エピローグ
エピローグ①
「うるさい、黙れ」
「残念です、もう少しおしゃべりをしたい気持ちがあったのですが……」
栴檀は、これ以上この男と会話をしていると、自意識が揺らいでしまう、という感覚があった。
会話を終わらせる方法は、今のところ、一つしか浮かばない。
そして、それは、以前林で別れたときの場面の再来だ。
青年が言い終わる前に、男は人差し指に力を込めた。
的を外さないように、心臓の辺りを捉える。
今までの想いと、
決意を込めて、
鉄の重さを感じながら引き金を引く。
パンッ
右手からは小さな音がした。
その音も消え、静寂に包まれる。
自分の鼓動が大きく聞こえた。
目の前には倒れている馬酔木がいる。
そう思っていた。
だが、それに反して聞こえてきたのは、パチパチという馬酔木の拍手だった。
「素晴らしい。私の予想を裏切りました」
何も起こらなかった。
依然として、笑みを浮かべる馬酔木。
「……そうか」
零陵の拳銃は気がつかれずに放っておかれたのではない。
実弾が空包に入れ替えられていたのだ。
万が一、栴檀が馬酔木を撃ったときのために。
「撃つ勇気はないと思いましたよ。あなたはいつも私の予想を裏切りますね」
予想が外れたことをうれしがるように、座ったままの彼は笑みをこぼしている。
「ご褒美を上げましょう」
馬酔木はそう言って、黒い棒状のものを栴檀に投げた。
それをキャッチする。
「入れ方はわかりますか?」
「……ああ」
馬酔木が渡したのは拳銃のマガジンだ。
「今度は本物です。狙うなら慎重に」
「いいのか? こっちは本気だぞ」
馬酔木から目を離さないようにしながら、マガジンを交換する。
零陵から簡単な使い方を口頭でレクチャーされていたのだった。
「なぜ撃たせようとする」
「ご褒美だと言ったでしょう。どうせ捕まるのであれば、私はあなたに殺されたい。その資格をあなたはさきほど得ました」
「逃げられたはずだ」
わざわざ一人きりになる必要はない。
栴檀を待つ必要もない。
これでは馬酔木はただの自殺志願者だ。
「どうしてでしょう。難しい質問です。もしかしたら、私は死にたかったのかもしれませんね」
「……そうか、いいんだな」
「どうぞ、ご自由に。私は最初からそのつもりなのですが、どうも部下が心配性でしてね」
馬酔木の言葉を信じれば、空包と入れ替えたのは彼ではなく、彼の身の安全を確保するために仲間が勝手に入れ替えたのだろう。
「仲間はどこにいるんだ?」
「この部屋にはいませんよ。人払いをさせています」
「馬鹿な」
馬酔木がいることは確信していたが、まさか、誰も警護していないとは、にわかには信じられない。
マガジンを入れ、再び馬酔木に照準を合わせる。
まさかこれも空包というわけではないだろう。
馬酔木が渡したのだから、これは実弾のはずだ。
覚悟を持って撃った一度目があったから、二度目は少しだけ軽い気持ちになれた。
「これで終わりだ」
その声に応じて、馬酔木が目を閉じる。
「待て!」
横から声が割り込んできた。
「蘇合」
声の主は蘇合だ。
蘇合は息を切らしながら、栴檀が構えていた銃の銃身部分を掴んだ。
零陵はまだ体力が戻っていないのか、その姿は見えない。
「馬酔木の言う通りだ。お前が犯罪者になる必要はない」
「その通りです」
馬酔木も姿勢を崩さず認める。
「あなたも同じですよ。根っからの悪人にはなれない」
「なんだと?」
顔は向けず、馬酔木は視線だけを蘇合に向ける。
「せっかく、復讐の機会を与えてあげたというのに」
猫道のことだ。
USPに関与していた馬酔木だ、猫道のことを知っていてもおかしくはない。
蘇合のこともだ。
蘇合の家族を壊したのが猫道だと知っていて、猫道と引き合わせたのだろう。
もしかしたら、殺すチャンスをあのとき用意していたのかもしれない。
しかし、実際には、蘇合は殺さなかった。
それが正しいと栴檀は思っている。
横目でちらりと蘇合を見るが、怒りでも呆れでもない、真剣な表情を崩さない。
「大きなお世話だったな」
「そのようですね」
「栴檀、はやいとここいつを連れて行くぞ」
「だが……、警察には連れて行けない」
馬酔木は戸籍上死んだことになっている。
身代わりを立てて逃亡した事実は、政府内でも一部の人間しか知らされていない。
公的には依然として馬酔木由紀は死亡済なのだ。
「鷺ならなんとかしてくれるだろ」
鷺は馬酔木が生きていることを知っている内調の人物だ。
馬酔木を造り出したチームの一員でもないはずだ。
引き渡す相手ならベストかもしれない。
「ああ、鷺、なるほど、貴方たちを手引きしていたのは彼だったのですね」
二人の会話を聞いていた馬酔木が何かに感心したかのように言う。
「鷺を知っているのか?」
「昔の『我々』と反目していたグループの末端ですよ。トカゲの尻尾、蟹の足先です」
それは鷺自身が言っていたことだ。
しかしそれだけではない含みが馬酔木の言葉にあった。
「そして、あなたと同じ、出来損ないです。あなたの同期じゃありませんか、一緒に育ったはずですよ」
「……そうだったのか」
鷺が栴檀に見せた親しさはそこから来ていたのだ。
鷺は小さい頃の栴檀も知っていたのだろう。
知らなかったのは栴檀だけだった。
「……あと何人いるんだ」
「さあ、どうでしょうね」
空とぼけて、馬酔木は右頬を上げるだけだった。
「さて、そろそろですか」
馬酔木が左耳に手を当てる。
そこには、スーツの襟へと繋がるコードが伸びていた。
誰かと通信していたのだ。
「逃がさねえぞ」
蘇合が近寄ろうとしたのを、馬酔木が左手で制止してみせる。
蘇合は外の仲間から、逃げる準備が整ったという連絡があったと思ったのだろう。
「『私』は逃げませんよ、大丈夫です」
そう言って、馬酔木はごく自然な動作で、スーツの胸に手を入れ、自身の拳銃を取り出した。
マガジンは嵌められていない。
栴檀に渡したのだ。
「一発だけ、装填されています」
右手で持ち上げた仕草で、咄嗟に栴檀は身構える。
「……ああ、とても楽しかった」
何をしようとしているのか、栴檀にはわかった。
蘇合も理解をしたのだろう。
馬酔木は二人を撃つつもりなのではない。
「止めろ!」
叫んだのは栴檀だったのか、蘇合だったのか、それとも他の誰かだったのか、もうわからない。
対する馬酔木は、嬉しそうに笑っている。
「楽しかったですよ、ありがとう」
そして馬酔木は銃口を自らのこめかみに当てた。
馬酔木の最期の言葉は消え去り、空気が弾けるような軽い音が響き、闇に溶けていった。
栴檀が駆け寄るが、暗闇で温かい液体が手に流れていくだけだった。
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