第6話 真実性の原則⑧
「まあ、それが正解だよ」
合流した栴檀に、蘇合が言う。
「ええ、そうですね。撃たれていたかもしれません」
右肩を押さえながら零陵も同意した。
発砲してしまえば、反撃されていただろう。
経験のない栴檀と、明らかに実戦経験のある彼ら、人数でも経験でも、逃げ切ることさえできないのははっきりしていた。
男たちは三人がこの場にいないかのように無視をしつつ、獏の遺体を搬送している。
何者だったのかは彼らにはわからないし、今は確認のしようもない。
十分に武装し、統率の取れたグループだ、ということだけしかわからない。
「零陵さんは?」
「擦っただけです。狙ってはいなかったのでしょうね」
零陵が肩を払う。
スーツの布が破けていたが、血が出ているようには見えなかった。
彼女の申告通り、それほど大きな傷ではないのだろう。
「というかなんで銃なんて持っているんだよ。ミスシンデレラ、そっち系の犯罪だったのか」
「それはのちほど」
「……そうだな、これをお前に渡すのが先だ」
蘇合が自身の口を大きく開けて、奥歯のあたりから畳まれた紙片を取り出して、少し湿ったそれを栴檀に渡す。
「何だよこの紙切れは」
「獏から受け取った。渡そうとしていたかどうかはわからんが」
倒れた獏に蘇合が接触していた。
あとからやってきた男たちにすぐに引きはがされてしまったが、獏が握っていたものを蘇合が受け取った。
自分たちに渡そうとしていたのか、今となってはわかりようもなかったが、蘇合はそれをSATに取られないように口の奥に隠していたのだ。
三人は特に拘束も詰問もされることはなかった。
ただ、栴檀の持っていた零陵の拳銃はSATの一人に無言で奪われてしまったが、抵抗するわけにもいかないので、そのまま諦めることにする。
零陵も文句はないようだった。
大事を取って負傷した零陵の代わりに蘇合が運転をしてその場を去ることにした。
栴檀の部屋に四人が再び集まる。
音声では聞いていたはずだが、沈水に詳細を伝える。
「大変だったなあ」
沈水は銃撃のことを言っているらしい。
「何だかわかるか?」
蘇合が紙を沈水に渡した。
沈水は蘇合が口に入れて隠していたことを聞いていたので、汚物を掴むかのように、ポテトチップスを食べるときに使っている割り箸で受け取って机で広げた。
紙に書かれていたのは文字列だった。
「これは、あー、そうか、わかるよ、URLだ」
なぜか沈水が苦笑いして、文字列をウェブブラウザの検索バーに直接入力する。
真っ白いサイトが表示された。
「どうして知っていた?」
「知っていたも何も、これは僕がフィッシングに使っていたサイト。アドレスは偽装していたから、ドメインなんて読めない適当な文字列でよかったんだ。相手には見えないようにしていたヤツ。捨てたはずのサイトだったのに」
「つまり?」
「知ってる人間は、一人しか思い当たらない」
沈水は心底楽しそうに、屈託のない笑みを浮かべた。
沈水がフィッシングサイトとして利用していたサイトと同じドメインで、それを見破って沈水の下にやってきた人間、それは馬酔木だけだ。
「それでなんなんだ?」
ウェブページには何もなかった。白い背景があるだけだ。
「もしかしたら、ソース?」
沈水がウェブサイトのソースを確認する。
「や、外れかー」
背景と同じ、最低限の情報しか記述されていなかった。
「念のため、と。おー?」
サイトを更新すると、背景にさっきまでなかったはずの文字列が出てきた。
「見られている。相手は、こっちがアクセスしていることに気が付いたみたいだ」
沈水が勝負が始まったと言わんばかりに、爪を噛んだ。
「しかし、これはなんだ?」
栴檀がその文字を頭の中で読む。
「僕にもわからないけど、名前?」
沈水の言う通り、人名らしきものが五名分ほど表示されていた。
「誰、これ?」
「わからない」
栴檀も見たことがない人名だった。
特に特徴があるようにも思えない、ごくごくありふれている名前だ。
名前から推測して、男性が三名、女性が二名のように思える。
強いて言えば、やや古風な名前かもしれない、ということくらいだ。
「あ、押せる! どれか選ぶんだ」
カーソルを名前の上に置くと、クリックできるようになった。
五人の中の一人を選べ、ということらしい。
「検索しようか?」
沈水が名前で検索しようとする。
ネットに情報があるかもしれないと思ったのだ。
その手を、蘇合が嫌そうなしかめっ面をして口で止めた。
「上から二番目。その婆さんだ」
蘇合は左手で顔を覆っている。
「えっ?」
「どうしてわかるんだ、蘇合」
「いいから、押してみろ。ちっ、なんで知ってんだよ」
問答を拒否した蘇合を横目にして、沈水は蘇合が指した名前をクリックしてみる。
「ページが切り替わった」
「な?」
まだ、相手の望むページかどうかはわからない。
「蘇合、今のは誰だ?」
「……婆さんだ。資産家で、一人暮らしで、親戚が近所にいなくて、溺愛する会社員の息子が離れたところにいる、少しボケちまった婆さんだ」
「蘇合、まさか」
「『コピー』は取ってない。お前と同じだ、俺だってここがある」
呆れ気味に栴檀がこぼして目を細めて見たが、蘇合は自身のこめかみを指して笑った。
犬神の振込詐欺の支店にあったカモリストは回収室に持ち帰られたが、火災で失われてしまった。
軽口で『コピーをして利用するな』と栴檀は言っていたが、蘇合は言われた通りコピーは取らなかったものの、使えそうな相手だけ記憶していたのだ。
「気にするな、ほら、次の問題らしいぞ」
次に表示されたのは画像だ。
象形文字のようなものが、二段になって、横にいくつか並んでいる。
何かのパズルだろうか、と栴檀は思った。
「カウントがあるぞ」
蘇合が右上を指す。
30という数字が現れ、一秒ごとに減っていくのが見えた。
制限時間は三十秒というわけだ。
「どういう意味なんだよ」
「わかりますよ」
零陵はカウントなど気にしていないような冷静さで、ディスプレイに顔を近づけて、沈水の持っていたマウスの上に手を重ねる。
「答えはこれです」
並んだ記号の中から、『く』のような記号を選びクリックした。
「意味は『お前の手は何本か?』で、私が押したのは『2』です」
ページが遷移する。
「クリンゴン語のピカド文字ですね」
「くりん……?」
「あ、スタートレック」
沈水には聞き覚えがあるようだった。
「ええ、スタートレックに出てくる人工言語です。知らないのですか?」
さも知っているのが常識であるかのように零陵が言った。
「知らねえけど……」
蘇合は名前を聞いてもピンと来ていないようだ。
「というか知ってても読めないでしょ……」
「次です」
零陵が離れる。
19,807,040,628,099,398,887,002,468,899
ウェブサイトに出てきたのは、数字の羅列だった。
そして、カウントが30と表示され、数字が減っていく。
「最後はお前ってわけだな」
蘇合が肩を叩く。
これが最後の入力であるという確信はどこにもなかったが、何となくそのような気がしたのも事実だった。
栴檀がスクロールさせながら考える。
桁数は二十九桁だ。
数字列の下には入力枠が一つだけある。
ここに当てはまる何かを入れろ、ということだ。
頭の中で、栴檀は無数の数字を思い浮かべる。
仕事で使った数字に同じものはないか、学生時代は、日常生活では、全部記憶しているはずだ。
カウントは20を切る。
これを栴檀に見せた人物は、栴檀が解けると思っているはずだ。
記憶から出てこないとわかれば、今度は記憶にある近い桁数になるはずの数字の計算をしていく。
「10を切ったぞ!」
蘇合が急かす。
栴檀は天井を見る。
入力は一つ。
複雑な計算というよりは、何かを、何かした、くらいの意味合いになりそうだ。
「……ああ、わかった。素数の積だ」
そこで栴檀の脳に数字が一つだけ浮かんだ。
「本当か!」
キーボードに向かい、栴檀がテンキーを打つ。
140,737,488,353,670
エンターを押し、サイトが表示された。
「当たりみたいだな。なんだ今の数字は?」
「双子素数だ。さっきの数字のプラスマイナス1が素数になっている。差が2の素数の組み合わせを双子素数と呼ぶ」
落ち着いて見える栴檀の代わりに息を吐いた蘇合に、栴檀が説明した。
白の背景に、ただ文字列と数字があるだけのサイトだった。
一つの項目に数字が一つずつついている。
「これは」
表示されているのは、色々なロンダリングの方法の名称と、その価格だ。
ECサイトのように、ネットショッピングでロンダリング方法を売っていたのだ。
方法がメールで届くのか、また別な方法で伝えにくるのか、すべて『ソールドアウト』となっているため、確認することはできない。
獏が取引用に使っていたのか。
それを最後に伝えようとしていたのか。
そうではないことは四人にはわかっていた。
ページの終わりに、『皆さんへ』という記載があり、動画へのリンクがあった。
映像が再生され始める。
映像は録画のようだ。
カメラは白の床らしき部分を映している。
カメラは一瞬ぶれて、それから正面を映す。
背景はコンクリートの壁。
「回収室だ」
火災を受ける前の回収室の壁だった。
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