第五話 注記表および附属明細書②
二人が誘拐されたことがわかり、周辺を探してみてもそれらしい影はまったく見えなかった。
護衛として沈水は頼りないが、それでも襲われれば、大鳳か沈水かのどちらかが叫び声を出すくらいはできただろう。
そうなれば、周りの乗客もつられて騒ぎ始めたに違いない。
建物の前にいたキャストに話を聞いたところ、沈水とおぼしき男性が急に具合が悪くなったため、連れの女性とともに、従業員専用の通路を使って別の場所に案内したという。
そのとき落としたと思われる、沈水のスマホを手渡された。
「しまったな」
二人が連れ去られてしまったことを蘇合が気に病んでいるとき、栴檀のスマホが振動した。
『零陵です』
相手は回収室にいる零陵だ。
「今連絡をしようとしていました。実は」
『沈水が誘拐されたのですね』
栴檀が言うよりもはやく、状況を知らないはずの零陵が電話越しに言う。
「それをどうして? いいえ、大鳳もです」
『そうですか』
沈水とは違い、大鳳に興味はなさそうな生返事をした。
「十七時を過ぎていますが」
『いいえ、二人の帰りを待っています。二人、というのはあなたと蘇合です』
戻って作戦会議をするから、待っていてくれないか、という言葉も察していたのか、零陵はどんどん会話を先に進めようとする。
『回収室に連絡がありました』
「誰からです?」
『すみません、お答えできません。お客様がすぐに見えられるということです』
「客?」
こんな時間に、直通で電話をしてやってくる人物、というのが栴檀には思い当たらなかった。
それに、零陵が相手を言えない、というのもおかしい。
『お二人が戻られるより先に到着するとのことです』
「どういうことです?」
『すみません、お答えできません』
終始歯切れの悪い物言いの零陵に、可能性の一つを聞く。
「誰かに聞かれているのですか?」
『すみません』
零陵が謝るのは、栴檀の質問に対する答えがイエスだからだ。
「……わかりました。すぐに戻ります」
『お願いします』
それで、電話が切れてしまった。
「どうした? なんだって?」
妙な雰囲気だけを察知して蘇合が栴檀の顔を見る。
「客が来るそうだ」
「あ? 客だって?」
「それに零陵さんの様子がおかしい。とりあえずそちらを優先して、まずは戻ろう」
「あ、ああ、わかった」
二人は蘇合の運転する車で回収室に戻る。
ハンドルを掴む蘇合の手に、焦りが見て取れた。
JMRF付近まで来て、二人は建物の周囲に怪しい人影がいないか注意をしながら地下駐車場に入った。
回収室のフロアの廊下まで来ても、特に変わった様子は見られなかった。
そのまま、会話をすることなく、二人は回収室のドアに手をかけた。
「ど、どお?」
おそらく『どうするんだ』と回収室のドアを開けながら言おうとしていただろう蘇合が、頓狂な声を上げる。
「はーい」
蘇合がおかしな声を上げるのも無理はない。
零陵しかないはずの回収室で、今もっとも考えられない人物が当たり前のようにソファに座っていて、勝手に冷蔵庫から持ち出したと思われる沈水のコーラを飲んでいたのだ。
「驚いた? ねえ驚いた?」
大鳳が楽しそうに飛び跳ねている。
「くそっ、そういうことかよ!」
一瞬たじろぎながらも、様々な経験から状況を把握した蘇合が毒づく。
いや、可能性はあったが、とりあえずその考えは放棄していた、というのが栴檀の実際のところだった。
「そういうこと」
零陵が言っていた『客』というのは大鳳だったのだ。
おそらく、電話をした張本人も大鳳で、栴檀への電話で自分が来ることをバラせば、沈水の身が保証できないとでも言ったのだろう。
「ここで待っているの、チョーしんどかったんだから。おばさんはずっと睨んでくるしさあ」
零陵は自席に座って渋面になって、一応、目で大鳳を追っている。
いつでも隙さえあれば飛びかかり拘束する、という気配をまとっている。
大鳳はテーマパークに行ったときと同じように、ブレザーの制服を着ている。
あのまま直接来たのか、これがトレードマークなのかはわからない。
足を一歩前に進めようとした蘇合の右肩を栴檀が掴む。
「やめておけ」
「わかっている」
蘇合が大鳳を掴もうとしたのを踏みとどまらせる。
「ん、説明する?」
小首を傾げ、可愛らしく無邪気そうなポーズを取っている大鳳に、呆れかえって蘇合が手を自分の顔の前で振る。
「もういい、つまり、誘拐やらなんやらは演技で、お前は『あっち側』のメンバーってわけだな」
「ご名答! そーいうこと」
大鳳は人差し指を立て、指先を上に向けたまま、ビシッと蘇合を指した。
馬酔木も狂言誘拐をしていたが、その配下にあった大鳳も同じように、誘拐をネタにして回収室を呼び出そうとしたのだ。
「セキュリティは馬酔木のを使ったのか?」
「そーそー」
栴檀に大鳳が軽く返す。
「回収室のセキュリティは馬酔木が設計して沈水が作ったものだ。馬酔木にしか使えない、専用のバックドアがあったとしてもおかしくない」
「そんなところだねー」
「お前は光の戦士なんじゃないのかよ」
蘇合が頭を掻く。
沈水の話では、大鳳は彼とは違ってセキュリティを強化する企業側の人間のはずだった。
どう考えても馬酔木に与する精神の持ち主ではないはずだ。
「まーまー、そのあたり、面白い話があれば考えちゃう! よね?」
「あーあー、わかったわかった、結局お前も沈水と同じ面白い方に流れるってことだな。そういう種族だと思っておくことに」
蘇合がそう言い終わるかどうかの刹那に、大鳳が叫び声を上げた。
「痛い! 痛いってば、おばさん!」
「三対一になりました。馬酔木の居場所を吐いて、沈水を解放しなさい」
大鳳の背後で零陵が鉄のように冷たい声で命令をする。
「お、おい零陵!」
零陵は蘇合と大鳳が会話をしている間に、気がつかれないよう大鳳の背後に回って、初めて大鳳が来たときと同じように右手首を掴んで捻り上げていたのだ。
「はやくしなさい」
冷静に、後ろから地を這うような声を出す。
「無理だよ、むーりぃ! あたしなんか、人質の価値がないんだって! 知っているでしょ!」
馬酔木は自分の身代わりとして、死亡を偽装するために人一人を焼死させた男だ。
自身の目的のためなら大鳳を見捨てることくらいはわけなくこなしてしまうだろう。
「零陵、離してやってくれ」
栴檀が静かな声で零陵を制止した。
「ですが、やはり」
「大鳳が本当に重要な人物であれば、たかがメッセンジャーに使わない」
伝えるだけなら紙でもメールでもいい。
「そうだな、あのとき言えばいいだけだしな」
テーマパークで姿を消したあとに、『二人を預かった』というような紙切れの文面でも用意しておけば、大鳳の身を危険に晒すこともなかった。
それでも大鳳が来たのは、何らかの意味があるのか、それとも馬酔木による意味のない遊びなのか。
「そうそう! そうだよー! 痛いからはやくして!」
「チッ」
嫌悪感をあらわにして舌打ちをしつつも、零陵は大鳳を離した。
「ったー。痛かったー」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、掴まれていた手首を振っている。
「それで? 遊びに来たわけじゃないんだろ? 用件を済ませてとっとといなくなるか窓から飛び出ていってくれ」
敵ではあるがなんとも扱いにくい大鳳に、蘇合は深いため息をつき、犬を追い払うような手の仕草をする。
「えーいけずー」
大鳳が身体をくねくねさせて謎のアピールをしている。
「いい加減にしろよ」
「はいはい、こわいこわーい」
明らかにキレかかっている蘇合から逃れるように部屋の隅まで走る。
「それで、沈水は何と引き替えなんだ?」
栴檀の問いかけに大鳳は口を丸く開けて、おっ、と言った。
「さっすが話がわかるー。私たちの要求はズバリ栴檀さん、あなた」
ビシっと人差し指で栴檀を指す。
「ほしがっているのは、あなたの能力、暗号解読能力!」
「なんだって?」
「だーかーらー、私たちの計画に、あなたの能力が必要なの、というか、あなたの能力が邪魔なの」
必要なのか不要なのかどっちとも取れる言い方で、大鳳が適当なことを言う。
「どうすればいいんだ」
「あなた一人で来てくれれば、それでオーケー! 彼と交換!」
右手の親指と人差し指で丸を作り、それを大鳳は頬に持ってきた。
「じゃ、これで伝言は終わり。そんじゃーね!」
大鳳は、小さな何かをテーブルに置き、緊張感のないまま、悠々とドアを開けて出て行った。
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