第6話 真実性の原則⑥


「いい加減ここ以外にしてくれよ」


 蘇合がぼやく。


「あれか、ここは回収室の私有地なのか」


 蘇合が陽気に言っているが、横にいる栴檀は反応しない。


「経費で購入しておきましょうか?」

「冗談だよ」

「わかっています、回収室はもうありませんからね」


 軽口なのか、本気なのかわからないやり取りを蘇合と零陵がする。


 獏が取引場所に姿を現した。

 三度足を運ぶことになった、鯱の工場だ。


 栴檀が蘇合に依頼したのは獏を釣り上げることだ。

 蘇合に渡しておいたのは、危険ドラッグ販売店から回収していた偽造株券だった。


 獏は狛が回収室から奪った2億円の他にも、地下銀行の決済用現金を持っているはずだった。

 空港その他には手配は済ませていて、容易にこのまま日本から脱出はできないようにしている。

 2億円については銀行にも番号を通知しているので、ATMでちまちま入金をする以外に、どこかに隠すのは簡単ではない。


 海外に逃亡をするためには、少なくとも短期間にこれらの現金を洗浄して、身を軽くしておかなくてはならない、と考えるだろう、と栴檀は踏んだ。

 海外に持ち運ぶのなら貴金属だが、税関も控えている。


 焦っているところに、助け船という名の泥船を差し出そうと考えた。

 蘇合が持っている休眠会社と、この偽造株券を使って、獏が一旦手持ちの大量の資金を紙にするところで捕まえようというのだ。


 これは再度、宇佐に依頼をすることになった。

 それとなく情報を各所に回し、かなり割り引いた株券を処分したい人間がいるという情報が獏に伝わるようにした。

 かなり胡散臭い話だが、それは栴檀はあまり問題にしていない。

 精巧に作られた偽造品でも金にはなる。

 一枚を見本品として流して、それを詐欺用に仕入れさせることでもよかった。


 可能性はあまり高くないと思っていたが、見事に獏が引っかかってくれたようだ。

 奇妙だったのは、獏が待ち合わせ場所に指定したのが鯱の工場だったことだ。

 何か思惑があるとしか思えない。


 馬酔木の誘拐救出の際に炎上してしまったので、もはや工場跡地と言った方がいい。

 焼けて崩れた鉄骨が山を築いていた。


「来たぞ」


 双眼鏡を片手に蘇合が言う。

 やってきた黒い車から、獏が降り立った。


 幾重にも布を巻いたような、独特な服装をしている。

 その布がひらひらと風に吹かれて揺れていた。

 店内にいた男たちはいなかった。

 栴檀を襲ったと見られる人間たちもいない。


 車内には一人か二人はいるだろう。

 それにしても、一人で降りるとはあまりにも不用意だった。

 ゆっくりと歩いて、こちらを認めたのか、近づいてくる。


 その青年とも老人ともつかない体格は、店にいるときよりも小さい。

 幾重にもなっている布が地面についている。

 声が届くほどの位置まで来て、獏が語りかける。


「若い旦那。よく来た」

「出るな」


 飛びだそうとした栴檀を蘇合が制止した。


「金を持っていない」


 蘇合の言う通り、獏は何も持っていないようだった。

 ひらひらした服の中に大金を仕舞えはしないだろう。

 だとすると、車の中にまだ入ったままかもしれない。


 獏が進み出る。

 獏は騙された、という顔をしていなかった。


「この世界のことが少しはわかったかい?」


 獏は孫に諭すかのように優しく栴檀に話す。

 問いかけられた栴檀は返す言葉が見つからないままだった。


「あまり時間はないようだ」

「時間?」

「我々は自由に生きてきた」


 栴檀の声が届いているのか、無関係に思える独白のような言葉を綴る。


「自由に生きてきた。死ぬときも自由でありたいが、自由に生きてきたものは、死ぬときは大体不自由だ」

「死ぬとき? 金は? どうした」

「この私も同じだ。大きな力の前では、あまりにも無力だ」


 獏が何を言っているのか栴檀にはさっぱりわからない。


「大きな流れがあり、それに反しようとするまた別な流れができている。しかもそれもまた流れであることは違いない。我々はそれには乗らない」

「何を言っている!」


 たまらず栴檀が叫んだ。

 獏の皺だらけの顔がさらにくしゃくしゃになった。


「答えが見つかるといい」


 栴檀が向かおうか躊躇しているところで、獏が自身の懐に手を入れた。


「お行儀のよい子には、ご褒美を上げよう」


 パン、と乾いた音が遠くで聞こえた。

 その音が木々に吸い込まれていくのと同時に、静かに獏の体も崩れていく。


 栴檀は発砲音の方を反射的に見てしまう。

 数名の男がいて、一人が何かを構えていた。獏を撃ったライフルだろう。


 銃声にいち早く反応したのは零陵だった。

 彼女は胸元から、咄嗟に拳銃を取り出す。

 狙撃手からは距離はかなりあった。

 彼女が構える前に、再度発砲音がした。


「零陵さん!」


 よろけた彼女を栴檀が抱き起こす。


「肩に擦っただけです。問題ありません」


 栴檀が狙撃手を見る。

 伏せる間もなく連続的に発砲音がした。

 金属に銃弾が当たった音がした。

 獏が乗っていた車のフロントガラスが粉々になっている。

 車に乗っている人物を狙ったのだろう。


 もう一度ライフルを持つ人物を見る。

 ライフルの先が、獏とは別の方角を指した。つられて視線を動かす。


「栴檀さん」


 何も考えず走り出そうとした栴檀の服を零陵が掴み、手を差し出す。


「借ります」


 零陵から手渡されたものを持ち、栴檀が駆ける。

 目的地まで距離がそうあるわけではない。


 栴檀が林の中に入っていく。

 足元は先ほどまでの砂利と異なり、腐葉土が積もっているせいで力を込めて蹴り進むことができない。


 真横で木の皮が弾け飛んだ。

 後ろから狙撃されたのだ。

 林にいる間は障害物が多く弾は当たりにくいのだろうと栴檀は思ったが、この弾丸は自分ではなく、その先の、栴檀が向かっている人物に対してなのではないかと思い直すことにした。


 息を切らせて、林を抜ける。


 そこはまた別の広場になっていた。

 目の前の人物までの距離は十メートルほど。


 栴檀はこれ以上相手に近づかないように足を止め、対峙した。


 その人物――馬酔木は車椅子に座り、優しい瞳で栴檀を見ている。

 火傷の痕も見られない。

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