第4話 明瞭性の原則⑤


 メッセージが終わる。


「有無を言わせない感じだったな」

「零陵さん、秘書室に」

「今かけています」


 零陵が受話器を持って、内線をかけている。

 すぐに繋がり、一言二言会話をする。


「社長は在室しているそうです」

「まあ、さっき見たしな。となると、やはり」

「室長か」


 回収室の外線番号を知っていることから、イタズラ電話だとは思えない。

 誘拐犯らしき声は『社長』と言っていたが、捕まっているのは馬酔木室長だろう。


「室長へは?」


 栴檀が零陵に言うが、零陵が首を振る。


「番号を知りません」


 三人もそうだった。

 相互に連絡を取り合っているわけではなく、共通のメッセージプラットフォームがあり、そこでやり取りをしているのだ。


「住所も、知らないな」


 住所もお互いに非公開だ。

 とはいえ、伝えてはいけない、ということはなく、栴檀の家には蘇合が来たことがある。


「位置情報も、馬酔木室長だけはない」


 位置情報を把握されているのは四人だけで、馬酔木室長自身は対象になっていないらしい。

 把握されているのであれば、社長がわざわざ回収室にやってきたり、内線をかけてきたりすることもないはずだ。

 それとも、今は把握できない状態に陥っていて、それを社長が心配しているのかもしれない。


「上に掛け合って、連絡を試みてください」


 無言でうなずき、零陵は再び電話をかけ直した。


「そういえば、どうやって出勤しているんだ?」

『住んでいるんじゃないの?』


 沈水が適当に答える。

 馬酔木は車椅子で生活をしている。

 杖を持ってはいるが、歩行は得意ではなさそうだった。

 どこかから通っているとすれば、専用の車で来ているのか、送り迎えがあるのかだ。


「実質住んでいるのはお前だろ」

『まーこのあたりなんでもあるから』


 沈水はほぼ寝泊まりをしている。

 こちらは元々の家があるのかどうかが怪しい。


『ていうか、室長、何者なの?』


 至極当然な疑問を持ち出す。


「それは、俺も正直思っていた」

「俺も知らない」


 見た目は栴檀よりは若い。

 沈水とほとんど同じくらい、自称では二十代前半だ。

 体質的に運動ができないのか、線は細く、髪の白さも幼さを感じさせる。


 回収室立ち上げのときにやってきたというから、財務省関連と付き合いがあるのは間違いない。


「上と連絡が取れました。確かに、馬酔木室長との連絡が途絶えているようです」

「そうか、これで決まりだな。誘拐されたのは室長だ」

「それで、上は?」

「可能な限り、回収室で処理しろ、と」

「回収室に金なんて」


 回収室は銀行ではない、JMRFでも現金そのものは扱っていない。

 取引銀行から引き出すにしても、もう午後三時を過ぎている。

 直接担当者に話したところで、2億円など用意できるはずがない。


 しかし、今日だけは違った。


「入金前のアレがあるな」


 蘇合が顎に手を当てて三人を見回す。


「そうだな」

「明日、引き取りの輸送車が来る予定でした」


 法務省に引き渡すのは、通常は現金ではなく振り込みだ。

 回収にかかった経費を差し引いてから振り込むのだから当然だし、その方が安全だ。


 だが、今回に限っては、銀行が一旦の入金に対して難色を示してきたという。

 詳しい事情は室員は知らされなかったが、馬酔木室長からの報告だった。


 銀行によっては移動のためで一時的とはいえ、多額の現金預金を嫌がることもあるのだろう、と栴檀は思っただけだった。


「回収室に現金があるのがわかっていた、って感じだな」


 銀行ですら多額の現金を常時持っているわけではない。

 ましてや一般企業なら、だ。

 今日の連絡で今日持ってこいというのは、判断させる時間を失わせるためだろう。


 まず連絡して、金を用意させる手はずを整えなかったのは、すでにJMRFがどれだけの現金をすぐに出せるか知っていたからだ。


「それにしては変です」


 零陵が蘇合に疑問を呈する。


「相手は、室長のことをご存じないようでした」


 誘拐犯は誘拐した相手がJMRFの人間だということはわかっている。

 その一方で、馬酔木室長のことを、『社長』と言った。

 JMRFのことをネットで検索すれば、馬酔木が社長でないのはわかるはずだ。


 社長自身は先ほど回収室に来ていた財務省からの天下りの中年男性だ。

 特に出来も不出来もないし、平凡な顔をしている。

 車椅子の白髪の青年が社長であれば、別にテレビの取材でも来てもおかしくないだろうし、顔写真が見つかってもおかしくない。


「ま、確かに室長のことは俺たちも知らないが、それにしてもこれから金を取ろうって相手の情報が不足しすぎているな」


 蘇合も同意する。


「少なくともプロではない」


 日本では身代金目的の略取誘拐は少ない。

 ほとんどないと言ってもいい。

 それは、他の金銭目的の犯罪に比べて、成功率が非常に低いからである。

 これらを生業にしている組織は存在しないといっていいだろう。


 日本では身代金目的の略取誘拐は、年間10件程度で推移しており、検挙率はほぼ100%だ。

 そのうえ、一人を誘拐して金を取ろうとしたところで、一般人なら数千万円がいいところだ。

 それでいて確実に逮捕されるというのであれば、割に合うはずもない。


 誘拐犯が身代金を手にした例は、日本では戦後1件もない。

 受け取る前に失敗してしまうのが誘拐なのだ。


 子供を名乗って振込詐欺をしたり、粗悪な商品を送りつけて代金引換詐欺をした方が計画の容易さの面でもいい。


 身代金目的の略取誘拐は無期又は三年以上の懲役と重く、詐欺の方が捕まったときの処罰が軽い。


 一方、これが海外では事情が異なり、地域によっては誘拐は常に警戒されてしかるべきものだ。

 日本では考えられないが、誘拐に対する保険が存在しているほどである。


「警察はどうするんだ?」

「俺たちが警察に連絡するのか? 笑われるのがオチだぜ」


 回収室は元々警察に好かれていない、いやかなり嫌われている。

 もちろん犯罪ということであれば捜査をしてくれるだろうが、どこまで協力的になってくれるかは不安がある。


「指定の受け渡しまであと一時間と十五分だ。時間がない。待ち合わせの時間にはもう向かわないと間に合わない」


 成功率の低い誘拐だが、今回は事情が違う。

 警察に連絡させる時間も、交渉して引き延ばす時間も与えず、JMRFが2億円という大金を持っているタイミングをきっちり狙ってやってきた。


『偽物を用意するっていうのは?』

「いやダメだ、その場で確認するはずだ」


 テレビドラマで見たことがある手法を沈水が提案するが蘇合にばっさり切られる。

 札束の一枚目だけが本物で、それ以外を新聞紙等の紙質の近いもので作るという手法だ。

 数枚めくればわかる手法なだけに、受け渡して中身を確認するまでの間しか使えない。


「蘇合、地下金庫に行って、金を取ってこよう」

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