第4話 明瞭性の原則⑥
「シンデレラ、運転が荒いぞ!」
「急いでいます」
零陵の車に栴檀と蘇合が後部座席に乗り込み、零陵の運転で走りだしていた。
グレーのBMWだ。揺れが酷く、全体的に危なっかしい。
「なんでマニュアルなんだよ」
「趣味です」
後部座席の二人は、一つずつアタッシュケースを持っている。
合わせて2億円が入っている。蘇合は手で胸をさすって逆流する胃液を抑えている。
「もう少し速くてもいい」
「おいおい、無茶するなよ」
これ以上速くして事故になる危険を感じた蘇合が不平をこぼす。
「法定速度です」
バックミラー越しに栴檀に視線を送り、零陵が答える。
沈水は回収室で待機して、情報を集めることにした。
運転役として、零陵が選ばれた。
引き渡しに二人必要だとの判断があったからだ。
一人で交渉するのは危険だ。
「どう思う?」
誘拐犯が指定した場所は、なぜか鯱のあの工場だった。
回収室とあの工場に関連があったことを知っているとは思えない。
馬酔木がJMRFの特殊部署の室長だということもわかっていなかったような誘拐犯なのだ。
「室長の指示だ」
「私もそう思います」
「意見が一致したな」
即答した栴檀と零陵に、蘇合は満足そうに座席に深く沈む。
「となれば、理由だな」
どのようなやり取りが馬酔木と誘拐犯にあったかはわからないが、受け渡しの場所に指定させたのは馬酔木だろう。
馬酔木がそこを受け渡し場所にするように誘拐犯を説得したり誘導したりしたとすれば、確実に意図があるはずだ。
受け渡しに誰の邪魔も入らない場所、と言いくるめたのかもしれない。
『見取り図がある』
沈水からのメッセージだ。
「転送してくれ」
蘇合の持っているノートパソコンにメールが届く。
調査報告の中に、工場内の見取り図があった。
鯱が2億円が収まっていたと嘘をついていた場所を確認するためだった。
「お前、それ本当にできるのか?」
揺れる車内で、蘇合は横にいる栴檀に聞く。
栴檀はずっと俯いている。
「できる」
栴檀はジュラルミンケースの中に入っている札束を見ていた。
数十分前のことを思い出す。
金を持っていくことはとにかく、その札束の番号をどう控えるかが問題になっていた。
地下金庫から2億円、蘇合によって二つのケースに収められた札束が回収室に持ち込まれた。
『で、どうするの、番号』
沈水が言った。
誘拐犯に受け渡す前に券番を控えていくことを回収室の面々は考えた。
奪われたあとのことを考えてだ。
しかし、流通していない、コレクション価値もないD券を方々から手を尽くして集めたのは古物商の宇佐だ。
枚数は2万枚で、当然連番になっていない。
百枚単位で巻かれているのも銀行の帯ではなく、市販の紙テープだ。
与えられた時間はほとんどない。
「スキャナ?」
蘇合が回収室の端にある複合機を見る。
A3までの用紙なら、コピー、スキャンができる。
『いや、あれはダメなヤツ』
沈水が答える。
『偽造防止機能があるメーカーだ、札だと認識したら動作が止まるヤツ』
市販のスキャナやコピー機が高性能になるに従って、紙幣偽造が問題になった。
これまでは熟練の職人によって原版が作られ、紙幣偽造が組織的に行われていたが、今では、小学生でもスキャナとコンピューターがあればそれらしいものは簡単に作れてしまう。
当然ホログラム部分はなく、紙幣の読み込みをする機械には弾かれてしまうが、小さな商店などでは人間が目視でしかチェックをしないので、使えてしまうこともある。
偽造した人間が悪いのは誰にも否定できることではないが、簡単にできてしまう機械側にも問題があるのではという意見が出て、今では大抵の機械には、偽造防止機能がついている。
「試したことがあるみたいだな」
『あるよ、メーカーごとの特性も知っている』
防止機能は機械ごとに違いがあり、紙幣だと判断された場合は本物ではないことを示す印字が強制的にされるものから、読み込み自体を止めてしまうものもある。
「それは犯罪です」
零陵が至極真っ当なことを言った。
『使ってはいない』
「構成要件に当たるかどうか調べましょうか」
通貨偽造罪は貨幣、紙幣、銀行券を偽造変造した場合の罪で、『行使の目的』がないものについては適用されないとされている。
通貨の偽造は信用経済を行っている現代社会では経済の根幹を揺るがす行為のため、殺人並みの重罪に当たる。
小学生でもできるようなことが、無期又は三年以上の懲役になるのだ。
今回はスキャナで番号を控えるだけなのだから、『行使の目的』に当たらないのは間違いない。
沈水の以前の行為も『使っていない』と発言しているので、行使目的ではないとすればこの罪にはならない。
一方、『通貨及証券模造取締法』というのがあり、これは『紛らわしき外観を有するものを製造し又は販売すること』を罪としている。
コンピューター内に取込み、印刷していないスキャンが『製造』に当たるかどうかはともかく、コピーはこの罪に当たる。
「今は議論している場面ではない。使えない、というのが重要な事実だ」
「コピーも無理か」
『これしかない』
沈水が自分の机から持ってきたのはデジカメだ。
『これで番号を撮影する』
用意できたのは四台のデジカメだ。
それぞれ違うメーカーのデジカメだった。
『なるべく高画質にして、複数枚を一度に撮る』
そして、四人で作業できたのが、ケース一つ分、つまりは1億円分だけだった。
もう半分の1億円は番号を控えることができずに車に乗り込むことになってしまった。
車の中で、栴檀は一枚一枚、番号部分を見ていた。
これが法律にも抵触せず、車の中でもできる行為だった。
「マジかよ」
蘇合がその様子を見ている。
栴檀の数字に対する記憶力が人並み外れて優れているのは知っていたつもりだったが、蘇合自身は栴檀が記憶している姿を実際に見たことはなかった。
「できる」
栴檀は読み込んでいるというよりも、流し見しているだけだ。
束になった100枚を留めている紙テープを取ることなく、何度か右手でパラパラとめくっている。
束一つで、めくる数秒の作業を繰り返している。
一枚にかけている時間は一秒にも満たない。
栴檀は頭に数字が吸い込まれていくイメージを描き、整理して保管していく。
普段は特に意識することもなく記憶してしまうが、忘れること、間違うことは許されない、これでも栴檀にとっては慎重に覚えているつもりだった。
「間もなくつきます」
「大丈夫、終わった」
零陵がカーナビの指摘を伝える。
栴檀は目を閉じ、席に埋もれた。
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