第3話 保守主義の原則⑤


「取りに来たのもそいつか?」

「声は似たような感じだったな。大学生で、なんか、社会学かなんかの調査で必要だって言っていたんだ」

「大学生か……」

「沈水、リストを」


 栴檀が沈水に逮捕されたグループのリストを要求する。


『あいあーい』


 すぐにデータはやってきた。

 携帯電話のディスプレイを宇佐に見せる。

 そこには名前とともに逮捕時の顔写真があった。


「この中にいるか?」

「ううん、ああ、こいつだな、たぶん」


 三人目で宇佐が反応した。

 名前は猿渡とはほど遠いが、確かに身分は大学生だ。


「新聞の月日もわかるか?」

「いや、うーん、いつだったかな、なんだっけな、そこまでは……、ああ、そういえば、株価が1万円をどうとかの日だ」

「9月12日。13日の新聞だ」


 即座に栴檀が答える。

 2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起こり、米国証券市場は一週間ほど取引を停止していた。

 その情勢不安の余波を受け、翌日12日の欧州市場、日経平均ともに全面安となり、17年振りに日経平均株価終値が1万円を割った日だ。

 それを栴檀が記憶から引き出した。


「株価チャートも暗記しているのかよ」


 驚嘆というよりは呆れ声で蘇合が言う。


「まあ、なるほど、証拠は十分みたいだな」


 これを鯱のものと照合して、日付が同じであれば、同じ新聞である確率が高まる。


「次に手数料の1千万だが」

「確認しておくが、これは取り調べじゃないんだよな?」


 栴檀の話し方にこれまで以上に気を悪くした宇佐が強く言う。

 栴檀は宇佐の顔色を窺うつもりはないらしく、メガネの奥の眉も動かさない。


「一万円札の交換だろ?」


 奇をてらうことなく、直球で栴檀が問う。


「なんだって?」

「D券、紙幣硬貨を扱っているあんたなら知っているだろう。今流通しているE券を、D券に交換してほしいという依頼じゃないのか?」

「おいおい、図書カードの件はどうした? 調べたんだろ?」


 どうせ鯱の件だけで、言いがかりに使った図書カード販売の件はこの短時間では見てないんだろ、という嫌味で宇佐が聞いたが、


「帳簿上は問題ない。キックバックはよろしくないな」


 と素早く返した。


「帳簿まで見せてやったんだ。これ以上何を言えっていうんだ」

「犬神ってヤツを知っているか?」

「知らないね」


 蘇合が名前を出したが鯱のような動揺は見られない。

 しばらくにらみ合いが続いたが、蘇合が提案を持ちかけた。


「オーケー、わかった、取引をしようじゃないか」

「取引だと?」

「あんたの言う通り、俺たちは警察じゃない。国税でもない。だから、あんたを逮捕することはしない。しようとも思っていない。俺たちがやりたいのは『回収』だ、2億円さえきっちり回収できれば、それ以外のことはさほど興味がない」


 すうっと蘇合が息を吸う。


「ただ、俺たちは警察じゃないが、警察に進言することはできる。免許を出しているのは公安委員会だったな。国税に腹を探らせることもできる。図書カードの件で、検査院経由で永田町まで来てもらうこともできるな」


 脅迫、恫喝の畳みかけだ。

 語気も栴檀のような冷徹さとは違う、熱のある、強さだ。


 蘇合がニッと笑い、両手の拳を合わせる。


「栴檀、どう思う?」

「犯罪収益移転防止法の200万円超取引に該当する可能性がある。手数料でなく、売買であればなおさら、ましてや古新聞と合わせて同日に取引している、『疑わしい取引』として取引記録の作成、届出が必要だったかもしれない。『特定業務において収受した財産が犯罪による収益である疑いがある』場合の例だ。貴金属のときはあんたも慎重にやっているだろう? なぜ今回はしなかったのか、探ってもらうのも悪くないかもしれない」


 栴檀が淡々とした口調で追い打ちをかける。


 犯罪収益移転防止法では、マネーロンダリングを防止するため、特定事業者の特定取引のうち、200万円超の取引について、本人確認することを義務づけている。

 宇佐の場合は貴金属や宝石の売買だ。


 その他、価格に関係なく『犯罪が疑われるもの』を売買するときは本人確認の義務がある。

 回収室の立場なら、警察にその筋で捜査を依頼することができる。

 万が一、瑕疵があれば、逮捕まで行かなくても目をつけられるだろう。


 宇佐は会話から察するに、だいぶギリギリのラインでの商売をしているようだから、警察の注目を集めるのは気に入らないはずだ。


『プロ』だという宇佐も、二人からわざわざ言わなくてもこの規定は承知しているはずだ。


「わかったわかった。そうだな、確かにD券を2億円分用意したことはあるよ。だが、相手は鯱じゃない。別なヤツだ」


 宇佐は折れ、半分を認め、半分を否定した。


「その相手は?」


 ぐいっと蘇合が身を乗り出す。


「さて、誰だったかな?」


 とぼけているのは忘れてしまったのか、演技にしては上手すぎるなと宇佐の表情を見て栴檀は思った。


 蘇合はその言い分は認めていないようだった。

 さらに宇佐に顔を近づける。


「2億円を渡した相手の確認すらしてないのか? 売り上げ1千万の取引だぞ?」

「そうだ、何か問題があるのか?」


 手数料の売り上げは1千万円だ。

 2億円分の旧一万円札を一週間で用意することの難しさは栴檀にはわからず、その価格が妥当かどうかという判断はできないが、一取引で1千万円の現金収入は宇佐にとっても大きな額になるはずだ。


「問題って、お前」


 押し問答が続く。


「根拠はあるのか? 手数料の相手を記録しなきゃいけない根拠だよ」

「あのなあ、さっきの新聞と同じだろ、交換価値のない古い紙幣を2億円分もすぐに集められるわけじゃないだろ、事前に注文があって、それに応じたんだろ? もう一度見てくれ」


 蘇合に促されて栴檀は再度携帯電話のディスプレイを宇佐に見せるが、どれにも反応しない。


「その中にはいないよ」

「特徴は?」

「なんだったかな、若い男だったよ、ひょろひょろとした、痩せた男だ」

「もう一度会えばわかるか?」

「どうだろうな」


 忘れたふりをしているのか、本当に忘れかけてしまったのか、二人には判断できなかった。


「鯱から返済のあった金は? 帳簿にない」

「ああ、あれは仕事じゃない。個人として行っただけだ」

「そういう言い訳が通ると思うか?」

「俺は街金じゃない、ちょっと現金のある古物商だ。善意でそういうこともするよ。マンションと工場があるかな、最悪売れば半分は回収できる額だ」

「誰からの紹介だ?」

「あいつのオヤジの頃からの知り合いだよ。もういいだろ、今日は店仕舞いだ。ケチがついたからな」


 悪態をつき、宇佐は広がった額を拭いた。

 栴檀と蘇合は顔を見合わせ、うなずきあう。

 ここはこれで終わりだ、という確認だった。


 帰りがけに、栴檀が振り返り、宇佐に向き直る。

 不意を突かれた宇佐は、ぎょっとしていた。


「あとでその取引に使った1千万と10万、ここの口座に振り込んでくれ」


 栴檀はカウンターまで戻り、横にあったメモ帳に書き連ねる。


 詐欺グループとの繋がりはない、ということにしたが、実際のところはわからないし、その1010万円が犯罪収益であることは間違いないので、最後の脅しとして回収だけは済ませておくことにした。


「おいおい、それじゃ」

「ただ働きさせてすまないな。ここはきっちりしておこうぜ」


 蘇合の言葉に、宇佐は両手を挙げる。


「商売あがったりだよ」

「まあ、商売ができなくなるよりはいいじゃないか。仲良くやろうじゃないか」

「脅した人間が言うなよ。ちっ、仕方ない。もう仲良くしないことを願うよ」

「ああ、こっちもな」

「行くぞ栴檀」


 蘇合はすでに身を翻している。

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