第6話 真実性の原則⑤


 零陵の運転で栴檀はかつて馬酔木家があった場所を訪ねてみた。


 世田谷にある一軒家だったらしいが、今はそれらしき様子もなく、小洒落たマンションが建っていただけだった。

 土地もとうの昔に売却され、人の手に渡っている。


 手がかりを得ることもなく、二人は栴檀の家へと帰路についていた。

 助手席に座っていた栴檀が思っていた疑問を口にする。


「零陵さんは、どうして回収室に?」

「私は小切手詐欺でアメリカから国際指名手配されています」


 ためらいもなく零陵が返した。


「アメリカ」

「そうです。日本では小切手はあまり使われませんね。最近はアメリカでもカードが多いですが」


 クレジットカード社会と言われるアメリカだが、同時に小切手社会でもある。

 クレジットカードが普及しても、小切手はまだまだ使われている。

 小切手は任意の数字を書き、それを相手に渡し、受け取った相手は銀行でそれを現金に換え、小切手を振り出した人間の口座から同額が引き落とされる。

 額面の書いていない紙幣と同じような働きをしているため、残高のない口座の小切手で高額な買い物をしたり、あるいは他人の小切手を偽造して金を引き出したり、といった詐欺が横行している。


「あなたが捕まった事件に『付随』して発覚した事件です」

「やはり」


 栴檀の思った通りだった。


「当該取引において、米国子会社に関する部分について偽造小切手を振り出し、10万ドルを換金し、室長に逮捕されました。逮捕されたといっても、裁判も取り調べも受けていませんが」

「そうか」


 零陵も、他の三人と同じく馬酔木に捕まり、勧誘を受けていたのだ。


「ただし、それは建前です」

「建前?」


 そこで終わるかと思った話を、零陵が続けた。


「私は小切手詐欺など行っていません。言うなれば無実です」

「なすりつけられた?」


 深く沈んで動きのなかった栴檀の一部が反応した。

 冤罪で捕まったというのなら、零陵は自分と同じ立場だ。


「いいえ、違います。私の意思です」

「意思」

「JMRFで経歴が白くなりましたが、室長に捕まったときの経歴自体、我々が慎重にくみ上げたものです」

「我々?」


 さっきから小出しの情報に、栴檀はオウム返しをしてばかりだった。

 零陵の声は落ち着いて、言葉を選んでいるようにも思える。


「私の『本当』の所属はアメリカ財務省情報局です。今まで黙っていましたが、SWIFTの担当者は『私』です」


 栴檀は馬酔木が持つアメリカへのコネを使い、SWIFTデータを照会していたと思っていたのだが、アメリカでの担当も彼女であり、彼女自身の権限でデータを見ていたようだ。


「もっとも、通常は定められた手順に従って、アメリカに依頼している、という体を取っています。私にも個別に参照権限が与えられている、というだけです」

「そっちのスパイか」


 日本とアメリカは同盟国だ。

 しかも上下関係があると言っていい。

 わざわざアメリカから日本にスパイを送り込まなくても、情報を提供しろと言えば済む話ではないのか。


「日本国に情報を隠しての潜入捜査、という意味ではそうです」

「それは」

「捜査の対象が日本国だからです」


 日本に隠しながら捜査をするために、経歴を偽って回収室に潜り込んだというのだ。


「我々は、馬酔木由紀を重要な関与者、容疑者として追っていました」


 回収室として馬酔木の指示の元、犯罪者を追いながら、零陵は馬酔木をも追っていたのだ。


「容疑者? 何のですか?」

「回収室と同じです」

「――マネーロンダリング」


 回収室の主な目的の一つはそれだ。


「そうです。すべてが秘密裡に進められていました。日本国が、いいえ、この場合は防衛省がですが、その資金をマネーロンダリングし、その隠匿先の一部が我々の制裁国に流れていることがわかったため、我々は調査を進めていました。我々が制裁国に流れていると把握したのは、日本円で40億円ほどです」

「つまり」


 聞き覚えのある額に栴檀が顔を上げる。


「ええ、あなたはそのスケープゴートにされたのです。アメリカの捜査に感づいた防衛省は、表に出せない金をどうすることもできず、取引先の会計士に罪をなすりつけることで事態収束を図ったのです」

「そうだったのか」

「企業側の人物は特定されています。もっとも、日本国によってすでに失われてしまいましたが」

「財務部長か」

「ええ」


 東京湾に浮かんでいた財務部長は、口封じのために殺されたのだ。


「防衛省側の人物の特定にはかなりの困難を極めましたが、我々は一人の人物に行き当たりました」


 小さく息を吸った音が聞こえた。


「その指導的立場にいたと我々が推測しているのが、馬酔木と名乗る男でした」


 そのときから、馬酔木は国家にかかわっていたのだ。

 警察よりも早く栴檀以外の三人を見つけ、捕まえることができたのも、最初から周辺事情を理解していたからだ。


「捜査の白羽の矢が立ったのが、日系人で日本語が使える私でした。経歴を書き換え、指名手配犯として日本に入国し、事件に接触することで、回収室に入ることに成功しました。そして、仕事をこなしながら、逐次連絡を取っていました」


 それで零陵は十七時には帰宅していたのだ。

 それからアメリカと連絡を取り『本業』としての仕事をしていたのだ。


「なるほど」

「驚きましたか?」

「ええ」


 冷静な声で零陵が聞き、素直に栴檀も答えた。


「栴檀さんは、私を疑っていたのでしょう?」

「よくわかりましたね」


 ミラー越しに零陵の顔が見えたが、いつもの感情の薄い表情だった。


「だから、わざわざ私と一緒に意味のない場所まで移動した」

「そうです」


 緊張の糸が解け、栴檀は助手席のヘッドレストに後頭部を置くことができた。


 社長からの回収室暫定解散命令にもかかわらず、彼女は栴檀の家までやってきて、事件の捜査を引き続きする仲間に加わった。

 沈水は獏への報復の意思があるし、根本的には面白いだけで危険な橋を渡るタイプだ。

 蘇合も事件が収まりのつかないまま投げ出すのを嫌うだろうから、参加するのはわかっていた。


 それに対して、零陵は何もない。契約に従って、十七時に必ず帰宅するような彼女だ、待機命令で給与が出るなら問題なしと思うはずだ。

 にもかかわらず、彼女がついてきたということは、彼女がなんらかの点で、馬酔木と繋がっていて、こちらの出方を探っていると思ったのだ。


 栴檀が、零陵に向かって『そっちのスパイ』と言ったのは、馬酔木のスパイだと思っていたからだ。


「どうして疑っていることがわかったんですか?」

「勘です」


 こともなしに零陵は言った。

 それから、少しだけ幼い女性のような柔らかい声でフロントガラス越しに言う。


「いいえ、こうして二人っきりになるのは初めてですから、そう思っているのかなって。ちょっと思っただけです」

「ああ、そうですか」


 栴檀はほんの少し、本来の彼女はこちらなのではないかと思った。


「どうして今頃その話をしたのですか?」

「上司の許可が出ました。私だけの手には余ります。手伝っていただきたい」

「それは、もちろん」


 現在の栴檀の目的は馬酔木を見つけることだ。

 しかも、彼女の言うことが正しいとすれば、自分が逮捕された原因を作りだしたのが馬酔木である可能性が高い。

 拘置所で自分を助けると言いながら、その実、根本には馬酔木がいたのだ。


「すべてが計画通りに進んでいます。馬酔木の計画通りです。それ以外の全員、我が国にも、日本国にも想定されていなかった事態です」

「室長は何をする気だと思いますか?」

「わかりません」


 強くアクセルが踏まれ、車は加速する。


「証拠が欲しいですか?」

「できれば」

「足元の箱を開けてください」


 助手席の栴檀が言われた通り、靴先で幾度か叩いていた分厚いハードカバー程度の大きさの黒い箱を屈んで取り、膝の上に置く。

 鍵穴はなく、四桁の暗証番号を合わせるタイプのダイヤルキーがあった。


「1207、私の誕生日です」


 栴檀がダイヤルを零陵の誕生日に合わせて、鍵を開ける。


「誕生日なのは嘘です」


 箱を開け、中身を見る。


「私のあちらでの身分証です」


 手帳があった。

 中には雰囲気の少し違って明るさが見える零陵の顔写真があり、見知らぬ名前が英語で書いてあった。

 こちらが彼女の本名なのだろう。


「偽造ではないという証拠はありません。ですので、それ以上は信じていただくよりほかないと」

「わかりました」


 今は疑ってもきりがない、というのが栴檀の考えだった。


「下にまだ何か」

「どうぞ」


 箱は厚底で、手帳が置かれていたフェルトの下にもスペースがあった。

 零陵の許可があり、それをひらりとめくる。


 そこには金属の塊があった。

 触れてみたが、金属特有の硬質感と、冷たさがあった。


「撃ったことはありますか?」

「ハワイの射撃場で一度だけある」

「それでは期待はできませんね」


 箱に入っていたのはオートマティックの拳銃だ。

 冗談で入れているのでなければ、モデルガンでも、エアガンでもない。


「合法?」

「もちろん、日本の法律では違法です。困りましたね」

「何のために?」

「もしものときは、それで室長を撃つことができますか?」


 零陵は、別な質問で、栴檀に答えた。


「どうして?」

「考えておいてください」


 携帯電話が振動した。

 相手は蘇合だ。


「そうか」


 報告を受けて、栴檀は電話を切る。

 鏡の中の零陵と目が合った。


「予定通りだ」

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