扶養している場合に加算される。

 確定申告書では勤労学生控除と障害者控除で一つの枠に収められているが、鯱が勤労学生ではないのはわかっている。

 そして障害者控除、特別障害者控除、同居特別障害者控除、の違いは控除される金額でわかる。


「調べておいた」


 蘇合が調査報告書を読む。

 同時に栴檀は確定申告書の二枚目に記入されている家族欄を読んでいた。


「鯱には妻と子供がいた。子供は難病で、海外で臓器移植をすることが残された手段だったようだ」


 栴檀が眉を曇らす。


 それだけで蘇合の言いたいことが伝わった。

 海外で臓器移植をすることは、順番待ちの列に割り込むことも含めて莫大な金がかかる。

 2億でも足りないかもしれない。

 本人は事業用の借金よりも、そちらの方を気にしていた可能性が高いだろう。


「ほらよ、拾った紙だ」


 鯱のマンションで拾った紙らしきものを見せる。


 つたない文字で、父への感謝を伝える言葉と車の絵がクレヨンで書かれていた。


 鯱がやっていたのは、遊びのためではない、事業継続のためでもない、まさに、命のための詐欺だったかもしれないのだ。


「だったら」


 蘇合は少しだけ語気を強めた。


「だったら、お前は見逃していたか?」


 栴檀は肯定も否定もできなかった。


 室員として、犯罪は見逃さない。

 犯罪収益は確実に回収する。

 それが彼らの仕事だ。


 それに犯人の個人的事情を含めるわけにはいかない。

 栴檀だけではなく、蘇合もそう言うはずだ。

 たとえ犯罪者に事情があろうとも、犯罪は犯罪であり、被害者の金が奪われたことに変わりはない。


「そうだ、それが『正しい』。少なくとも俺らにとってみれば、な」


 しかし、鯱が自殺した理由にはならない。


「鯱は五年前、まだ事業が傾きすぎていないときだな。5千万の死亡保険金に加入している。一括でだ。資金繰りが苦しくなっても解約はしていない。解約金があれば多少借金を返済することはできただろう。でもしなかった」


 蘇合は一呼吸置いてビールを飲み干す。


「死亡保険金の取り扱い。これはお前の専門だろ」

「放棄の例外」


 2億の拾得物がなくなった鯱は債務超過の状態だ。

 犬神との取り分はわからないが、半分ということはないだろう、かなりの額の借金が残るはずだ。

 自己破産をすれば借金は棒引きにできるが、すべてを失ってしまう。

 家族が生きていくのはこれまで以上に厳しくなるだろう。

 難病の子供がいればなおさらだ。


 人が死亡すれば相続が始まる。

 相続はプラスの財産だけでなく、マイナスの財産、つまりは借金も対象になる。

 よほどのことがなければ借金を相続する人間はいない。

 相続放棄、という手段だ。


 しかし、その相続放棄は、プラスの財産も同時に放棄することになる。

 借金は放棄するが、資産は手に入れる、というわけには当然いかないのだ。


 その例外として、死亡保険金がある。


 死亡保険金は契約者が死亡人であっても、民法上は死亡人の『財産』とは扱われないため、その他の借金を相続放棄しても、相続税の対象になることをいとわなければ、相続人が相続することができる例外的な扱いを受ける。


 5千万があれば当座の生活は十分に過ごせるだろう。


 借金を帳消しにしつつ、5千万を家族に残すため、鯱は自殺という手段を取った。


「あとは保険会社の出方次第だな」


 死亡保険金は、通常一年から三年の免責期間を過ぎれば、自殺も支給の対象になる。

 蘇合の言葉によれば、加入は五年前、免責期間は十分に過ぎているだろう。


 ただし、保険金支給を目的として自殺を行った場合はその限りではない契約もある。

 別な理由で自殺をし、結果的に保険金が請求されるのであれば保険会社も強く言わないが、保険金目当てで死なれては、それは保険契約の前提を逸脱してしまう。

 蘇合の言っていることはそういうことだ。


「まあ、俺が書いておいてやるよ」


 あくまで、保険金目的ではなく、借金に首が回らなくなって自殺をした。

 保険会社に『進言』するという意味だろう。


 JMRFの本業も調査だ。

 上手く誘導して、保険金調査がJMRFに依頼されるようにする伝手があるのかもしれない。


「それともこれは違法か? 保険金詐欺か?」


 栴檀は首を振った。


 人の心はわからない。

 本当に鯱は保険金のことに気が回らなかったかもしれない。

 どう評価をするかは、それぞれの自由だ。

 客観的評価が、真実を言い当てるかどうかは定かではない。


「だから」

「す……」


 すまない、と言いかけた栴檀を蘇合が見透かしたように遮る。


「別にお前が失敗したわけじゃない。まあ、気に病むなやエリート」

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