第6話 真実性の原則④
「状況を整理しよう」
集まった三人を前に、栴檀がいつもの調子で切り出す。
JMRFの本部からの指示、つまりは国の指示で、回収室に立ち入ることは不可能となった。
回収室が持っている権限も、使える機能も失った。
今は、栴檀に与えられた自室に集合している。
「相変わらず辛気くせえ部屋だな」
蘇合がうろうろしながら壁に触っている。
「寝ているだけの部屋だ」
2LDKの部屋は必要最低限のものしかない。
リビングには情報を集めるための大型テレビと、テーブル、ソファがあるだけだった。
栴檀も、ここはあくまでも仮住まいで、いずれ回収室としての生活が整うか、別なところに行くか決まったときに引っ越そうと思っていた。
「なに、来たことあんの? あ、マジ水しかない」
冷蔵庫に向かい、買ってきたコーラを沈水が詰め込んでいる。
「ああ、何度かな」
零陵が『ま』という顔をして、手を口に当てた。
何を想像しているかは追及しない。
「勝手に来ているだけだ」
栴檀が意外に思ったのは零陵が部屋に来たことだった。
回収室は休止というよりも解散が決定した組織だ。
もう何も要求されていない。
これはもう栴檀の独断行為に近かった。
そうであれば、ついてくる必要もない。
蘇合も沈水も馬酔木のことを気にしているようだったが、零陵はそういった素振りは見せなかった。
「まず、新たに入った情報だ。沈水」
「ああ、これだよ」
持ってきたノートパソコンを全員に見えるようにする。
「入ってきた情報というよりは、情報が入らなかった、という情報だ」
栴檀が言い直す。
ディスプレイには人物と顔写真が並んでいる。
「回りくどいな、はっきりしろ」
急かした蘇合に栴檀が説明をする。
「あの日、回収室が燃えた日に逮捕された人物のリストだ」
「参ったな、どういうことだ」
かなり長いリストだが、それを見て蘇合が唇を噛む。
「俺たちはきちんと引き渡したはずだが」
「しかし、現実はこうだ」
そのリストには狛が載っていなかった。
当然狛というのは偽名だったろうが、二人は顔を見ている。
その顔がどこにもないのだ。
「他のヤツらもいねえな」
誘拐の一味として狛と逃亡しようとしていた人間たちもリストにはない。
「どういうことだと思う、栴檀」
蘇合がミネラルウォーターのキャップを開ける。
「このリストが間違いではないという前提の下で可能性は二つ。一つは引き渡した相手は警察ではなかった。もう一つは警察ではあったが、なんらかの理由で逮捕したことが隠蔽されている」
「どっちだと思っている?」
「後者だ」
「そうだな、俺もそうだと思う」
間髪いれずに返した栴檀に蘇合もうなずく。
制服で偽装できるとはいえ、呼び出したのは空港職員だ。
偽警官であった可能性は低い。
それよりも、狛を引き渡したあとどうなったのかを回収室は把握していなかった。
確認や連絡といったものをすべて飛ばしてしまったのが、回収室の火災だったのだ。
「狛はどこへ行ったか」
「釈放されたとは思えないな、東京湾か高尾山だろう」
蘇合の見立ては、彼らはもう生きてはいない、だった。
「あちゃー」
よくわからない感想を沈水が言う。
「だとすると、狛の言っていた『獏のことを知らない』というのも」
「事実かもしれない」
蘇合の疑問に栴檀が首肯した。
取り押さえたとき、彼は誘拐は認めていた。
2億円を地下銀行で換金したらしいのも話しぶりから想像できた。
「待て待て栴檀、お前は獏の店であの2億円のナンバーを見たんだろ?」
「そうだ」
「自信があるんだろ?」
「ある。当然だ」
「じゃあ、なんで獏を知らないんだ?」
「末端とやり取りをしただけかもしれないし、違う地下銀行で換金したものが流れてきたのかもしれない」
「本気で言ってるのか?」
「可能性の話しかしていない」
「もうめちゃくちゃだろ、何がどうなってるんだよ」
蘇合が頭を抱えている。
「わからない。獏が狛と繋がっていないとすると、どのようにして室長のことを知ったのか、という点も不明だ」
「回収室が評判になっているっていう話じゃん?」
カタカタとキーボードを操作しながら沈水が言った。
宇佐の話を聞いていない二人にも回収室が狙われているかもしれないという話はしている。
「ううむ」
蘇合は一人うなっている。
「別のグループということはあるかもしれないが、だとすると、獏が逮捕後に姿を消した理由がわからねえな。獏が警察と繋がりがあったっていうのか?」
「あるいは、警察が獏をけしかけた、かだ」
「はは、まさか、まさか、だよな?」
栴檀の発言を笑い飛ばそうとした蘇合が、思ったよりも他のメンバーが真剣な顔をしていたのに気が付いて、声を小さくしていった。
「仲が悪いったって、そこまでじゃねえだろ」
「どちらにしても、今は憶測の域を出ない。頭に留めておくだけでいい。零陵さん、何かありますか?」
急に話を振られた零陵は、水の入ったグラスに口をつける直前で、それを離して静かに返した。
「いいえ、特にありません」
「そうですか」
「まあ、できるところからってヤツだな」
蘇合が自分の鞄を引き寄せる。
「モノは?」
「まずこれだな」
蘇合が鞄から携帯電話を取り出した。
栴檀が蘇合にいくつかの品物を用意するように依頼していた。
「足がつかないようにはしてあるが、長くは使えない」
「十分だ」
飛ばしの携帯電話だ。
回収室支給のものは取り上げられてしまった。
そうでなくても、回収室支給のものは強制的なGPS機能で居場所がJMRFに把握されてしまう。
社長のあの話しぶりでは、四人で集まることもよしとしないだろう。
「沈水、一応入れておいてくれ」
「あいよ」
沈水がそれらに手を加える。
回収室でも使っていたメッセージツールと、お互いの居場所がわかるようにするためのアプリだ。
「もう一つは?」
「あるぜ」
蘇合が紙をテーブルに置く。
「これが馬酔木の戸籍謄本だ。名字が珍しいから当たりがつけられた」
「戸籍によれば、両親は死んでいる」
馬酔木の両親はすでに亡くなっている。
「二十歳だったのか」
戸籍に書かれている出生年月日から計算すれば、二十歳になっているはずだ。
「馬酔木家はそこそこの資産家だった。財産もかなりあったらしい。所有する土地建物だけで、時価数十億だ。それを相続している」
「やっぱり坊ちゃんだったのか」
「で、だ。こっちの方が気になるな」
置いたのは通帳のコピーだ。
「JMRFのシステム内にあった室長の銀行口座の残高なんだが、なんと0だ。見事に全額引き落とされている」
「ぜ、ぜろ?」
沈水が高い頓狂な声を上げた。
「しかも、引き落とされたのは火災のあった当日の午前中だ。銀行員の証言だと、車椅子の青年が来たと言っていたので、室長本人の可能性が高い」
「わざわざ銀行に行ったのか」
「馬酔木家が所有していた土地建物は、相続時にすべて現金化されている。相続税の支払いも兼ねてということで、誰も問題視はしていない。結果、数十億が残された」
数十億の相続を一人でしたのだから、相続税も相当な額になったはずだ。
相続税は現金支払いが原則で、相続財産以外に財産を持たない子供の馬酔木由紀が払えるわけもなく、納付のために資産を現金化したとするのはおかしくない。
「次、この口座はその資産の売却口座だった。全額がここに振り込まれている」
「ちょ、ちょっと待て、さっき0だって言っただろ」
沈水が口を挟む。
「そうだ、0だ」
「ということは、ということはだよ、その、とんでもない額の遺産はどこにいったっていうんだ?」
「他に銀行口座を持っていなければ、徐々に引き落として、現金なり、外貨なり、金なりに換えていたんだろうな」
「マネーロンダリングだ」
「書類上は、そうだ。室長は現金以外『何も持っていない』ことになる」
「マジかー。室長が独り占めかー」
何者かが長期間に渡り、馬酔木家の膨大な遺産をどこかに移している。
何者か。
現状で考えられる人間は一人しかいない。
馬酔木由紀、馬酔木室長本人だ。
「室長が本当に『馬酔木由紀』だったらの話だ」
自分たちが見ていた室長は、『馬酔木由紀』ではない可能性が出てきた。
馬酔木という存在が揺らぎ始めていた。
「そうだな、馬酔木の両親が死んだのが『火災』だからな」
馬酔木の両親が亡くなったのは、今回の回収室と同じく火災だった。
「調査によれば、十数年前に馬酔木家に火災が発生。火元は台所から。事件性はなしと見られている。現場からは二人の遺体が発見され、馬酔木由紀の両親であると推定された」
蘇合が紙を読み上げる。
「じゃあ室長は?」
「倒壊した柱が両足に覆い被さり障害を残したものの、一命を取り留める」
「あの車椅子はそういうことなのかー」
馬酔木の足が不自由な理由はこの火災での怪我によるものだったのだろう。
「繰り返しになるが、同一人物なら、だ」
沈水に再度、栴檀が念を押す。
「じゃあ、室長は誰だったんだ」
「何もわからない」
栴檀が一人ずつに目を配った。
「これまでにわかったことを確認しよう。
火災の原因は不明。
獏かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
獏は逃走。行方不明。
我々の2億円を持っているかもしれない。
狛も行方不明。
生きているかどうかも怪しい。
警察に関係があるかもしれない。
馬酔木室長は表向きは火災で死亡したが、断定はできない。
生きているかもしれない。
生きているとすれば、何か画策しているはず」
三人が揃ってうなずいた。
「かもしれない、ばっかりだな」
「その通り」
「それで、大将どうする?」
「二手に分かれよう。獏の捜索と、室長の捜索、どちらも生きているか死んでいるかも含めて、だ」
「よっしゃ、栴檀、行くか」
気勢を上げた蘇合に、栴檀は落ち着いた声で告げた。
「いや、今回は別行動だ」
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