第3話 保守主義の原則④


 宇佐商会はJR渋谷駅から十分歩いたところにある坂の途中、ビルの三階だった。

 乗れて三人の狭いエレベーターに詰め込まれて、宇佐商会に二人は入った。


 店内も狭く、十二畳ほどしかないだろうか。

 壁にも天井にも何かしら展示されていて、奥に行くまでもショーケースがぴっちりと並んでいて一人が真っ直ぐ進むのがやっとだった。


「なんだい?」


 客に対応するにはぶっきらぼうな太い声が聞こえた。


 ショーケースになっているカウンターの奥から男がのっそりと出てくる。

 ケースの中には外国製のコインが並んでいる。

 値札がついているが、それが妥当な金額なのかは栴檀にはわからない。


 狭い店内とは対照的に、でっぷりと太った中年の男だ。

 体重だけなら蘇合より大きいはずだ。

 店のサイズに合わせて小柄にならなかったのか、それとも店のサイズに合わせたからこそ限界まで大きくなったのか。


 店主と思わしき男は、声と同じく客を見るというより、敵を見るような目で二人を下から上に見た。


「何が欲しいんだい?」

「あんたが宇佐か?」

「そうだが?」


 蘇合の問いかけに宇佐は露骨に顔をしかめた。

 名前を呼ぶからには、普通の客ではない、ということを察したのだろう。


「鯱の件についてだが」

「ああ、その話か。おたくら何? マスコミ? 警察?」

「国税庁から調査の依頼を受けている、JMRFの者だ」


 矢継ぎ早に問いただす宇佐に、蘇合は泰然とした構えで名刺を差し出した。


「ふうん」


 宇佐は名刺を受け取り、手元に置いた。

 納得したようには見えないが、宇佐はカウンターの奥に引っ込んだ。


「税務署の連中も来たけど、確かに俺は鯱に金を貸したし、返してもらったよ、借用書の控えを見るかい?」


 宇佐が持ってきたのは借用書のコピーだ。

 借用書には返済済みの押印があった。

 宇佐は蘇合に手渡したが、蘇合はそのまま栴檀に渡す。

 栴檀が蛍光灯に透かして紙全体を眺める。


「特におかしいところはない。コピーだから当然だ」

「本物はもちろん鯱に返しているよ」

「ここでは何が買える?」


 栴檀が借用書のコピーを宇佐に返しながら聞いた。


「何でも、ご要望があれば」


 商売柄のような愛想笑いを浮かべた宇佐に、栴檀が言う。


「古新聞」


 そのフレーズに宇佐の目が細くなった。


「何のだ?」

「使い古されていない新聞紙。十五年前のものはどうだ? 用意できるか?」

「……何を言っているのかわからないが、用意しようと思えば、時間をもらえればできると思うが」

「そうか、それはよかった」

「……それで、何が聞きたいんだ?」


 眉を寄せて睨みつける宇佐の視線を受け流しながら、栴檀が付け加える。


「あとはそうだな、十五年前に死んだ身寄りのない人間の情報、かつて発売されていた価値のないただの紙、十五年前に発行された一万円札、ああ、一万円札は2万枚ほど必要だ、なるべく急いでいる」

「なるほど、そういうことか、あんたら」


 宇佐が大きな溜め息をつく。

 栴檀が言いたいことがわかったようだ。


「令状は?」


 きつい、刺すような声で宇佐が言い放つ。

 その声に、先ほどまでののらりくらりとした雰囲気とは違う冷淡さがあった。


 こちらが宇佐の本性だろう、と栴檀は感じた。


 宇佐が聞くのも無理はない。

 栴檀の言葉は、お前が詐欺の準備をしたのだろう、と決めつけて質問しているのと変わりないからだ。


「ない」


 蘇合が舌打ちをしたが、宇佐に対してなのか、突然切り出してきた栴檀に対してなのかはわからない。


「それなら答える義務はないね」


 ふふん、と宇佐が鼻を鳴らした。


「答える必要はない、帳簿を見せてくれ、ここ一年分、データでも紙でもいい」

「だから、令状がないんだろ? あんたは警察でも税務署でもないんだから、放っておいてくれ」

「見せられないのか?」

「そういうくだらないやり取りはしないぞ、帰ってくれ」


 さすがにこんな挑発には応じようとしない。

 引き上げるぞ、という意味で肩を叩いた蘇合に、栴檀が宇佐に見えないように口元を歪ませる。

 宇佐に振り向き直して、メガネを近づけた。


「免許を取り上げることはできる」

「ああ?」

「古物商のだ」


 栴檀が言うのは古物営業の免許だ。

 古物営業を行うには免許が必要なのだ。


「去年、研究所に図書カードを卸しただろう?」

「ああ? そういうこともあるかもしれないが、そういう大量販売があったっておかしくないだろ」

「まだ大量とは言っていない」


 しまった、と宇佐の表情が変わる。


「お、卸した、って言ったら、大量に決まっているだろ!」

「そうか、蘇合?」


 蘇合も栴檀の意図がわかったようだ。

 ニヤニヤと笑って、宇佐を見る。


「いや、どうかな、確認する必要はあるかもしれない」

「な、なんだよ」

「そちらの調査で、図書カードを古物商から大量に定価販売されたことに対して、会計検査院から疑義を受けている。割引販売したことを隠して領収証を発行した可能性がある。キックバックならまだ大目に見られるが、領収証の偽造は検査院としては見逃すわけにはいかない。よって確認をしたい。これは正当な調査命令で、必要なら検査院の許可をもらってくることもすぐにできる。それとも、販売した事実の帳簿すら見せられない理由があるのか? 古物営業の許可取り消しは困るだろう。とりあえず半年くらい営業を停止させてみせようか?」


 淡々と追い込む栴檀の言葉は脅しに近い。


「確か、半年営業しないと、取り消しだったな。再取得まで五年か。それは困るだろうなあ」


 蘇合も人ごとのように言う。


 古物営業は許可制で、更新はないが、禁固刑を受けた場合の他、半年間営業をしなかったものは許可が取り消される。

 一度取り消されてしまうと、五年間は再取得ができない。

 つまり、古物商としての生業は事実上辞めさせられてしまうことに他ならない。


「……見ろよ」


 うんざりした顔で、宇佐がノートパソコンをカウンターの上で回して、客側、栴檀側にディスプレイを見せた。


「確認する」


 栴檀が矢印キーを下に押しながら、常人には読み取れない速度で帳簿データを流していく。


「どうだ?」

「一致した、同日、同額だ」


 栴檀が見たかったのはもちろん図書カードの売却情報ではない。

 詐欺グループが残していた消耗品と手数料が宇佐商会への支払いかどうかを確認したかったのだ。


「消耗品は……。古新聞か」

「やったな」


 古新聞。

 鯱が持ってきた2億円が当時のものだと考えられた理由の一つが、包まれた当時の古新聞だ。


「宇佐、この取引相手の情報を出してくれ」

「なんだよ、図書カードの件じゃないじゃないか」

「出してくれ、あるはずだ」


 これ見よがしに宇佐が溜め息をつく。


「ないね、どの法律に、購入者の情報を書かなきゃいけないって書いてあるんだ?」


 間に蘇合が割って入る。


「古物営業法だろ? 1万以上の取引がなんたらっていう」


 古物営業法によれば、古物の1万円以上の買い取りには本人確認が必要になる。

 書店の大量窃盗、バイク窃盗の横行により、ゲームソフト、CD、DVD、書籍、バイクに至っては買取価格にかかわらず本人確認をする義務ができた。


「売るときに記帳が必要なのは、俺のところじゃ絵とか時計とかだけだな」


 記帳義務があるのは美術品、時計、宝飾品、自動車、バイク、原付だ。


「プロを舐めてもらっちゃ困るね、それに古新聞は『古物』じゃないんだよ。古物じゃないなら、書く必要がない」

「本当か」


 回収室に問い合わせをする。

 すぐに零陵から返答があった。


『そのようです。古新聞、古銭、切手などは古物の定義から外れ、古物商の許可も不要です』

「沈水、十五年前の新聞、なるべくきれいなもののネットの相場は?」


 栴檀が耳を押さえて、聞いているであろう回収室の沈水に連絡する。

 返信は携帯電話のディスプレイにすぐに表示された。


『価値なんてない。せいぜい数千円。そもそも出回らない』

「どうだ? わかったか?」


 蘇合が栴檀に聞く。

 栴檀は蘇合ではなく、宇佐を見ながら答える。


「記帳義務がないことと、相場より高いことはわかった。数千円のものに10万円も出して買う人間がいるなんてな。ぼったくりかなんかか?」

「それは至急必要だって連絡があったから上乗せで、あ」


 口を滑らせた宇佐に、蘇合が顔を寄せる。


「店にいつも置いているわけないもんな、古新聞なんてよ。そりゃ記憶してるよな、そんな変な注文は」


 栴檀の引っかけで、記帳はしていないまでも、注文があったこと自体の記憶はあることを宇佐自身がばらしてしまった。

 宇佐は焦りながら弁解をする。


「いや、細かいことは知らない。用意できるかって電話で聞かれたから、用意したんだよ。なるべく折り目がないヤツを指定で、一週間後って言うから、値段に色をつけて断ろうと思ったらあっさりそれでいいって言ったんだよ」

「名前は?」


 蘇合が確認する。

 宇佐もここまで来たらごまかすつもりはなくなったようだ。


「猿渡とか、そういう名前だよ、いや、本名は知らない、確認していないからな」


 記帳義務も本人確認義務もないのだから、していない、という方便だ。

 二人もそこはそれ以上追及をしないことにした。

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