エピローグ②


 数ヶ月後。


「どわっしゃー!」


 だだっ広い倉庫に威勢の良い声が拡散し、反響していった。


「神妙にお縄につけ!」


 叫び声とともにやたらと時代がかった啖呵を切ったのは蘇合だ。

 秋口になり、東京でも肌寒さが感じられるようになっても、いまだに蘇合はトレードマークのアロハを着ていた。


 蜘蛛の子を散らすように倉庫の中にいた男たちが逃げ惑う。


 とある埠頭の、とある貸倉庫だ。


「では」


 栴檀と蘇合の横にいた鷺が気力もなさそうにゆっくりと話す。


「ああ、また頼むぜ」

「わかった」


 鷺の調査によって、馬酔木が起こした偽造クレジットカード現金不正引き下ろし事件の日本にいる残党の居場所がわかり、警察とともに一網打尽にしたのだ。


 馬酔木が第三国に流してしまった分の回収は困難だが、ひとまずは回収室ができる事後処理が片付いたことになる。


 回収室の室員ではないものの、鷺は今回の一連の事件でほぼ専属的に回収室担当ということになったらしい。

 省庁でも、自由派が力を持ち始めているということの証左だ。

 管理派の一員だった社長は交代し、別な社長が派遣されてくるらしい。


 馬酔木の後始末も、鷺に任せていた。

 鷺によると、馬酔木の配下の人間が大鳳以外見つかっていないため、しばらくは慎重に事を進めるという。


 牛囃の遺体は、ほぼ間違いなく本人だろう、という結論が出ていた。

 USPビルの牛囃の個室から採取された髪の毛と、遺体のDNAが一致したのだ。


 ということは、本当にあの僅かな時間で撮影を行ったのだろうか。

 そんなことができるなら、奇跡が起こったとしか考えられない。

 『次世代の子供』プロジェクトのこともある。

 栴檀は回収質として、彼女の制止も含めて独自に調査することに決めた。


「沈水、そっちの状況はどうだ?」


 回収室に待機して犯人たちの動きを監視している沈水に連絡をする。


『はいはーい』


 栴檀の耳元に明るい女性の声が響く。


「またお前か」


 同じ音声を受信していた蘇合が嘆息する。


「勝手に回収室に上がり込むなよ。だいたいお前敵だったじゃねぇか」

『ま、いーじゃんいーじゃん、ね?』


 蘇合の文句に、意にも介さず軽口で返す。


 声の相手は大鳳だ。

 大鳳は事件以後、暇を見つけては回収室に遊びに来ている。

 セキュリティレベルを上げようとも、軽々と突破して侵入してしまうのだ。

 セキュリティは沈水が管理しているため、幾度となく沈水が手引きをしているのではと疑いをかけられていた。


「おい、沈水も何とか言えよ」

『いやあ、ううん、まあ、悪意はないみたいだし』


 蘇合が嘆きの矛先をそばにいるはずの沈水に向けるも、曖昧な返事をするだけだった。


「悪意がないのが怖えっての。ったく絆されやがって」

『どーせなら、私を雇うってのはどう? こっちも楽しそうだしー』

「あのなあ」

『いいじゃないですか? 人手が必要なことは間違いありませんし、能力はここにいる全員が保証できるでしょう』


 会話に参加したのは零陵だ。

 栴檀の目からみても零陵は大鳳と仲が良さそうにも見えないが、ときには女性用ロッカーの利用を黙認しているようだった。

 回収室には他に女性がいないから、寂しいのかもしれない。


『どうですか、室長』

「確かに人手は足りていない」


 問われた栴檀が答える。

 大鳳の能力は折り紙付きだ。

 高校生というのが引っかかるが、それについては沈水もさほど変わりない。

 何より零陵の言うように回収室の人員が足りていないのは事実だし、特にロンダリングは電子世界が主戦場になり始めている。

 能力だけなら喉から手が出るほどほしい人材だ。


 今は亡き馬酔木の手下だ、こちら側に引き込めれば、意志を継ぐような残党がいても、その情報が手に入るかもしれない。


 現に、走り出したユーコインは彼らの管理を離れて流通をしている。

 誰かが価値があると認め続ける限り、存在を消し去ることはできず、ネットの波をさまよい続けるのだろう。


「あのなあ」


 四面楚歌になった蘇合がまたも深い溜息を吐く。


「まあ室長が決めるなら仕方ねえな」


 蘇合は頭を掻きながら、観念したようだ。


「ん、どうした栴檀?」


 上空方面を見上げた栴檀に蘇合が問いかける。

 栴檀の眼鏡に、何かに反射した光が入り込んだ気がした。

 太陽光を反射した鏡をこちらに向けられたような感じだった。


「……いや、気のせいだ」


 おそらく倉庫の鉄骨か何かがたまたま都合良く反射しただけだろう、と栴檀は思うことにした。


「そうか、いいけどな。ああ、そうだ、栴檀」

「なんだ」


 少しだけ言い淀んでから、蘇合が言う。


「あまり気にするなよ」

「聞いていたのか」

「まあな」

「悪い」

「別に問題はない」


 事実、栴檀はそれほど気にはしていなかった。

 気にしたところで、何が変わるのか、という想いがあった。


 ただ、馬酔木と繋がりがあることがわかった。

 馬酔木の言うように、もし自分にその適性があれば、自分が馬酔木となり、馬酔木はこれまでと違う、もしかすると普通の人生を歩むことができたのではないか。


「それは違うと思うぞ」


 蘇合がその考えを見透かしたのか、否定する。


「お前はお前で、あいつはあいつだろ。結果論かもしれないが、戻せないことを今更どうこう言ったって仕方ない」

「それは経験か?」

「まあな、おっさんの戯言だ。それにお前だって、結局人生仕切り直しじゃねぇか」

「そうか、そうだな」

「よし、仕事も片付いたし、飯でも食いに行こうぜ!」


 蘇合が右手の親指を立てて栴檀を昼食に誘う。


「いや、いい」

「なんでだよ! なんか良い感じになっただろ今!」

「そうか?」

「これだからエリートはよー」

「元、だ。今はただの会社員だ」

「そうだな、ま、これからも頼むぜ室長」


 蘇合が栴檀の肩をポンと叩く。


「ああ」

「ま、飯だ飯だ、今日は中華だな。美味い麻婆ラーメンを食べに行こうぜ」

「どうする?」


 栴檀がイヤフォンをとんとんと叩く。


「もちろん、沈水と零陵も行くぞ! いつものあの店で待機だ」

『仕方がないなあ、行ってあげるよおっさん』

『そうですね、時間もちょうど良いようですし』


 沈水と零陵からそれぞれ了承の通信が入る。


『あ、いーなー、私も行きたいー』


 大鳳がなぜか乗り気になっている。


「うるせえ、お前は自腹で食え」

『てことは他はおっさんのおごりか。やった』

『すみません、杏仁豆腐もつけたいのですが』

「わかったわかった、お前ら好きなもの頼め。栴檀もぼけっとしてないで行くぞ」

「ああ、そうだな。行こう」








 栴檀と蘇合と、それから多くの警察官と犯罪者が去って行った後。

 栴檀が一瞬目をやった倉庫の屋上で風を浴びている影があった。


 影はじっと大捕物が行われていた現場を見下ろしていた。

 歳はようやく二十代になろうかという若々しい白い肌を持ち、体躯は細く、けれどしっかりとした立ち居振る舞いだ。


「そろそろ行きましょう」


 背後からサングラスをした女性に声をかけられ、影が振り向く。


「ええ、牛囃さん。いえ、今は他の名前の方がよろしいですか?」

「どのように呼んでくださっても構いませんよ」


 牛囃と呼ばれた女性はくつくつと笑った。


「あなたこそ、どうされますか?」

「他人につけられた名前などどうでもいいですが、そうですね、せっかく彼が呼んでくれたので、このままにしましょう」

「それでは危険では?」

「誤差の範囲です」


 影はイタリア製フルオーダーメイドのクラシコスタイルのスーツに身を包み、今見ていた栴檀を模倣したような格好をしていた。


「妹さんの件は残念でしたね」

「アレは最後に役に立ってくれました」


 影の問いかけに、女性はさらりと返した。


「あなたは本当に、過去を変えることができるのですね」

「ええ、ほんの少し、ですが」

「出来損ないの私たちを救っていただいたことは感謝いたします」


 女性は影に会釈をした。


「あなたは? 命はあといくつあるんです?」

「秘密です。残念ながら無限ではありませんが」


 そう言って楽しそうに影が笑う。


 影は女性の後ろをついて、屋上から階段へと向かっていく。


「楽しそうですね」


 ステップを踏むような軽い足取りの影に、微笑みながら女性が聞く。


「そうですか? ええ、そうですね、とても」


 女性に向かって、影だった青年は笑顔で上品に答えた。





「さて、次は何をしましょうか」





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