第一話 貸借対照表

第一話 貸借対照表①


 自分の身体を見る。

 そこには知っている自分よりも縮小した姿があった。

 おそらく小学生にもなっていない体形だ。


 だが、身体は自分自身のものであるようだ。

 そういえば、自分にもそんな頃があったなと考える。


 どうやら、夢の中で過去の自分になっているようだ。

 過去の夢を見ているらしい。


「――くん?」


 誰かに話しかけられた。


「他の子はもう終わっているのよ」


 上から話しかける言葉の主は先生のようだが、全体像はぼやけて顔もよくわからないため、実際の教師だったかどうかは判別できない。


「ほら、おかたづけしようね」


 どうやら自分は、この先生にたしなめられているようだった。

 確かに、自分は片付けが苦手だ。

 この頃にはすでに、その性格ははっきりとしていたはずだ。

 どんなに散らかっていても、どこに何があるのかは理解している。

 だから、整理整頓という考えを持つ必要がない。

 だが、この先生は他の子供たちと同じようにしてほしいのだろう。


 ここは幼稚園か保育園だろうか。

 通った記憶はないが、通わなかった記憶もない。

 どちらだっただろうか。


 幼児の身体で、今までの人生を振り返る。

 人生を振り返るということ自体、自分には必要ないと思っていた。

 両親は顔も覚えていないくらい、自分が小さな頃に死んでしまった。

 繋がりのあるような親戚もいない。

 小学校中学校と施設から通っていた。

 そうだったはずだ。


「せんせい、でもね、――くんすごいんだよ」


 誰か子どもが間に入ってきた。


「みんなよりもうんとはやく、足し算ができるんだよ」


 足し算だけではない、四則演算くらいならすでに何十桁もできる。

 指を折って数えている他の子どもたちが馬鹿らしくなってきているくらいだ。


 この特異な才能のおかげで、親がいなくても奨学金で生活することができた。

 進学もほぼ自動的に大学まで行けた。

 就職もトップクラスの会計事務所に就くことが難なくできた。

 その点で言えば、順風満帆のはずだった。

 もっとも、今となってはこの夢と同じく過去の出来事だが。


「――くん? ――くん? だいじょうぶ?」


 反応がなかったのが気になったのか、その子供が話しかけてくる。

 この名前も、もう誰も呼ぶことはない。

 これは捨ててしまった自分の人生だ。

 今は新しい人生を歩んでいる。

 過去、自分がどうしてきたか、そんなものは忘れてしまってもいいだろう。

 事実はもう事実として、過去の箱にしまわれている。


「そうですか?」


 唐突に、その子供が大人びた口調で、少し笑いかけるような声でこちらに語りかけてきた。


「あなたは、本当に、事実を知っているのですか?」

「なん、だって?」


 さらにその子供は続ける。


「あなたのもっとも古い記憶、数字の記憶はなんですか?」


 その言葉で、記憶の渦が巻き起こり、深い深い記憶の底まで落ちていく。


 初めての数字。


 自分にとって大事な、数字の記憶。


「よ、よんじゅうに」


 向かい合う子供は、満足したように微笑んだ。


「それは何の数字ですか?」

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