第4話 明瞭性の原則⑦


 前回来たときと同じ場所に車を止める。

 外は陽が落ちかけていた。


「零陵さんはここで待機をしてください。いつでも発進できるように」

「わかりました」

「五時になっても帰るなよ」

「わかっています」


 栴檀と蘇合が一つずつジュラルミンケースを持つ。


「よっしゃ行くぞ」

「蘇合、工場の中は変わっていないのか?」

「そのはずだ。まだ車は搬出されていない」


 工場の内部へ、胸近くまで降りかけているシャッターをくぐって入る。

 売却はまだされていないはずだから、あのときと同じように車が並んでいるはずだった。


「暗いな……」


 蘇合が記憶を頼りに、暗闇の中でスイッチを入れようとしたとき、中央から声がした。


「それ以上動くな」


 照明がつくのと同時にこもった声で喋ったのは、黒い布を被っている男だ。

 どこかの秘密結社の一員にも見える。


「金をこっちへ投げろ」


 ガサガサという布擦れの音があちこちから聞こえた。

 当たり前だったが、中央の男だけではない、他に数人、聞こえる限りでは四、五人はいるだろう。


「しつ、社長の安全の確認が先だ」


 蘇合が室長と言おうとして、彼らの誤解の通り『社長』と言い直す。

 下手に情報を与えるべきではないとの判断だ。


 男が差し出していた手を後ろへ向ける。


「動くな」


 駆け出そうとした栴檀を再度制止する。

 その先には車椅子に乗って、紙袋で顔を隠されている人物がいた。


 たぶん、あれが馬酔木室長だ。

 意識があるのかわからない。

 室長の横にも布を被った人間がいる。


「安心してください! 迎えに来ました!」


 蘇合が叫ぶが、ピクリともしない。


「無事なのか?」

「あんたらが金を出せばな」

「わかった」

「おっと、投げろ。近づくな」


 二人は顔を見合わせ、うなずいて男の方に蘇合だけケースを滑らせる。


「そっちもだ」

「社長の安全が先だ」


 車の中で事前に取り決めていたことだ。


「確認しろ」


 別な方向からまた布人間がやってきた。

 ケースを開けて中身が本物であることをチェックしている。

 大金に触り慣れていないのか、チェックをしている人間の手が心なしか震えているようにも見えた。

 沈水の言うように、新聞紙を混ぜていたらここで終わりだった。

 中央の男に対して何度も何度もうなずいている。


「1、2、3で投げろ」


 指示役が栴檀を顎で指す。


「同時に監視を離す。いいか、同時にだぞ」


 予定では監視が離れた瞬間、栴檀は馬酔木を保護し、蘇合は誘拐犯の一人でも追いかけるつもりだった。

 零陵にはここから離れていく逃走車を見逃さないことと、万が一のために救急車と警察車両への連絡を依頼している。


 投げるタイミングと同時というのは好都合だった。


「1、2」


 もっとも、あちらの言い分が正しければ、だ。

 栴檀はケースを両手で持ち、腕を後ろに振る。


「3!」


 遠心力を活かして、なるべく遠くに投げた。

 放物線を描いて、中央の男の頭上すれすれを飛び越えていく。

 その勢いで、室長に向かって栴檀も駆け出した。

 室長の監視をしていた人間が、ケースが飛んでいくのを見上げていた。


 しかし、蘇合は足が前に進まなかった。

 進めようとした足が、風によって止められてしまったのだ。

 外からではなく、工場内、男の後ろからの風、爆風だ。


 工場ごと、爆発火災を起こしているのだ。

 二人がめまいを起こしているうちに、男は煙の中に消えていった。

 飛び越えていった栴檀の投げたケースを取りに行き、自分たちは安全な経路を確保しているに違いない。


「蘇合! 脱出が先だ!」

「ああ!」


 栴檀の声で、気を持ち直した蘇合は男を追わず、入ってきたシャッターへと向かう。

 男の声がくぐもっていたのは、布の裏にマスクに近い何かをつけていたのだろう。

 何も見えない煙の中に蘇合が向かっていっても犯人を見つけられないどころか、巻き添えになってしまう。


 蘇合がシャッターにたどり着く。

 栴檀と馬酔木の脱出経路を確保するのが先だった。


「ち、き、しょ!」


 シャッターはこともあろうに最後まで下ろされていた。

 全身の筋肉を使い、業務用のシャッターを持ち上げようとする。


「室長!」


 栴檀が馬酔木まで到達する。


「大丈夫ですか!」


 被せられた紙袋は、首元で縛られていた。

 栴檀はまず室長を外に運ぶことが先決だと考えた。

 車椅子ごと押そうとするが、車輪が破壊されているらしく、びくともしない。


 仕方なく背負おうとして、栴檀は思い至る。

 これは本当に馬酔木室長か、と。


 膝に触れた感じは人形には思えなかったが、万が一、そういう可能性もある。

 そうはいっても、確認する時間はあまりない。とりあえず人間なら工場から出してからでもいいのではないか。

 思考が巡ったあと、結局麻縄をほどき、紙袋を取り外そうとした矢先だった。


 上から火の粉が降ってきた。

 猛烈な熱を浴びて、思わず手を離してしまう。

 紙袋が燃えだすのはあっという間だった。


「開いたぞ!」


 炎でボロボロになった紙袋の隙間から、馬酔木の顔を確認し、声のする方向に馬酔木を背負っていく。

 工場の中は、煙で充満していて、蘇合もうっすらと見えるだけで、わずかな外の光を頼りに、それが出口だと走る。

 両足の筋肉がないのか、馬酔木はだいぶ軽く感じられた。


「こっちだ」


 再度誘導を受けて、外に出る。

 栴檀は深く息を吸った。


 ドーン、ドーンと大きな音が二回聞こえた。

 工場の側面から新鮮な空気を得た炎が我先に吹き出していた。


「間一髪ってところだな」

「どうだった?」

「すみません、暗くて番号まではわかりませんでした」


 零陵は申し訳なさそうに言った。

 外は暗み始めて、陰影がついている。


 背負っていた馬酔木をなるべく平坦な地面に置く。

 目を閉じている馬酔木は意識を失っているようだった。

 白い髪は一部焼け、肌にも火傷が見られるが、ここでは処置ができそうにない。


「見取り図は見ておくもんだぜ」


 蘇合が長いホースを持ってきた。


「洗車用だけどな」


 蘇合を追いかけるようにホースの中を水が走っている。

 水圧が強いので、直接ではなく、明後日の方向に水を流す。


 鯱が中古車を洗車するために、外に蛇口とホースをつけていたのだ。


「溺れない程度に冷やしておこう。意識は?」

「わからない。とりあえず、呼吸はしているみたいだ」


 走ってきた方角からサイレンが聞こえた。

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