第五話 注記表および附属明細書③
嵐のように大鳳が去っていき、回収室には静けさが戻ってきた。
誰が最初に口を開くのか、うかがっているような様子が全員にあった。
「大鳳があちらの味方だったとはな」
「私は最初から胡散臭いと思っていました」
悔しそうに言った蘇合に続いて、彼を睨みつつ零陵が言った。
栴檀は、大鳳が残した小さな何か、『U』に二本線のついた金色のコインを持ち、裏表を眺めている。
日本円の五百円硬貨と同じくらいの大きさで円形をしている。
「おい、そんなものいいから沈水を助けに行こうぜ!」
蘇合が栴檀と零陵に発破をかける。
「落ち着け蘇合」
「栴檀、これが落ち着いていられるかよ」
「大丈夫です。まだ死んでいませんよ、たぶん」
零陵が口を挟んだ。
「なんだって?」
「彼に人質の機能がある手前、そうそう殺さないでしょう」
零陵はいたって冷静だ。
「どうぞ」
零陵が手のひらを一度見せたあと、拳を握り、もう一度開く。
その手には沈水が普段食べているロリポップキャンディがあった。
零陵の得意の手品だ。
「室長はどう思います?」
零陵が話を栴檀に向ける。
「同意見だ」
「そんなこと言ったって、お前、相手はあの馬酔木だぞ。殺しておいて交渉に利用するぐらいやりかねないだろう」
蘇合が抗議をする。
「その可能性は確かにある」
「おい、そこは否定してくれよ」
栴檀も、馬酔木が工作をして、殺した沈水を利用するという可能性がないとは言い切れなかった。
「今は人質にするという馬酔木側の言い分を信じるしかない」
「……わかったよ、室長様」
不承不承といった態度で、蘇合が部屋の中を歩き周り、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、一気に飲み干した。
「そんで、これはなんなんだ? 大鳳が置いていったからには意味があるってことなんだろ? コイン? ユーコインはヴァーチャルじゃないのか?」
蘇合が栴檀に聞く。
「仮想通貨の中にも、現実のATMを利用して紙幣やコインを引き下ろせるものがある。しかし、それは現実の貨幣を仮想通貨に交換したり、送金を行ったりするためのものだ。やはりヴァーチャルはヴァーチャルだ」
「仮想通貨にはATMもあるのか?」
「ビットコインには、送金に使うATMが存在している。しかし、ユーコインのATMなど聞いた事がない。ジョークとして作るにしても、これは、精巧すぎる」
手に持ったコインを栴檀が天井の蛍光灯で照らす。
眩い光が反射している。
「これは金か?」
コインを数十センチ宙に放り投げ、キャッチして重さを確かめる。
それだけで比重がわかるわけではないようだ。
すぐに手を差し出した蘇合に投げて渡した。
蘇合はそれを手に乗せたあと、親指で弾いて飛ばす。
「重さは大体金と変わらねえな、かなり重い。っていっても鑑定しないとわからねえが」
「メッキの可能性もあるのか?」
栴檀が蘇合に質問する。
「ああ、表面だけ金メッキで加工して、金と偽ってリングを質屋に持っていく詐欺が一時期流行ったんだよ」
「質屋が騙されたのか? プロじゃないのか?」
質屋は貴金属を扱うプロだ。それに真贋を確かめることも日常的に行っている。
怪しければ取引をしないということだってできるはずだ。
「刻印がされていたっていうのもあった。こいつはないみたいだが、きちんとした金製品には18Kなり24Kなり刻印が打たれているんだ」
蘇合がユーコインの裏表を見せる。
「それくらいは詐欺師も偽造できるのではないですか?」
零陵は蘇合が持っているコインをじっと見ながら言った。
「そうだ、だからそこはあくまで通過点で、もう一点チェックをした。二つ合っていれば、まあ、たぶん本物だろう、と踏んだわけだな」
「それはなんだ?」
「栴檀、金の比重を覚えているか?」
「室温で19.32グラム立方センチだ」
栴檀が即答する。
「さすが、数字の記憶に関しちゃ言うことないな」
1センチの立方体のサイコロで、19.32グラムもあるということだ。
純粋な鉄が同じ大きさで8グラムもないから、どれだけ金が重いがわかるだろう。
「ここまで言えばわかるだろ?」
目配せをして、蘇合がこの緊急事態にウィンクをした。
話の流れから、記憶を検索するまで数秒もかからなかった。
「金とほぼ同じ比重の金属、タングステンか」
栴檀の脳の中には、タングステンの比重が金とほぼ同じ19.3グラム立法センチと刻まれている。
「そういうこった。わざわざ詐欺師たちは、タングステンを厚めに金メッキして、刻印まで打って、価値を誤魔化したわけだ。そこまでするとは思っていなかった質屋連中は、すんなり騙されちまったってわけだ」
そこまで丁寧に加工して騙す気満々の品物が持ち込まれるとは思っていなかった街の質屋は、刻印と比重をチェックして金だと信じ込んでしまった。
加工のために溶解するか、詳しい成分分析をすれば、気が付いていただろう。
「これもそうじゃねえか?」
「見てわかるのか?」
「わからねえなら、手荒に扱うまでだ」
コインを掴んで、親指と一差し指で握力自慢をするかのように、二つに折り曲げた。
そして、その折れた箇所をテーブルの端に何度も叩きつけて、削る。
金が剥げ、銀色の金属光沢が姿を覗かせた。
「な? 本物じゃねえ」
その銀色の部分を栴檀に見せる。
その輝きが目に入ったところで、脳内で何かが光っていったのが見えた。
ぼんやりとした思考の中で、ワードが次々に繋がっていく。
金色ではなく、偽物の色。
本物と見せかけて、偽物の金。
始まりの米国債券は本物。
こちらは偽物と思わせておいて、本物の債券。
牛囃との会話に出てきた、存在するが実在しない通貨というシステム。
ユーコインというトークンとしての通貨。
「……ああ、わかった」
得意げな蘇合の解説を聞いていた栴檀が言う。
「何がわかったってんだ?」
「馬鹿馬鹿しい話だ」
一つ一つの繋がりは脆弱だが、全体を見渡してみれば、かなり確証がある。
どこまで馬酔木が知っているか、おそらく、どこまでも馬酔木は知っているのだろう。
すべてを知っているとして、馬酔木が起こしそうなこと。
普通の人間ならまず考えないが、馬酔木ならやってしまいそうなことだ。
「いいから言えって、馬酔木のことか?」
栴檀が一度天井を仰ぎ、それからうなずく。
「キアッソ事件、偽物の金、行先ドイツ、米国債券、仮想通貨、なるほどすべて繋がっていたということだ」
「どういうことだ?」
「アメリカの金と外貨準備の話だ」
「だから、どういうことだよ。シンデレラはわかるか?」
「いいえ、私にもわかりません」
蘇合に水を向けられた零陵も首を振った。
「一つずつ解決していこう」
栴檀が人差し指を立てる。
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