第2話 単一性の原則③


「しかも、国税庁はその後、調査に入って、相続税の清算が適切だったと判断している。2002年のことだ」


 国税庁がそれを不審に思ったかどうかはわからないが、調査に入り、そして問題がないと判断した。

 適切だったと判断した以上、『見つけられなかった落ち度』があると思われても仕方がない。


『蒸し返したくないのか』

「マスコミが報道しているから、どうだか」


 今更追加で相続税の納付を迫るというのは、あくまで法律に基づいて行動をしている国税庁には厳しい。

 とはいえ、マスコミが大々的に取り上げてしまった手前、まったく税金を取らないというのも、『逃げ切れば勝ち』の印象を国民に与えてしまう。


「小口ならともかく、大口の相続税を隠して時効まで逃げ切るのは難しい」

『そこが引っかかるわけだ』

「そういうことだ」


 相続税のチェックはかなり厳しく行われている。

 銀行口座や不動産など、一つで大金が動くケースが多いので把握しやすいというのもあり、通常は隠蔽したとしても逃げ切れるものではない。


 しかし、国税庁は見逃してしまった、というのが現状の国税庁の認識で、社会全体の認識でもあった。


 国税庁は引くも押すも難しい状況だった。

 もっとも、それもこれも、鯱が嘘をついていない、という前提があってこそだ。


「もちろん国税も調査をしている。だが、手詰まりのようだ」


 蘇合が部屋にやってきた。


「どうだった?」


 両手にコンビニの袋を提げた蘇合に栴檀が聞く。


「いや、あのラーメン屋はダメだな、味が濃すぎる」

「その話はしていない」

『年じゃん?』

「おい引きこもりやめろ、まだ三十代だぞ」

『アラフォーじゃん?』

「お、お、大事なパソコンが水浸しになるぞ?」


 蘇合がディスプレイの沈水と他愛もない会話をしている。


「蘇合、鑑定の結果だ」


 冷蔵庫にコンビニ袋ごと突っ込む蘇合に、栴檀が催促する。

 ひらひらと手を振って大男は返事をした。


「間違いなく十年以上前のものだ」

「国税の判断通りか」

「間違いない。あの借用書は当時のものだ」

「そうか」


 蘇合はとある紙の販売時期を調べていた。

 2億円もの大金は、鯱の父親の死亡のずっと前から脱税等のために隠されていたものではないようだった。


 現金には借用書がついていた。

 死亡前に他人に融資として貸していた現金が死亡直前に返済されていたのだ。


 国税庁もその人物を当たることにしたが、その人物はすでに十年前に死亡しており、身寄りもないことがわかっただけだった。


 その人物は土地の転売等の合法すれすれの事業を行っていて、鯱の父親はその相手に無担保で2億円を貸し付けていたのだ。


 その借用書に使われていた便箋の販売時期は蘇合の調べで当時のものであることがはっきりした。


「栴檀、鯱とそいつの面識はどうだったんだっけ?」

「何度か顔を見たことがある、くらいだったそうだ」

「借用書が手元にあったのはよくわからないが」

「利息込みの金額が揃っていたのだからそれ以上は追えない」


 借用書は返済が終われば債務がなくなった証として貸し手から借り手に引き渡されるのが一般的だ。


 蘇合の疑問と同じことを栴檀も考えていたが、ただ疑問だけで鯱を追及することはできなかった。

 蘇合が右手で頭を掻く。


「ふーむ、ふむ。そうなるとあれか」

『新聞紙も十五年前のもの』


 大金を包んでいたのは新聞紙だったが、それも使い古されていない十五年前の新聞紙だった。


 十五年前の使用形跡のない一万円札、包まれていた当時の新聞紙、借用証書に使われた紙、筆跡鑑定の結果も父親と推測されている。

 文句がつけようもないほど、しっかりとした状態だ。


「どうするんだ? ギブアップか?」


 蘇合が判断を仰ぐ。

 鯱の件を見つけたのは栴檀で、その判断も栴檀に任されていた。


 報告書を裏にして、栴檀がテーブルに置いた。

 文句のつけどころがない。

 文句のつけどころがないのが怪しすぎる。

 何もかもが出来すぎている。

 そう栴檀は考えている。


 その上で、栴檀はこれ以上追うのを諦めることにした。

 この案件だけにかかずらっていられるほど回収室は暇ではないのだ。


「不問」

「まあ、しょうがねえな。アマチュアさんでも倒してポイントを集めるか」


 蘇合がそう言い、伸びをして、部屋を出て行った。


 蘇合の言う通りだった。

 実験的に創立された回収室は、現在実働部隊が四人しかいない。

 人数的にも不十分だというのに、回収室から見てアマチュアのロンダリングが増えているのだ。


 どうも手慣れていない、粗の目立つロンダリングが多い。

 そのため、一件一件はそれほど時間がかからないし、書類を眺めるだけで解決することもあるが、ただただ件数が多く、処理しきれていないのだ。


 栴檀はファイルを零陵に返し、別なファイルを読む。

 何度も読み返され、紙の端がボロボロになっている箇所もある。


 これは、回収室の担当事件ではなく、栴檀自身の事件だ。


 栴檀が逮捕されたのは、自身が監査を担当していた会社の横領事件だった。

 栴檀がその監査という立場を利用し、経理担当と共謀をし、数値を操作し、タックスヘイブン(租税回避地)のペーパー会社を通してスイスにあるプライベートバンクの自分名義の口座に金を振り込んだというのだ。


 その額は実に40億円を超える。


 そして週刊誌の切り抜き。

 幾分センセーショナルな見出しで書かれている彼の起こした事件。


 記事では拘置所で自殺をしたことになっている。

 週刊誌では彼の死亡とともに、拘置所での管理体制も批判している。


 もちろんのことながら、すべてが嘘だ。


 彼は横領もしていないし、ペーパー会社も設立していない。

 プライベートバンクという存在は知っているが、自分には縁のないことだと思っていたし、開設もしていない。代理人とやらも知らない。

 拘置所で自殺もしていない。


 嘘しか書かれていないが、それが事実となっていた。


 裏で何が行われていたのはまったく理解できていない。

 ただいつものように監査をしていただけのはずだった。


 共謀したとされる財務部長は東京湾に浮かんでいた。

 細い、神経質そうな男だったのを覚えている。

 40億円もの巨額横領をするような人物には思えなかった。

 どちらかといえば、わずかな不正も許さないために、他の社員から煙たがられているような人物だったと記憶している。


 ネットや週刊誌では、その殺人すらも栴檀が起こしたものではないかと言われている。


 栴檀は資料を片手間にでも読むようにし、自分を嵌めた人間を見つけようと決めていた。

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