第3話 保守主義の原則

第3話 保守主義の原則①


 夕食を手早く摂り、蘇合と栴檀の二人は回収室に戻っていた。

 向かい合ってソファに座り、資料を読んでいる。


 蘇合は名簿から漏洩先と販売業者を調べようとしていたが、すぐに無意味であることに気が付き、警察に逮捕された詐欺グループメンバーの取り調べ調書を読み込んでいた。


「何かわかったか?」


 蘇合が顔を上げ、栴檀の方を向く。

 栴檀は資料を見ず遠いところを見ていた。

 帳簿のデータは暗記したということだ。


「わかったといえばわかった」

「奥歯にものが挟まった言い方だな」


 蘇合がテーブルに置いていた缶ビールを開ける。


「ビールを飲むな」

「一本だけなら大して変わりはしねえよ。それで」


 コンビニで買ったビールを喉に注ぎ込みつつ、蘇合が缶を持った手を突き出し続きを促す。


「帳簿だが、取引全体が記載されている。この帳簿を信じるなら、警察の手が入った本店と、この支店しか存在していない」


 蘇合が調書を置く。


「確かに、調書を見ても今うたっている連中の話でも、本店とあそこの支店以外はないみたいだが、犬神が隠している可能性はあるな。犬神は本店ではなく主に支店にいたようだ。あっちの方が成績がよかったみたいだからな」


 うたう、は自供する、の意味だ。

 蘇合が続ける。


「あとはそうだな、やっぱり役割分担はかなりしっかりしてたみたいだ。犬神のことも、姿は知っていても、名前を知っていたのは電話係の数人だけだったようだ」

「逃げている連中は?」

「いるようだが、犬神がメンバーリストを持っていたらしい。逮捕されるのも時間の問題だろう」

「取引材料か?」

「かもな」


 情報を提供することで情状酌量を図り、減刑を狙うつもりかもしれない。

 あるいは自分が逮捕されたのに、下の人間を自由にさせたくないという意味かもしれないが。


「リストが正しいなら、そいつらが残りを持っている可能性は少なそうだな」

「だろうな」


 犬神の金を持ち逃げしている人間はリストの中にはいないのだろう、というのが蘇合の考えで、それには栴檀も同意見だった。


「帳簿には何が書いてある?」


 蘇合が水を向ける。

 テーブルに置いた帳簿を見ずに栴檀が答える。


「まず収入だが、予想通り4億円近い」

「そうか、目論見通りだな」


 回収室の調べでも、彼ら詐欺グループの収入――世間から見れば被害――は4億円程度だと見積もられていた。


「支出のほとんどは飛ばしケータイ、あとは給料。給料は日払いだ」

「そりゃそうだな。月末払いで月末にはお縄になってたら意味がないもんな」


 空になったビールを揺らして蘇合が笑う。


「帳簿によれば犬神の利益は2億2千万だ」

「売り上げの半分か、結構だな」

「うち1千万は警察が確保している」

「ん、じゃあ俺たちが探すのは2億1千万ってことだな」

「それよりも、気になる点がある」

「ん、なんだ」


 栴檀の言葉に蘇合も真顔になった。


「支出項目の中に、暗号化されて相手はわからないが、同一人物、あるいは同一組織に、消耗品、手数料を払っている。どちらも結構な額だ。日付は同日で、かなり最近だ。相手先は840となっているが、符号だからこれだけでは解読できるとは思えない」

「なるほど。金額は?」

「消耗品は10万。手数料にいたっては1千万だ」

「1千万とはデカいな。手数料、なんだ?」


 栴檀は首を振る。


「最初は『講師』への謝礼かと思ったが、それにしては最近だ」


 オレオレ詐欺などの振込詐欺が大がかりになるに従い、『脚本家』とそれを教え込む『講師』が必要になるようになった。

 彼らは詐欺グループに専属しているというよりも、作り、教えるだけの存在であることが多い。


「蘇合の説明が正しければ、今は恐喝型に移行しているはずだ。脚本や講師に金を払う必要はないはず」

「うーん、わからねえな」

「そっちは? 他にはないのか?」

「取り調べを受けているヤツだが、これは『弁護士』役を担当していたみたいだな」


 現在では単独で振込詐欺を行うことは珍しい。

『本人』が電話をかけたとしても、声で疑われないように長時間話さず、示談を行うという弁護士や、警察と名乗る人間に代わり、こちらが金額の交渉をすることが多い。


「調書を読んだが、連中、やっぱり反省の欠片もなかったぞ」

「そうだろうな」


 詐欺師は反省しない。

 これはもう栴檀にも身にしみてわかっていた。


「俺たちは、金のあるところから、ちょっとだけいただいているだけだ、だとよ」


 言うに事欠いて結構な言い草だ。


「その相手が老人か」

「続けるぜ。金を家に溜め込んで使いもしないヤツから、今すぐ用意できる分だけをもらっているだけだ。元々金が余っているヤツから取っているんだから、300や400取ったところで、どうせ死にはしねえ。それよりも俺たち若者が使ってやった方が景気もよくなるだろ。だとよ。いやはや経済だねえ」


 日本の金融資産の60%以上を六十歳以上が保有しているのは事実だ。

 七十歳以上でも30%になる。

 高齢者が多くの富を独占している、というのは確かにそうだろうし、それを不満に思う若者がいることも事実だ。


「どう思う?」

「感想はない」


 栴檀は素っ気なく返した。


「そう言うなよ」

「ただの詭弁だ」


 だからといって、犯罪行為を許していいのとは違う。


「自己正当化しているだけだ。詐欺師のことなら、詐欺師の方がわかるんじゃないのか、蘇合」

「元、だよ。詐欺師以外の普通の人間の意見を聞きたかったんだが、お前は普通じゃなかったな」

「蘇合、酔っているぞ」

「こんなもんで酔うかよ。なあ、沈水はどうだ?」


 蘇合が部屋の隅に話題を振った。

 キーボードがカタカタと音を立てていたから、二人は沈水がいるのは知っていた。


『わからないでもない』


 壁掛けのディスプレイに文字が表示される。


「あのなあ……。まあ、いいや」


 喋れ、と言いそうになった蘇合が今更言ったところで仕方ないと諦める。

 がたがたと音を鳴らしながら、デスクの下が開き、人間が出てきた。


「ああ、出入り口がそこだったのか、アナグマかよ」


 やけに感心して蘇合が言う。


 出てきたのは、男性だ。

 ヘッドフォンとは別に、ヘッドマウントディスプレイをつけている。

 これで普段は映像を見ているらしい。


 すくっと立つ。

 髪は伸びきってボサボサで栴檀と反対に小綺麗というにはほど遠い恰好をしていた。

 半袖のTシャツにジーンズ、それにサンダルだ。

 わざわざギークを体現したような姿をしている。


 回収室の情報収集担当、沈水だ。


『コーラを取りに来た』


 視界が悪いらしくよたよたと歩いている。

 頭につけたゴーグルを外し、皺のない無邪気そうな少年の顔を露わにする。

 まだ二十歳にもなっていないとかつて言っていた。

 よたよたと歩いて、部屋の端にある冷蔵庫まで行き、コーラの缶を取り出す。


 栴檀、蘇合と順に沈水が見た。


 沈水が背中からタブレット端末を取り出し、二人のいるテーブルに置いた。

 スタンドを使い、向かい合って座る二人にも読めるようにして、自分の前には片手で扱えるキーボードを置いた。

 どうやらこれで会話をするつもりらしい。


 沈水が右手だけでキーボードを打つ。

 両手で打つのと変わらないような速度で打ち込まれ、乾いた打鍵音が響いた。


 タブレット端末に自然な会話ほどの速度で文字が表示される。


『さっきの、わかんないわけでもないよ。俺らの世代ってどう考えても詰みでしょ、精神論で若者は頑張れとか、なっていないとか、キョーイクするとか、ウエメセで言ってきたって、金をくれるわけでもないし、選挙行ったって何も変わらないし、老人ばっかに金を使っているし、年金だって、俺はここに勝手に納められているけど、誰も年寄りになってからもらえるなんて思ってないし、そもそも年寄りになれるかもわかんないし』


 老後のためにと言われても、そもそも老後があるかどうかがわからない人間にそんなことを考える余裕はない、と沈水は言いたいのだ。


「それはお前の意見か?」


 蘇合はどう対応するか決めかねて、結局、沈水の顔とタブレットを交互に見ることにした。


『まあ、ネット見ても大体そうだよね。どうせ若者の意見なんて聞いちゃくれない。数で勝てないことくらいわかりきっているし、決める側があっちなんだから、お手上げ。だから、真っ向から反対しないで、上手く『かすめ取ろう』とするってのは理に適っていると思うな』

「そうかもな。詐欺師の考え方だ」

『おっさんも詐欺やってたんでしょ? どーいうヤツ?』

「俺はおっさんじゃない、まだ三十代だぞ」

『おっさんじゃーん』


 文字とは正反対に沈水は真顔で、蘇合がコンビニで買ってきたタコわさを空いている左手で箸を使いつまむ。


「お前も酔っているのか」

『酒は飲まないよ、苦いじゃん』


 それぞれどのような犯罪をして、ここに集められたかは知らされていないし、お互いそこは不干渉のものとしてやってきていた。

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