第6話 真実性の原則⑦


「室長」

「お久しぶりです。今はもう室長ではありませんが」


 無言で、二人の間に、黒服の男が二人、遮るように立ちはだかる。

 栴檀の手を見て、馬酔木を守ろうとしているのだ。


「あんた」


 栴檀が男たちの隙間から見える馬酔木に、銃を向ける。

 それに呼応して、男の一人も胸元から銃を取り出して、栴檀に向けた。


「ああ、大丈夫ですよ、下げてください」


 馬酔木が栴檀との視線を遮る二人の男に声をかけ命令をする。


「彼には撃てません」

「しかし……」


 黒服の男は銃を下ろさず、お互い銃口は逸らさないままだ。


 栴檀に銃を向けている男は微動だにしない。

 銃という鉄の塊を持ち、腕を真っ直ぐに伸ばすことに慣れておらず、ぶれ続けている栴檀に比べ手慣れている、明らかに訓練されたものの立ち居振る舞いだった。


「なぜ獏を撃った」

「撃ったのは私ではありません」


 黒服を無視して問いかけた栴檀に、馬酔木は両手を前に出して、手のひらを天に向けた。


「冗談が聞きたいわけじゃない」


 馬酔木のポーズは、自分が引き金を引いたわけじゃないという意味だろう、と栴檀は思った。


「本当ですよ。あれは、私のチームではありません」

「チームだと?」


 銃口を向ける男たちから注意を離さず、一度振り返る。

 獏を撃った集団は獏に向かった蘇合を取り押さえている。

 一人は零陵の脇に立っているが、手荒なことはしていないようだ。

 蘇合も零陵も抵抗している様子はない。


 ライフルを持っていた人物のジャケットの背中が見えた。


「SATか」

「警視庁の部隊のようですね。どうしてもあちらの老人を排除しなければいけない理由があるようです」


 彼らはテロ事件など組織的で武器等の使用が想定されるときに配備される特殊部隊だ。


「室長の差し金じゃないのか」

「置き土産、という側面はありました。ここに来ざるを得ないようにしたのは私です。それが最後の仕事、というわけですね。私にもその程度の恩義はありましたから」


 社長が馬酔木を呼んでいたのはこの件だった。

 獏を潰すこと、これが中期的な目的だったのだ。


「彼を消去することは任務の最優先事項でした。国家にとって、大事なことは何でしょうか?」


 栴檀は答えなかった。


「大事なのは犯罪者を捕らえることでも、国民のため犯罪資金を回収することでもありません」


 警察や回収室の仕事を、大事ではないと馬酔木が否定した。

 栴檀や馬酔木がしてきたはずの仕事だ。


「国にとって、大事なのは『管理』をすることです。そのためには管理できない外来物を排除しなければいけません」

「それが獏か」


 宇佐は獏のことを独立系と呼んでいた。

 地下銀行を経営していたとすれば、基盤は日本にはない組織の一部であった可能性が十分にある。


 今度は馬酔木からの返答がなかった。


「だから罪を被せたのか?」


 思わず一歩進もうと膝を曲げたが、拳銃を向けている男の存在を思い出し、なんとか思いとどまる。


「いいえ、そうではありません。事実、彼らは地下銀行を経営していましたし、ドラッグの輸入や密売をしていました。なんら擁護をするような立場にはありません」

「そうか、ドラッグ店を摘発したのは」


 ドラッグ店は馬酔木が発見、報告したことになっていた。

 そういうこともあるものかと思っていたが、室長が自ら調査したと考えるのはおかしいことだった。


「そうです。我々、失礼、昔の癖が出てしまいました。国は、最初から周囲から彼らを追い詰めるために少しずつ工作をしていたのです」


 狛は獏のことを知らないと言っていた。

 それは本当のことだったのだろう。

 獏ではない相手と地下銀行の契約をして2億円を預けた。

 もちろん、契約は馬酔木の側であり、国家の側である者とだ。


 馬酔木の誘拐も国が画策したことに違いない。

 万が一にも露見することを恐れて、栴檀たちに確保されたあと馬酔木によって狛は処分されてしまったのだ。

 もしかしたら、狛は誘拐が狂言だと理解していて、誘拐犯の役目を演じていただけなのかもしれない。


「何もかも、獏を捕まえるためにやっていたのか」

「そうです。もっとも、あちらは捕まえる気はなかったようですが」


 獏はSATによって射殺された。

 逮捕しようと思えば逮捕できたはずだ。


 場所をここに指定したのは獏だったが、馬酔木によってここしか選べないように巧妙に仕組まれていたのだろう。

 結果、目撃者もなく、獏を処分することができた。


「2億円は」

「ついでですから、退職金としていただくことにします。『次』の仕事でも資金があることに越したことはありませんからね」


 今や、馬酔木は国家側に立っていない。

 だから馬酔木に向かって発砲があったのだ。


「工場にいた、病院にいた、回収室にいたあれは誰だったんだ」


 栴檀が工場から助け、回収室の火災に巻き込まれて亡くなった人間がいたはずだ。

 確かに、工場で見たときは、馬酔木だと思っていた。


「馬酔木由紀ですよ」

「そういうことを聞きたいんじゃない」

「大事の前の小事です」

「人が、一人死んでいる」


 その言葉に、馬酔木は優しい笑みを浮かべた。


「私は人間を作ることができる。あなたを新しく作ったように。ならば消すことも、同じように容易だと思いませんか?」

「書類を書き換えるのとは違う」

「さほど違いなどありませんよ。金のために命を賭ける人間はいくらでもいます。幸い、資金はありますからね」


 馬酔木が持っているのは馬酔木家の数十億の財産だ。

 犬神が振込詐欺で集めた2億円もある。

 それに、この状況からこれまでも様々な方法で資金を得ていたと考えるのは想像に難くない。


「そうか、そうだったんだな」


 栴檀の記憶の端でくすぶっていた塊が氷のように融けていった。


「どうしました?」

「鯱は自殺じゃない、お前が殺したんだ」


 馬酔木は人間の命をなんとも思っていない。

 書類と同じく作ったり消したりできるくらいにしか考えていない。


 あのとき、鯱を確保しろと言ったのは馬酔木だ。

 本来であれば警察に引き渡すのを、栴檀と蘇合に行かせたのも馬酔木だ。

 馬酔木は、鯱がすでに死んでいることを知っていたのではないか。


「それにどれほどの意味がありますか? 小さな詐欺犯が一人死んだだけです。自殺か他殺かに意味はないでしょう?」

「意味がないと思うなら、答えられるはずだ」

「どこかに答えがあると思うのはあまり感心しませんね」

「いいから、答えろ」

「聞きたいのはそれだけですか? せっかくなので、一つだけ答えましょう。質問を選び直してください」


 栴檀が思い浮かべた、一番聞きたかった、おそらく考えは合っていることを確認するための質問は『俺を嵌めたのはお前か』だった。


「室長、あんたはどっちなんだ?」


 だが、口をついて出たのは、それとは別の質問だった。


「どっちとは、どちらでしょう?」

「あんたはこちら側か、あちら側かだ」


 栴檀は、自分でもこの質問の意味を理解していなかった。

 しかし、それを馬酔木に確認しておくことは、とても重要なことに思えた。


「私が決めていいのですか?」


 馬酔木が意外そうな顔をする。

 年相応の若者らしい顔つきをしていた。


 沈黙。


 馬酔木の横にいた男が馬酔木の耳元で何かをささやいた。


「なるほど、残念ですが、もう時間がないようです。あちらが私たちを狙っているらしいので」


 馬酔木が左目でウィンクをした。


「行きましょう」


 馬酔木は男に車椅子を押され、ゆっくりと離れていく。

 もう一人は後ずさりながら、終始栴檀がことを起こさないかどうか観察していた。


 握った拳銃を栴檀は空に向ける。


 引き金に指をかけ、それでも姿が見えなくなるまで引かなかった。

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