第2話 単一性の原則⑥


 蘇合を先頭に部屋の内部に入る。


 典型的なワンフロアの賃貸事務所で、スチール机とキャビネットがある。

 雑居ビルには珍しく、部屋の隅にトイレがあった。

 他のフロアの人間と顔を合わせないように配慮してビルを探していたのかもしれない。


「まあ、いっちょやるか」


 蘇合が両手を合わせて音を鳴らした。

 誰からの反応もなく、音が空しくフロアに響く。


 中に人間は誰もいない。

 本店逮捕の連絡を受けて、蜘蛛の子を散らして逃げてしまったのだろう。

 窓はブラインドが降りているが、上げても太陽光など入ってきそうにない立地だ。


「何かあればいいんだが、電話もないな」


 机の上にはペンと紙があるだけで、普通の事務所に置いてありそうなパソコンも内線外線が使える固定電話も置いていない。


 明日から他の会社が使おうと思えば難なく利用できそうなほど整頓されていた。

 犯罪組織の根城という想像とは離れて床もきれいだった。

 情報が漏れることを恐れて、ゴミの持ち帰りも固く禁じられ、ゴミの分別もきちんとして残さないようにしていたのだろう。


 一昔前であれば、詐欺系と言えば電話勧誘系の押し売りと同じく固定電話が並んでいたが、今は携帯電話全盛の時代だ、机の上にも電話は置かれていない。


「沈水が飛ばしの情報を探している」


 栴檀が部屋を一周しながら蘇合に言う。


「俺も探してるが、こっちの伝手じゃなさそうだな」

「前は買っていたのか?」

「プリペイドの頃はな。最近は伝手がないと絶望的だ」


 携帯電話は昔なら契約が簡単で、ほぼ匿名のプリペイド式もあった。

 これが犯罪に多く使われるようになると、契約が厳しくなり、個人確認もきちんとするようになった。

 かつては新規契約者を集めるために過剰なキャッシュバックを行っていた時期もあったが、総務省から言われてそれも控えめになってきた。

 一般の利用者にとっては不便になったが、犯罪に使いたい人間にも大打撃となった。


 その一方で抜け穴も生まれた。

 個人で契約させて、その携帯電話を通信契約ごと買い取る方法が今では一般的だ。

 三大キャリア以外に格安での通信通話会社が増え、スマートフォンの端末価格も安いものが出回ってきたおかげで、個人で複数回線を持つこともさほど珍しくなくなってきた影響もある。


 元々個人契約した回線を他人に売ろうと契約違反をするような人間なのだから、遵法意識も低い。

 買った側もわざわざ携帯料金を払うわけでもない。

 未払いが生じて、強制解約させられるまでだけ使える端末だ。


 だからこの手のものは消費期限が短い。

 電話料金を保有者ではない他者に『飛ばす』ことから、この手の携帯電話は『飛ばし携帯』と呼ばれている。


『買った』ときには使えなくなるなどのリスクもあり、買い手も信頼できる売り手からでないと買わない。

 偽造株券を購入させられたドラッグ店のように、詐欺師が詐欺にあっても被害届を出せないので、詐欺師を専門に狙うグループまでいるほどだ。


「会社で買わないのか? たくさん持っているはずだ」


 栴檀が言っているのは、送りつけ詐欺のときに発覚した、蘇合が持つ休眠会社のことだ。


「あれはとっておきだ」


 個人での契約は難しいが、『法人』で契約をするだけなら実はそれほど難しくない。

 法人契約は大量の携帯電話を契約してくれるため、代理店も審査が甘くなりがちだ。

 それならば最初から契約専用の活動実態のない法人を用意すればいい。

 半ば怪しいと思っていても、数十、ときには百近い契約をするのであれば、片目を瞑ってでも通してしまう。


 法人は送りつけ詐欺のときのように、休眠会社を使っても、ペーパー会社を立ち上げてもいい。

 そういう『代理店』そのものを作ってもいい、それなら契約はし放題だ。


「お、お、名簿みっけ」


 部屋の端にあった灰色のキャビネットを開けて、蘇合がファイルを掴む。


「よほど慌ててたんだなあ」

「名簿?」

「カモリストだな。これはこれは、上物だ」

「盗むなよ」


 栴檀がキャビネットに向かう。

 蘇合は楽しそうに読みふけっている。


「ここまで高精度の名簿もそうない。見てみろよ、痴呆のレベルまであるぞ。これは介護関係から流れたな」


 リストは名簿業者と呼ばれる業者、あるいは個人で営んでいる名簿屋から買うことが多い。

 プライバシーにうるさくなった現代では存在しないと思われがちだが、名簿業者は今もなお健在だ。

 なぜなら、個人情報保護法では、個人情報を不正な方法以外で集めること、そして売ることは禁止されていないからだ。

 かつてのように住民基本台帳を自由に閲覧できなくなっても、それまでの情報や、新規にその他の名簿から取得し、名寄せをすることで名簿は維持されている。


 連絡をすれば名簿から削除されるが、そもそも名簿に載っていることを一般市民が知る機会がない。

 第三者への販売は本人の同意が必要なはずだが、同意に代わる措置、という法律文言があり、名簿業者の店舗に掲示するだけで事足りてしまう。

 そうこうしているうちに、名簿は他の業者に買われ、完全に世の中から消すことが不可能になる。


 こうした業者は合法なので、インターネットでも検索すればいくらでもヒットする。


「これは違法名簿だ」

「そりゃそうだろ」


 最初に情報を記入するとき、その手の個人情報を集めて第三者に提供する旨の文言が小さくても書かれていなければいけない。

 さすがに、痴呆の状態が書かれている情報を提供するとは思えない。

 だとすると、蘇合の手にある名簿の一部は介護業界から流れてきた可能性が高い。


「しかし、まあ、この辺のリストが最近アツい」


 子供と高齢者のデータは高く売れるというのがこの世界の常識だ。

 違法に取得された情報でも、違法だと理解しているのは最初に流出させた人間と、買い取った人間だけしか知らず、どう考えても怪しい情報項目でも、転売が繰り返されていけば、名簿業者は違法に取得された情報だとは知らなかった、と言い張ることができる。


「一応こっちから洗っておくか。あんまり自信はねえがな」


 蘇合は名簿業者と付き合いがあるようだが、かつての詐欺師ではなくJMRFに所属しているという情報が業者に広まってくれば、その情報提供も難しくなってくるのだろう。


 だが、名簿にどのような名前が載っているかで、売り手がわかるケースもある。

 名簿業者にも、それぞれ得意分野というのがあるのだ。


「零陵さんに頼んでください」


 栴檀が零陵に頼めと言っているのは、回収室の経費全般を担当しているのが零陵で、零陵から名簿の購入経費を出してもらえ、ということだ。


「シンデレラには最近避けられているからなあ」

「蘇合がからかうのが悪い」


 回収室は犯罪に使われた資金の全額回収を目標としているが、だからといって経費をまったく使わないわけでもなく、それが妥当な範囲であれば、経費として計上してもよいことになっている。

 それがたとえ犯罪者相手であっても、だ。

 そのあたりは、国税庁とも協議をし、馬酔木が言質を取ってきたという。


「おいおい、栴檀、こっち来てみろ」


 キャビネットを物色していた蘇合が名簿とは別のファイルを見つけ、栴檀に渡す。


「これは」


 受け取ったA4のファイルをめくり、栴檀が呆れる。


「どうだ?」

「これは、帳簿だ」

「アホくせえ、こいつら本気で『会社』だったのかよ」


 ファイルに書かれているのは詐欺グループの実績表だ。

 しかも会計帳簿として機能するように、収入、支出がノートに明確に書かれていた。

 配分や上部組織への上納金にも使っていたのだろう。

 個人で詐欺をやる分には必要がないが、人数が増えれば人間関係が出来上がる。

 極力連鎖逮捕をなくすために個人間の連絡は禁止しているはずだが、金のやり取りはそうはいかない。


「組織が大きくなるとドンブリ勘定ではいられなくなる。明瞭性が必要になってくる」

「そりゃお前の経験か?」

「そう」

「その『会社』に会計士でも入れるか? 『会社』には会計監査が必要だしな」


 そう言い、蘇合がわざとらしく笑った。


「変な顔するなよ、儲けものじゃないか」


 メガネの奥の眉をひそめる栴檀に蘇合が言葉を繕った。

 栴檀は右手を顎に持っていく。


「金の出し入れをしていた会計担当者が高飛びしたか、警察に捕まったのか、いずれにしてもこんなものを残すなんて不用意だ」

「まあいいじゃねえか」


 振り込ませた被害者、受け取り以外に使った入出金口座、分け前の配分、物品の購入、相手先は暗号化されているようだが、それでも金額が書かれているのは大きい。

 流れを追えば、失う前に回収が見込める。


「さっきのヤツと関係があると思うか?」


 栴檀が聞いたのは階段ですれ違った男のことだ。


「一味かどうかか? こいつを回収しに来たのかもしれないな」


 蘇合が手に持った名簿を栴檀の目の前に掲げる。


「そこで物音がして慌てて逃げた」

「かもしれん。アジア系なら、元々この部屋を借りていたヤツかもな」

「名簿と帳簿。警察には?」

「届けるわけないだろ、持って帰るぞ栴檀」

「わかった。名簿コピーして使うなよ、詐欺師」

「わかってるって」

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