第4話 明瞭性の原則②


 食事を終えた二人は回収室に戻ってきた。


「栴檀さん、手続きは終わりました」

「ありがとうございます、零陵さん」


 部屋に入るなり零陵が報告をする。

 零陵が警察署から持ってきたものの保管手続きだった。


 鯱から回収したD券の一万円札だ。

 アタッシュケース二つ分で、警察署に保管されていたものを被害回復給付金支給制度の対象として法務省に引き渡す処理をするために、地下金庫に保管していたのだった。


「処理しておいたぞ」

「ああ」


 蘇合が書類を栴檀の頭に乗せる。


「まあまあだな、礼は言わなくていいぞ」


 蘇合が渡したのは、鯱が在庫として持っていた中古車の売却についての査定書類だった。

 離婚した妻と子供にはまだ連絡はしていないが、そのときに手早く現金化できるように準備をしていたのだった。


「土地の方は難しいだろうな。買い手がいるかどうかも怪しい。いっそ回収室で買っちまうか?」


 土地と工場はやはり資産価値がほとんどないらしい。


「何にも使えない」

「そりゃそうだ。保険の方もなんとかなるだろうよ。まあ、一件落着だろう」

「そうだといいが」


 鯱自身は、被疑者死亡のまま送検される予定だ。

 詐欺師相手に温情を、と思われても仕方ない、と栴檀は思っていたが、蘇合は何も言わず、手続きをしてくれた。


「これは?」


 テーブルに置いてあった書類を蘇合が拾い上げる。


「ドラッグ店の資料だ」


 栴檀は昼前にちらりと読んだだけだった。

 金銭的な面で新たな情報は何もなかった。


「ああ、あの。あれ、誰が見つけたんだっけ?」


 数日前にマトリと一緒に踏み込んだ店の情報だ。

 マトリが店の情報を掴んだわけではなく、回収室からマトリに連絡が行き、合同捜査という形になったのだ。


「室長だ」

「そうだったのか」


 室長直々に店の情報が出て、それを元に行動していたのだ。


「室長は何でも知っているな」


 蘇合が感心して腕を組みうなずく。


「確かに、そうだな」


 こちらを見た蘇合に合わせながら栴檀もうなずく。

 昼食時の会話を思い出しているのだ。

 蘇合の言う通り、馬酔木室長は有能だ。

 指揮官として有能なのは当然として、個々の実行能力についても決して他の回収員に引けを取るものではない。


「馬酔木は来ているか」


 突然、書類仕事中に回収室に入ってくる人間がいた。


 入ってきたのはスーツを着た男だ。

 栴檀ほどではないにしても、そこそこ高級そうなスーツを着ている。

 恰幅はよいが、髪をすべて後ろに持っていき、神経質そうな顔をしている。


 男の脇には男女一名ずつが控えていた。

 二人とも無個性で紺のスーツを着ている。


 回収室はJMRFの一部署といっても、行動はかなり独立しているためにそうそう室員以外の人間が入ってくることはない。

 そもそもエレベーターも、室員以外のセキュリティーカードでは三階まで運んでくれないのだ。


「馬酔木はと聞いたんだ」


 苛立たしげに男が再度聞き直した。

 回収室には室員の四人が揃っているが、馬酔木の姿はなかった。


『だれこのおっさん』


 沈水の顔は見えないものの、大画面に沈水の言葉が表示される。

 やってきた男にも見えていないはずはない。


「……社長です」


 沈水にもっとも近い席にいた零陵が小声でささやいた。


『あ、シャチョー』


 回収室に来ていたのはJMRFの社長だった。

 どこかの雑誌に載っていたのか栴檀にも見覚えがあった。

 五十歳を越えたばかりの元財務官僚だ。

 回収室に来るようになってから顔を合わせたことはない。


「ち、愚連隊め」

「申し訳ありません、社長。馬酔木はまだ出社しておりません」


 零陵が丁寧に頭を下げる。


「ふん、あいつにチャンスをやったというのに」


 ぶつぶつと不平を漏らしている。


「出社したらすぐに部屋に来るように伝えておけ、ドラッグ流通の件だと言っておけばわかる」


 社長とその秘書らしき二人が出て行った。


『えっらそうなやつだなー』


 冷蔵庫からジュースを取って自席に戻った沈水がディスプレイに映す。


「偉いんだろ」

「天下りだ」

『はーん、あれが』


 蘇合が突っ込み、栴檀が補足をして、沈水が納得する。


「JMRFは民間とはいえ、政府の関与が強い会社だ。天下りくらい受け入れる」

「というよりも、政府が絡んでいるからここがあるわけだしな」


 栴檀に、蘇合はテーブルを叩いて答えた。

 回収室自体がかなり政府寄りの組織だ。

 民間にこのような組織を作るためにも、政府に近い側の会社の方が都合がよかったのだろう。


『そう』

「ドラッグの件といえばこれだな」


 先ほどまで見ていた書類を蘇合が持ち上げた。


『回収室とは関係ないんじゃねーの?』

「沈水の言う通り、俺たち向けじゃないな」


 蘇合も同意見のようだ。


「栴檀、お前はどう思う?」

「社長が言っているのだから、何か関係はあるということだろう」


 室長がどのルートで情報を得ていたのか、というのも栴檀は気になるところだった。

 回収室の業務に直接触れていない社長が知っているというのも意味がありそうだった。


「ふーむ。まあ、関係があるとしたら、供給元か」


 蘇合が紙をめくる。


「おそらく」


 あの店が危険ドラッグを製造しているわけではない。

 どこからか仕入れているのだ。

 そこも合法ではないのは確かだ。

 犯罪収益を奪い取る回収室の立場からであれば、関係がゼロではない。


「うたっている様子がないな」


 蘇合が資料を読み込んでいる。

 マトリも供給元を見つけて叩きたいはずで、厳しく追及をしている。


 栴檀はあのヒッピーのような店長を思い出していた。


「あいつが取り調べに耐えられるわけがない、って顔してるぜ」


 蘇合がオモチャを見つけた顔でニヤニヤ笑いながら栴檀の図星をつく。


「ああ見えてな、意外と入手先は割らないもんだぜ。マトリもそれは了承済みだろう」

「報復か?」


 製造しているのか、どこかから仕入れている問屋なのか、どちらにせよよい筋ではないだろう。

 逮捕されたことも知られているし、間もなくして捜査の手が伸びたとしたら、漏れた先がどこか推測されてしまう。


 オレオレ詐欺で自宅と個人情報が知られているから通報できないのと同じ理屈だ。


「もちろん、それもあるけどな、まあ、実際はそうじゃない」

「どこが?」

「詐欺師と同じだよ、出てきたあと仕入れられなくなるだろ」

「そうか」


 詐欺師が逮捕されても反省しないように、ドラッグを売る彼らも多くは反省をしないのだろう。

 逮捕されても流通先を警察に売らなければ、出所後にまたコンタクトを取ることができる。

 向こうも逮捕されてしまっては、また仕入れ先をゼロから見つけ出さなければいけない。

 取引先を売ったと知られてしまっては、それも難しくなるのだろう。だから仕入れ先は警察には吐かない。


「マトリの見立ては?」

「少なくとも暴力団絡みではないらしい。海外勢かもしれないだってよ。東南アジア系だな」


 蘇合は資料をめくりながら答える。

 栴檀は数字ではないので記憶していなかった。


『噂ならあるよ』


 壁のディスプレイにどこかのウェブサイトが映る。

 文字が比較的多く、背景はシンプルな白だ。


「なんだこれ?」


 蘇合が首を捻った。


「取引サイトか」


 符号が並んでいるものの栴檀にはすぐにわかった。

 ドラッグの個人売買をしている掲示板のようだった。


 蘇合がディスプレイに近づく。


「引きこもりが見つけたのか?」

『なんだおっさん近眼か? いや、老眼か』


 サイトを表示しながら、ディスプレイの脇に文字を流した。


「ちげーっての、なんだこれ、アマチュアじゃないのか?」


 沈水が文字で揶揄し蘇合が否定する。


『これは僕のサイトだ』

「はっ?」

『僕が運営しているサイトだ。検索には引っかからないようにしている。情報交換用のサイト』

「まさかお前が供給元じゃねえだろうな」

『違うよ。売買を眺めているだけだ』

「にしたってお前」


 言い合いになりそうな空気を感じて、栴檀が口を挟む。


「このサイトの違法性については今は置いておこう。蘇合の『会社』のようなものだ。それで沈水、噂というのは?」


 蘇合は蘇合で、活動をしていない休眠会社を大量に持っている。

 名義が自分でないものも多いだろう。


『これ、このあたり』


 サイトがスクロールし、止まる。さらに一歩蘇合が足を進める。


「あの店ががさ入れされたときの日付だ。仕入れ先の話題だな。なるほど、アジア人か。拠点は新大久保みたいだな」


 あの店を贔屓にしていた個人が、これからどこで買えばいいのかという話題を振り、それに対してあの店と同じ供給元の店を紹介しているレスがついている。

 個人で仕入れることはできないらしいが、コンタクトを取る方法はあるという話も出ている。


「マトリの見方と一致している」

「室長は次はここを挙げようとしていたってことか」

「そうかもしれない。だとしたら、なぜ室長は目星をつけることができたのか」

「まあ、あとで来たらわかるだろ」

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