第3話 保守主義の原則⑥


「首尾はよい。鯱が黒で確定だ」


 宇佐とのやり取りの顛末を栴檀がイヤフォンで伝える。


『そうですか』

「室長」


 零陵が受けるかと思ったが、意外にも受けたのは馬酔木室長だった。

 咄嗟に車の時計を見る。

 時刻は十七時を過ぎていた、零陵は帰ってしまったのだろう。


『お疲れ様です。状況はどうですか?』

「ああ、はい、犬神の隠した2億円は鯱という男が持っていることがわかりました」

『なるほど、相続で発見されたという現金ですね』


 鯱、という名前を聞いただけで室長は誰のことかわかったようだ。


「そうです、その男です」

『よくやりました。栴檀、蘇合、二人とも期待以上の働きをしてくれました。リミットまであと半日ありますね』

「我々はこれから回収室に戻ります。国税庁、警察機関への通報は室長が行いますか?」


 栴檀が指示を仰ぐ。

 各連携機関に連絡をしていて、半ば圧力じみたものを加えているのは室長だ。

 栴檀から直接担当部署に言ってもよいが、筋論として室長が行うべき事項かもしれないのだ。


『そうですね、では、対象者の確保に向かってください』


 しかし、馬酔木が伝えた指示は異なっていた。

 直接、回収室である栴檀と蘇合が捕まえに行け、と言っているのだ。


「それは警察の役目ではないのですか? 回収予定資金も警察に保管されています」


 証拠はほとんど揃った。

 あとはきちんと警察が捜査をして鯱を逮捕すればいいと思っていた。

 捜査機関ではないと常々言っている室長がそう言うのは少し不思議だった。


『どうも警察内部に我々の存在を疎ましく思っているものたちがいるようです。今回の勇み足も我々からの指示を知った上での行動の可能性が非常に高いことがわかりました。彼らに我々の存在価値を知らしめる必要があるようです。陽が昇るまでは強く行動を制限させています。その間に確保まで我々が行いましょう。所在地情報は沈水から』

「わかりました」


 多少腑に落ちない面も感じながら、栴檀は了承する。


 携帯電話のディスプレイに沈水からのデータが表示される。

 工場ではなく、鯱が住んでいる都内のマンションに向かった。




 マンションの前で対象の五階の部屋を見上げた。


「照明がついている」


 蘇合も手で庇を作って部屋を見る。


「そうだな、いるみたいだ。買い物に行っているかもしれないが」


 オートロックもない、古びたマンションだ。

 2億円を搾取した一味と思えば質素だが、元の事業が赤字経営だったのだから、仕方ないのだろう。


「蘇合」

「なんだ?」

「宇佐はいいのか?」


 栴檀が聞いているのは、宇佐と蘇合が取引をしたことだ。

 罪でいえば、宇佐も十分引っかかると栴檀は思っていた。

 ニュースを見ていれば、これが詐欺に使われていたことはわかるだろう。

 コレクター価値のないD券を用意した段階で、なんらかの犯罪性を感じてもおかしくない。


「学ぼうぜ、エリート」


 栴檀が言われたくないあだ名でむっとした。


「俺たちは、所詮民間の回収屋で、正義の味方じゃない。警察が気づかないところまで、犯罪者を増やす必要もない」

「鯱は?」

「そうはいかないだろうな」


 鯱は明確に、詐欺を働いている自覚がある。

 犯罪収益をそうであると知りながら隠匿することも罪となる。

 振込詐欺を働いていた犬神とは共犯関係に近くなっている。


「とにかく、俺たちに逮捕権はない。出頭してもらうまでだ。多少手荒なことをしてもな」


 それには返さず、栴檀は蘇合の後ろをついて行く。


 五階までエレベーターで上がり、蘇合がドアノブに手をかける。

 栴檀がインターホンを押そうとしたが、蘇合が指を掴み止める。

 無言のまま蘇合は首を横に振った。


「鍵をこじ開けるのか?」


 栴檀の提案に、蘇合が逡巡している。

 詐欺グループの支店に入り込んだときのように、蘇合なら鍵を壊して入ることもできるのだろう。


「いや、待て」


 蘇合がゆっくりとドアノブを回す。

 カチリ、と音がした。鍵がかかっていない。

 二人で顔を見合わせて音を立てないように靴を脱がずに室内へと侵入する。


 玄関には鯱のものと思われる紐のほどけた革靴が置かれている。

 玄関から薄暗い廊下が延びている。

 そこの先にまたドアがあり、リビングがあるようだ。

 廊下にゴミは落ちていない。人の気配もしない。


「どういうことだ?」


 小さな声で発した栴檀に、前にいる蘇合が舌打ちをした。


「栴檀、警察を呼べ」

「室長が」

「いや、事情が変わった」


 蘇合の声は落ち着いている。

 先行していた蘇合が、リビングへと通じるドアを開けた。

 栴檀が返答する前に、蘇合は「一応、救急車もだ」と続けた。


「これは」


 ドアの向こうに立っていた蘇合の隙間から、栴檀はリビングを見る。

 明かりが漏れているのはこの部屋だった。


 鯱の部屋は廊下とは対照的に乱雑に散らかっていた。

 ほとんどが床に広がった書類の束だった。

 借金の催促通知であることはすぐにわかった。

 それ以外の部屋の片付き具合と相反する状態で、それで鯱が何を伝えたいのか、栴檀はわからなかった。


 鯱に質問をしても答えは返ってきそうにない。

 鯱は今しがた蘇合が開けたドアに体重を乗せていた。


 首からロープが伸び、ドアノブに繋がれている。


 鯱は首を吊っていた。


 栴檀は思考が混乱し、車を出てから溜め込んでいたあらゆる数字が瓦解して、散り散りになっていった。

 鯱のぽかんと開いたままの口から、今にも吐息がこぼれてきそうだった。

 吐息に混じって自分に何かを告げているような声さえ栴檀には聞こえそうだった。

 聞こえるとすれば、恨み節に違いない。


 一方の蘇合は淡々と、陶器の人形を見るような視線で鯱に繋がれていたロープをドアノブから外し、部屋の絨毯と紙束の上に横たわらせる。


「きゅ、救急」

「まず無理だろうが」

『手配した』


 栴檀の携帯電話に沈水のものとおぼしきメッセージが入ってきた。


「なんでこんなことを」

「まあ、こいつは詐欺師じゃなくて、結局は人間だったってことだ」


 鯱の首に繋がれていたのは透明なチューブで中に紐が通してある。

 子供用の縄跳び紐だ。


「しかし、ドアノブで死ねるんだな」


 鯱は今し方蘇合が開けたドアのドアノブに紐を括り付け、それを首に回し、自ら寝るように倒れ、首を吊っていたのだ。

 部屋には上から吊るような梁がなかったため、そうしたのだろう。


「理屈ではわかっていたが、相当な覚悟が必要だぞこれは」


 蘇合はまるで鯱の首吊りに感心しているようだった。


 ドアノブ程度の高さでも首を吊ることは可能だ。

 天井からぶら下がるのと違って飛び降り台で勢いをつけることはできず、いつでも立ち上がれば中止できるため、一層の覚悟が必要な手段だった。


「やっぱり詐欺師にはなれなかったか」


 蘇合が床に置いてあった紙を拾う。


「栴檀、帰るぞ。あとは警察がなんとかする」


 胃の底から湧き上がっている強い酸を喉元に感じ、栴檀は反射的に右手で口を押さえた。

 それを見て、蘇合は嘲るように言った。


「そうか、エリートは死体を見るのは初めてか」

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