第4話 明瞭性の原則④


「私が中央銀行です。ここでは私が日本銀行ですね。蘇合銀行から、栴檀銀行に現金を振り込むとします」


 蘇合と栴檀に、二つずつチョコレートを渡した。


「今渡したチョコレートは現金。一個ずつ移動したいのですが、二人の持っているチョコレートは現実には、一個も移動しません」


 零陵が空になっている自分の手を振った。


『おお』


 その様子を見ていた沈水が驚く。

 零陵の手には別なキスチョコが二つあった。


『すげーどうやったの?』

「秘密です」


 冷たい声で零陵が返し、左右の手のひらに一つずつチョコレートを置く。


「右手にあるのが中央銀行にある蘇合銀行の預金口座残高チョコ1、左手が同じく中央銀行の栴檀銀行の預金口座残高チョコ1です」


 零陵が右手を握り、チョコレートを隠す。

 一度振って、そちらに注意を向けている間に左手も握っていた。


「そして、こうです」


 見事に右手にあったチョコレートは消え、左手には二つのチョコレートがあった。


「金に色がついていないからこそ成り立つ仕組みです」


 動いたのは現金ではなく、中央銀行にある口座の残高データだけだ。

 もっとも、一取引についてみればこう見えるだけ、現実には日銀内での振替はまとめて行えばいい。


 国内で行われる日本円の取引はこのように中央銀行である日銀が中継先、ハブとなっている。


「このように銀行間決済のためにも、民間銀行は中央銀行に口座を持っているのです。企業への貸出リスクが大きいと、民間銀行は中央銀行である日本銀行に預金を貯め続けてしまう。それが経済に良くないとして、この預金があまりに大きいと管理手数料を取るようにするので、貸出をしろ、というのが最近で言うマイナス金利政策です」


 零陵はそう言って、左手のチョコレートを一つ食べ、マイナス金利を表現してみせた。


 では国際間の通貨の違う送金はどのように行うのか。


「コルレス、正しくは『コレスポンデント』、意味は『通信、取引』です」


 零陵がきれいな発音で言った。


「コルレス銀行は中継を担います。コルレス銀行は円なら円、ドルならドルの取り扱いをしています。これらのコルレス銀行に、各銀行は口座を開くのです」


 教師のようなたたずまいで、彼女は続ける。


「ドルのコルレス銀行を考えます。この銀行がドルの中継を担っており、海外の銀行、たとえばそうですね、日本円が通貨の日本の銀行がドル建ての口座を作っているとします」


 国内銀行がコルレス銀行の口座を開設し、そこの銀行が通常扱っている外貨をプールしておく。


「日本の預金者が日本円を持ち、日本の銀行にドル建て送金を依頼します。日本の銀行ではドルで保管はしていないのでそのまま日本円を預かります。同時に、アメリカのコルレス銀行の自分の口座に振替の指示を行います。振替の指示を受けたコルレス銀行は、そこにある口座を使い、振り込みたい銀行へ振り込みを行います。これは同一国内であれば中央銀行を介した通常の振り込み処理になります」


 為替が変わる振り込みに、一度別の銀行を利用しているのだ。


「日本の銀行からコルレス銀行に行くのは、あくまで『指示』です。どこかで両替した現金が海を越えるわけではありません」


 最近では日本の銀行でも外貨預金ができるようになったが、国内の銀行の金庫に外貨が保管されているわけではない。

 外貨預金があるからといって、銀行の窓口に行ってその通貨で引き出すことができない銀行も多い。


 外貨預金をした結果、保全されているのは当該通貨のコルレス銀行の口座の預金残高で、銀行は『データ』を持っているに過ぎないからだ。


 このように、国内では中央銀行を介して、国外ではコルレス銀行の口座を介して、網の目のように世界の銀行システムが成り立っている。


 同じコルレス銀行にコルレス口座さえ持っていれば、日本国内のA銀行に日本円を入金して、コルレス口座内でB国のB銀行の口座、C国のC銀行の口座と、次々とロンダリングが完成してしまうことになる。

 スイスにあるプライベート銀行だろうと、ドル建てで預金していれば、アメリカのコルレス銀行のコルレス口座のどこかに金があることになる。


 本来はたとえ国内にある口座であろうとも、他国の銀行が開設した口座であるため関与ができないはずだったのが、アメリカはコルレス銀行がアメリカにあることを理由に、コルレス口座への制裁をすることにした。


 アメリカがSWIFTの履歴を用い、テロの支援をした金融機関に制裁を行ったのはこのコルレス口座だった。

 アメリカ経済が翳りを見せ始めてもなお、ドルは通貨の中で絶対的な位置を持っている。

 日本では考えられないが、自国の通貨よりもドルの方が信頼できるため、アメリカ以外でもドルで決済されることは多い。


「シンデレラが見ているのはここか」


 蘇合の指摘に零陵は小さくうなずく。


「ドルの決済をする以上、データが米国内を通ります。つまり、アメリカはその取引を見ることができるのです」


 回収室では馬酔木室長のコネを使い、秘密裡にアメリカからSWIFTデータの参照権限を得ている。

 それを語学力堪能な零陵がオペレーターとして作業をし、調査をしているのだ。


 米国外の銀行は、銀行そのものはその国にあるのだが、ドル資産はアメリカにあるコルレス銀行のコルレス口座にある。

 テロ対策、テロ支援の制裁として、このアメリカにあるコルレス口座を凍結したのだ。

 そうなると、米国外の銀行がドルで決済ができなくなる。

 自分の銀行内には、ドルそのものはないからだ。


 圧倒的な力を持つ基軸通貨だからこそできる強引な手段だった。


 しかし、この手段は強力だからこそ、多くの問題のない取引に使っていた資金さえ動かせないようにしてしまった。

 そのため、流通性に難ありと、ドルが避けられるようになり、ドルが弱くなってしまう原因にもなる。


 今はそうした隙をついて、中国元が基軸通貨に入り込もうとしている。

 中国元が中国外での決済に用いられるようになれば、コルレス銀行が中国国内の銀行になり、中国の支配力が高まるのだ。


「それと同じことを個人で行います。個人というのは銀行としての資格を持たないもの、のことです」


 地下銀行を営むAに、Bが某国にいるCへの送金を依頼する。

 AはBの預けた金額から手数料を引いた金額を、レートを使い他の通貨に換算する。

 換算した金額を、某国の同じ地下銀行を営むDに連絡する。

 DはAから指示を受けた額を、その国の通貨でCに渡す。

 たったこれだけ、というわけだ。


 地下銀行をやろうとする人間がそれぞれの国に一人ずついれば、誰にでもできる簡単な仕組みだ。


 この取引ではAの資金は増え、Dの資金は減ることになるが、これは双方で送受金があれば差額は少額で済む。

 資金額にあまりにも開きが出て、片方の出金業務ができなくなれば、合法でも非合法でも、別の手段で資金を移せばいい。


「拠点をそれぞれに持ち、資金のデータだけを移します。必要なのは、各地で出金に必要な現金、安全な連絡手段、そして信用です」


 法的に保証の一切ない行為だ。

 しかも最低でも二人の人間がそれぞれの現地にいる必要がある。

 入金はしたが、姿を消してしまい、出金先で金が下ろせない、ということは当然想定できる。


 だからこそ、コミュニティー内での口コミでの信頼が大事になる。

 裏稼業にいそしむ組織の後ろ盾があることも重要だ。


「元々はマネーロンダリングの手段というよりは、手数料の安さ、送金の早さで普及したものです」


 国内銀行では海外送金に対して一件につき3千円以上の手数料が取られる。

 小口で振り込みたいときにこの手数料は大きい。


 地下銀行は、それよりも安い手数料で請け負っていると言われている。

 銀行だと、送金に一週間近くかかることも珍しくない。

 送金先が先進国ではない場合、中継銀行を使うこともあり、それによってさらに振り込み日数がかかる。


 しかし、地下銀行なら仕組み上、電話ができれば処理が完了するので、当日どころか、その場で処理さえできてしまう。


 出稼ぎにきた外国人が祖国に毎月仕送りするには、国内銀行の正規の手段よりも安く早くできるとあって、重宝されていたのだ。


 そう考えれば、手数料も割安で悪いことはない。

 営んでいる人間は、善意かもしれない。

 正常に、合法的に営まれているうちは、地下銀行は被害者なき犯罪といえるかもしれない。


「もっとも、不法入国の労働者が祖国に送金する手段としての需要も多かったのですが」


 海外送金では、送金の目的が聞かれる。

 もちろん、マネーロンダリングや犯罪収益の可能性があるからだ。

 不法就労しているものにとって、そこから足がついて強制送還されてしまうのは避けたいから、地下銀行の存在があるかどうかで働き方も変わってくるというのだ。


『それって何が悪いの?』


 素朴な質問を沈水がする。


「銀行業務を許認可を受けた機関以外が行うのは法律で禁止されています」


 銀行業務、とりわけ顧客の資金を預かる預金業務は、国家にとっても重要な社会的インフラであるから、許認可については厳しく制限されている。

 最近はネット専業の銀行も出てきているが、自己資本率の下限条件などクリアしなければいけない条件は多く、他の株式会社と同じように易々と銀行が作れるわけではない。


 容易に集め、容易に破綻をしては社会に混乱を呼んでしまうからだ。


『いや、だからさあ、リスクはどこも同じでしょ、安くて早くて時々失敗、わかってるならいいじゃん』


 真面目な顔で答えた零陵だが、沈水は納得していないようだ。

 それに対して、零陵はそれ以外に何か理由が必要なのかという不思議な顔をしている。


「ともかく、その送金屋を当たってみるしかないのか。伝手はないが、そうだな知ってそうなといえば……」


 蘇合が頭を掻いたところで、机の上で甲高い音が鳴った。


「外線?」


 回収室に引かれている回線は、内部の人間しか知らない。

 室員はそれぞれ携帯電話を持たされているから、わざわざJMRFの電話を使うことがないのだ。


「待とう」


 蘇合の提案に三人も乗る。

 そのうち留守番電話になる。

 不用意に取らない方がよいだろうという判断だ。


 ピーと、電子音が鳴り、留守番機能が作動する。


 数秒の間のあと、機械音がし、明らかに加工された男女の区別もつかない電子音が流れた。




『オタクのシャチョウをユウカイした』




  オタクのシャチョウをユウカイした

  かえしてほしければ

  シテイのバショに

  ゲンキンをもってこい

  ゲンキンはニオクエン

  キュウケンでヨウイしろ

  ジカンは―――――

  バショは―――――

  クリカエス


  コウショウはしない

                  』

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