第四話 株主資本等変動計算書⑤


『しまった。やられた』


 沈水がうなだれている。


『ああ、回線切ってからすべきだった。いや、回線を強制的につなげるように設定されていたのかも』

「USBメモリからのウィルス感染なんて初歩の初歩じゃない。なんでそんなのに引っかかっているのジャスティスさん」

『あのさあ』

「違う?」


 まるで他人事のようにUSBメモリを持ち込んできた大鳳が呑気に言い、あまつさえ沈水を責め立てている。


『違わない……』

「ね?」

『どっちにしても後の祭りだけど』

「何をされたのですか?」


 自分の椅子に極限までもたれかかって、背中から落ちそうになっている沈水に、零陵が説明を求める。


『何かを持っていかれた』

「よくわからねえな。もっとわかりやすく説明しろ」


 きちんとした説明を蘇合が頼んだ。


『なんでかはわからないけど、暗号を解いた段階で起動するシステムがあったみたい。どこかと通信して、このパソコンの何かを送ったみたいだ』

「どこかだ何かだ、いまいちパッとしねえな」

『よくわからないんだから、仕方ないでしょ』

「馬酔木の仕業か?」

『だと思う』

「なぜそう思う?」

『っていうか、この状況でこんなことをするのが室長しか思い浮かばないってだけ。何の確証もないよ』


 栴檀の確認に、沈水が右手を挙げて手のひらを上下に曲げた。

 キーボードは左手だけで打っているらしい。


「そうか。状況を整理しておこう」


 栴檀がいつもの調子で全員に告げる。


「まず、ユーコインについて。直接的な馬酔木との関連はわからない。これは事実だ。しかし、ユーコインの利用者がUSPの信者に偏っていること、私設取引所がUSPの幹部による運営らしいということも含めて、ユーコインがUSPと関係があることはほぼ間違いない」


 大鳳以外の全員がうなずく。


「つぎにUSPと馬酔木の関係は、おそらくあるだろうが、確実とはいえない。牛囃がほのめかしていただけだ」


 十中八九あるだろうが、と付け足す。


「では、馬酔木は何を考えているか。USPとユーコインを使い、何をしようとしているのか。これが一番不明な点だ。シルクロードのように、犯罪市場の統括をするつもりかもしれない」

「会って聞くしかないな」

「以上だが、他にあるか」


 蘇合が手を挙げ発言する。


「あと、栴檀がそのRなんとかっていう暗号を解読できることを、馬酔木の野郎が知っちまったこともな」

「そうか?」

『知っていたと思うよ』


 沈水が肯定した。


「どうしてそう思う?」

「ほら、前のとき、サイトで解いたやつ」

「……ああ、そうか」


 馬酔木が姿をくらませたあと、馬酔木が作ったと思われるサイトで出された暗号を思い出していた。


 そこには数十桁の数字がただ書かれているだけだったが、それを栴檀は十五桁の双子素数――差が2しかない素数の組み合わせ――の積であると一瞬で見抜いたのだ。


「もちろんあの桁数じゃ全然足りないけど、理屈は似たようなもんだよ。多少時間がかかってもいいなら、それが『解ける』ってわけでしょ? 今みたいにさ」


 栴檀がうなずく。

 確証はないが、自信はあった。


『その可能性くらいは気が付いていると思う。それなら、室長は、ああ、元室長は欲しがっていると思う。こんなの、まだ実現されてもいない量子コンピューターレベルのものを持ってこないと解けないんだから』

「そうか」

「そうですね。データが馬酔木の元へと飛んだということは、それを見越して彼女がここに来るように仕向けたのかもしれませんね」


 零陵は大鳳が回収室に来たのも彼女の意思だけではなく、馬酔木の見えない誘導があったのだと指摘する。


「えっ、私がここに来ることがわかってた?」


 大鳳が自身を指差す。


『・彼女のメモリースティックを暗号化する。

 ・馬酔木が脅迫状を送る。

 ・回収室と馬酔木を大鳳が結びつける。

 ・セキュリティを越えて回収室に侵入する。

 ・栴檀に見せる。

 ・栴檀がメモリースティックにかけられたRSA暗号を解読する。

 ここまで行くと、最初から予想していたのかも。それくらいはやりかねないと思う』

「そんな人なんだ」

『人っていうか、もはやなんかの概念だよね』


 沈水は冗談のつもりだったが、『あながち間違っていない』という顔を回収室の全員がした。


「で、どうするんだ?」


 鷺が話に入る。


「メモリースティックの暗号は解けたんだ。あとはそのお嬢さんが誘拐でもされないように警護させればいい。そしてそれは回収室でも、内調でもない、警察の仕事だ」

「えーうん、そうなんだけど」


 大鳳への脅迫は、それだけを取ってしまえば国家的な犯罪でもなければ、経済的な犯罪でもない。


「やれやれ、今回も慌ただしいな」


 ソファで潰れていた蘇合が起き上がる。


「馬酔木と関わりがある以上、俺たちはどうしても行かなくちゃいけねえ。鷺、あんただって債券の件が片付いたわけじゃねえ。牛囃がいないんだ、本当にUSPの手に渡っていたとしたら、今は馬酔木の方に回っている可能性が高いだろ」

「確かに、それはそうだ」


 鷺も蘇合の意見に同意する。


「どうせ行くしかないんだろ? こっちは手持ちがないんだ。罠を踏みに行くしかないのさ」

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