第五話 注記表および附属明細書

第五話 注記表および附属明細書①


 嬌声がそこかしこで上がっている。

 沈水と大鳳の後ろから、蘇合と栴檀が少し距離を取って歩いている。

 沈水たちは自分たちを二人が見張っていることはわかっている。


 馬酔木が指定した取引場所まで、大鳳を連れて四人で移動した。

 パートナーに大鳳が選んだのは沈水だった。

 一緒に並んでいて違和感が一番ないのが沈水だからだろう。

 傍目で見れば、二人は若いカップルに見えるだろう。


 特に人数の指定があったわけでもないし、かといって大鳳一人で来いと言われていたわけでもなかった。

 馬酔木のことだから、沈水が大鳳の横にいることも、後ろに栴檀と蘇合がいることもどこかで見ていてわかっているはずだ。


 連絡役として何かあったときのために、零陵は回収室で待機をしている。

 夕方が近かったので、行動中に零陵の退社時間である一七時が来るだろうという配慮もあったが、零陵は三人の帰りを待っている、と告げた。


 四人がいるのは東京から少し離れたところにある巨大なテーマパークだ。

 日曜ということもあって、家族連れやカップルがはしゃいでいて、混雑している。


 これ以上具体的な場所は指示されていない。

 おそらく大鳳のスマホに何がしかの連絡があるのではと推測している。


 この客数では犯人が逃げても追いかけるのは難しいだろう。

 だが、何か問題が起きれば、騒ぎにもなりやすい。

 一長一短という場面で、馬酔木側はどう出るのだろうか。


「栴檀よ、こういうところに来たことはあるか?」

「いいや、連れていく親もいなかった。興味もない」


 ガヤガヤとうるさいのは栴檀は苦手としている。

 人が多いのも面倒だ。

 何しろ、勝手に色々なものを数えてしまう癖が出てしまうのだ。

 だから家も極力物を置かないようにしていて、自動カウント機能を発動させないように気をつけている。


 これは能力というよりも、栴檀の性質に近い。

 今も客の数、マスコットの数、植木の葉の数まで意識せずとも数え続けている。

 二人は植込みの近くに置かれている木製のベンチに並んで腰を掛けている。


「そうか」

「蘇合はあるのか?」

「昔はな」


 歩きながら遠い目をして蘇合はジェットコースターを見上げた。

 嬌声を上げ乗客が叫んでいる。


「ああ……、すまない。聞くべきではなかった」


 蘇合が思い出を呼び起こしたのを感じて、栴檀から謝罪の言葉が口をついて出てしまう。


「いいや、謝るようなことじゃないさ。何が変わるわけでもない」


 そう言いながらも、蘇合の背中からは少し寂しそうな雰囲気を感じ取った。

 大鳳は狙われているという緊張感の欠片もないようで、嫌がる沈水の腕を無理矢理掴んで様々なアトラクションに連れ回している。

 普段引きこもりで運動をしていない沈水にとって、人混みを長々と歩くのは堪えるだろう。

 大鳳よりもふらふらとしていた。


「せっかくだから、乗るか?」


 懐かしそうにアトラクションを見ていた蘇合が、栴檀に聞く。


「まさか」

「だろうな」 


 大鳳と沈水は今度はお化け屋敷のような建物内に入るアトラクションに入っていった。

 二人単位で乗り物に乗り、次のグループは距離が離れることになるので、続いて乗ったとしてもできることは何もない。


「懐かしいもんだ」


 蘇合が目の前を横切って行った家族連れを目で追いながら言った。

 今更ながら、大の大人、スーツとアロハの二人組がテーマパークの中で並んでいる光景も妙に見えるのではないかと栴檀が思うも、そんなことを気にしても仕方がないと思い直すことにした。


「よく来ていたのか?」


 蘇合は小走りになって親を追いかけている子供を見ていた。


「ああ、ちょうどあいつくらいの歳だったな」


 蘇合が目で追っていたのは二歳になるかならないかの男児だった。


「俺は元々は金融屋だったんだ。っていっても闇金じゃないぞ、そこそこ真っ当な大手の貸金だった。まあ、多少の金の知識は元からあったってことだな」


 蘇合が遠くを見て語り始める。


「あいつも、馬鹿な女だった。俺に相談すれば、決して返せないような金額じゃなかった。たったの数百万だ」


 思い出しているのは、猫道の商品のせいで借金をし、無理心中を図った蘇合の妻のことだろう。

 蘇合の口ぶりは淡々としていて、どこか他人事のようでもあった。

 その懐かしい遠い思い出を語るような落ち着いた声が、かえって十年という歳月の長さを感じさせていた。


「思い詰めて、おかしくなっちゃったんだな。騙される方が悪い、なんて詐欺師だった俺でも言わねえよ。ただ、ちょっとは相談してくれれば、まあ、なんとかなあ、いきなりブスッとだもんなあ」


 栴檀だけに見えるように、蘇合がアロハの胸元を少しだけはだけさせ、胸の辺りを見せる。


「そうか……」


 ちょうど蘇合の心臓付近に、手術で縫われた痕があった。


「猫道もなあ、死ぬようなことじゃなかったんだよなあ。まあ、殺そうとしていた俺が言うのもあれだし、死んじまったら元も子もないが」

「蘇合は、結局殺さなかったと思う」

「そうだな、お前が止めてくれたからな」


 それ以上、栴檀は何か言うのはやめにした。

 もしも、自分が止めたことで蘇合が思いとどまったのだとしたら本当に良かったと思うが、それを自分が認めるのは何だか気恥ずかしい、という思いが浮かんだ。

 そんな思いをしたのも栴檀は初めてだった。


 会話が終わり、二人はぼうっと前を見ていた。


「ソフトクリームでも食べるか?」

「いや、いい」


 売店を見ていた蘇合が言うも、栴檀は断った。


「まあそういうなよ」


 にもかかわらず、蘇合は売店にソフトクリームを買いに行った。


「ほらよ」


 渋る栴檀だったが、ソフトクリームを差し出し続ける蘇合との我慢比べに負けて、コーンを受け取る。


「お前、どうする気だ?」


 横に座り直した蘇合が自分のチョコレート味のソフトクリームを舐め始める。

 栴檀はその問いかけに、ソフトクリームを舐めることなくかぶりつきながら聞き返した。


「どうするとは?」

「馬酔木を見つけたとして、だ」


 回収室は馬酔木元室長を追っている。

 追っている以上、見つけた場合にどうするか決めておかなければいけない。


「もちろん、捕まえる」

「本当にそうか?」


 蘇合は身体をやや前に倒し、下から仰ぎ見るように栴檀に聞き直す。


「お前、零陵からチャカの扱い方を習ったな」

「もしものときだ」

「はっ、嘘つけ」


 栴檀の答えに、蘇合は鼻で笑って返した。


 回収室は民間企業の一部門であるため、捜査機関のような拳銃の所持は認められていない。

 ただ一人、零陵だけは護身用として超法規的措置で所持が認められている。

 零陵の本属であるアメリカ当局からの指示であり、日本側もそれを呑んでいる。


「撃つつもりじゃないだろうな?」

「もしも、もしものときだ」


 栴檀は下を向き、蘇合と目を合わせなかった。

 栴檀は馬酔木と対峙したとき、手に拳銃があれば八割以上の確率で自分は撃っているだろう、という推測をしていた。


 たとえ馬酔木を捕まえたとしても、彼は何の罪になるだろうか。

 順当に言って、政府に引き渡せばどこかに幽閉するのがせいぜいだろう。

 馬酔木の力がどこまで及んでいるかは不明だが、シンパはそれなりに政府内部にもいるに違いない。

 鷺が言っていたように、政府肝煎りのプロジェクトで創られた存在であるならなおさらだろう。


 生きていれば、必ずそこから抜け出して次の行動に移る。

 そんな確信があった。


 馬酔木を止めるとすれば、もはや彼を殺すしかないのではないか。

 そう考え、栴檀は零陵から簡単ではあるが密かに銃の取り扱いのレクチャーを受けていた。

 そして、何度もそのときに備えて、頭の中でシミュレーションを繰り返していた。


「……ならいいけどな、あ、ついちまった!」


 蘇合は鼻を鳴らして腕を組もうとしたが、ソフトクリームを持っていたことを忘れていたらしく、アロハシャツの袖に色をつけてしまった。

 正面を見たまま黙って栴檀が胸ポケットからハンカチを取り出して蘇合に渡す。


「サンキュ。洗って返すぜ」

「別にいい」

「もしも、そのとき俺がいて、撃たなきゃいけねえんだったら、そいつは俺によこせよ。俺が代わりに撃ってやるから」


 なぜだ、と言いかけた栴檀はその言葉を飲み込む。

 これ以上のやり取りは、自身の決心を鈍らせてしまう気がしたからだ。

 それに、猫道の件で蘇合に殺すなと言った手前、馬酔木だったら問題ないから殺せとも言えるわけがなかった。


「零陵さんにも同じことを言われた」


 零陵は最初は否定的だったが、栴檀の度重なる願いについに折れ、基本的な扱い方だけを教えた。

 その際に、零陵は、栴檀が撃つような事態になったときには、迷わず自分に撃たせてくれ、と言っていた。

 自分が怪我でもしていない限り、この拳銃を渡すつもりもない、とも。


「お前はシンデレラに好かれてるからな。まあ、ないことを願うが、どっちか選ぶなら俺を選ぶことにしてくれよ。零陵にも撃たせたくはないからな」

「ああ、頼むよ」


 栴檀は蘇合に嘘をついた。


「にしても遅いな……」


 栴檀の言葉を聞いて満足そうにしていた蘇合がぼやく。

 確かに、沈水たちと同時に建物に入ったと思しき客がちらほらと出口から出てきているのが見える。

 二人は中ほどにいたはずだ。

 狙われているのはわかっているから、他の客と固まって歩くように蘇合から言われていた。

 それをきちんと守っていればそれほど心配はないはずだった。


「マズいな」

「どうした?」


 建物をぼうっと見ていた栴檀が横にいる蘇合に声を掛ける。


「入ったとき、客は143人いた。四人足りない。二人を入れても、入っていった客と出てきた客の人数が違う」

「いなくなった顔はわかるか?」


 瞬時に蘇合に緊張が走る。

 今更栴檀が客を数えて差分を出したことには驚かない。


「いいや、人数しかわからない」


 数をカウントすることにかけては栴檀は優秀だが、顔の識別で発揮されるような、数と無関係な能力はさほど高いわけではない。


 気がついたときにはもう遅かった。 


 すべての乗客が出てきても、二人はついぞ出てこなかった。

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