第3話 保守主義の原則③


 夜が明けて朝になり、栴檀と蘇合が鯱に会うことにした。


 回収室には沈水と出勤してきた零陵が待機をしている。


 鯱の居場所はすぐにわかった。

 親から受け継いだ、2億円を『発見』した工場にいるという。

 片道一時間ほどかけて、蘇合の運転で東京の外れに向かった。


 かなりうねった道で、林の中を過ぎ去っていく。

 都内であるのが不思議なほど森に近い。


 ハンドルを片手で持ち器用に運転しながら、蘇合が横に声をかける。


「犬神な」

「ああ」


 振込詐欺で捕まった主犯格の男だ。


「取り調べでは、詐欺自体は自供しているようだ」

「そうか」


 詐欺自体は、というのが蘇合が伝えたかったことだろう、と栴檀は解釈して助手席から外を見る。

 無意識に林立する木の数を数えていたが、千を超えたあたりでやめてしまった。

 幼い頃から、数を数えてしまう癖が抜けない。


 詐欺自体ということは、その被害額、犬神にとっては儲けに当たる部分は明らかにしていない、ということだ。

 被害者全員が見つからない以上、犬神の自供を待つか、資金の流れで証拠を挙げるか、どちらかでしか、確定額がわからない。

 犬神にとってみれば、警察が見つけた分だけで幕引きを謀り、出所後に隠し資金を回収するつもりなのだ。


「殊勝な態度だったらしいぞ。口は割ってないがな」


 それはそうだ。

 経歴上は初犯なのだから、しおらしく接することで心証をよくしようとしているのだ。


「他の人間は?」

「自分たちが何をしていたかわかっているらしいが、金は犬神が管理していたそうだ。分断が上手くいっていたみたいだな。会計も犬神が一人でやっていた」

「そうか。あの帳簿は犬神のものか」

「ついたぞ」


 多少拓けた場所に出た。

 駐車場らしきものは見当たらず、手前の砂利道に車を止める。

 そこにも車が数台止めてあった。

 ナンバープレートがないことから、現在陸運局に登録して使用しているものではないだろう。


「あまり大きくはないな」


 二人は車から降り、工場を見渡す。

 これほど林の奥に作ったのだから、広大な敷地を想定していたのだが、それほどでもなかった。

 サッカーコート一面くらいだろうか。

 建物としては割合しっかりとした鉄骨の作りで、二階建ての高さくらいはある。

 随分前に建てられたというほどには、朽ちているわけではなく、ある程度の定期的な検査や補修くらいはしているのだろう。

 ただし、見栄えを気にする必要がないのか、外壁はサビ色が広がっていた。


 郊外どころか辺鄙なところだ、土地としての資産価値はないだろう。

 工場を更地にする方が金がかかりそうだった。


 工場の左側の脇には小屋があった。

 足を進めて、開いているシャッターから二人が入る。

 工場内には、整列して車が並んでいた。

 鯱が扱っている中古車だろう、外観とは違い、工場内はカラフルだった。


 鯱は工場の中で、車の点検をしているようだった。


「どちら様?」


 こちらに気が付いて、運転席から出てくる。

 やせぎすで、先ほど数えていた木に追加しようかと思うほどひょろりとしていた。


 写真では見ていたが、本人を目の当たりにするのは初めてだった。

 写真は隠し撮りのようで、かなりぶれていた。

 目の前に立っている人間は、どこにでもいそうな顔つきをしていた。

 仮に犯罪者顔というのがあるとすれば、そういう、いかにもな感じはしない。

 もっとも、詐欺師の多くはスーツをごく自然に着るサラリーマンのような風体をしているが。


 栴檀は、自分が捕まった事件で東京湾に浮かんでいた財務部長を思い出していた。


「ああ、あんたが見つけた、2億円の件で追加の調査をしている」

「テレビか?」


 面と向かって聞かれると、自分たちをなんと紹介していいのか迷うところだった。

 国家権力内なら話が通じるが、外部的にはただの株式会社なのだ。


「いいや、国税庁の手先さ」


 蘇合が曖昧におどけていった。

 相手の緊張感を和らげるためだ。


「聞かれたことには全部答えた」

「こんな森の奥に来てまで中古車を買う人間がいるのか?」


 栴檀が会話に口を挟む。


 横にあった赤い車のボンネットに触れる。

 鯱は中古車販売業で、これらが売り物のはずだ。

 客は一時間もかけて車を見に来るのかと疑問に思ったのだ。


「これを売っているんだろう?」

「え、ああ、違うよ。ああ、売っているっていうのは本当で、ここでは売っていないっていうことだ。ここは保管しているだけだよ。実物を見たいという客には見せるけど、大体はネットで販売しているね。個人に売ることもあるけど、業者のオークションに出すことも多い。よかったら一台くらい買っていくか? せっかく来たんだから安くしておくよ」

「つまり、いつも使っている場所で、見つけたのか?」


 軽い冗談を飛ばした鯱の言葉は聞き流し、質問をする。


「人聞きの悪いこと言わないでくれよ」


 意味を察した鯱がかぶりを振る。

 栴檀は、仕事で使っている場所で見つけるのに十五年もかかるのはおかしい、自分で隠したんじゃないのか、と言外に言っているのだ。

 

そこは国税庁にも散々言われたのだろう。


「見つけたのは普段は使っていない、オヤジの物だった機械が詰まっている倉庫の方だよ。売っても価値がないって言われたからな、もうずっと放置していたんだ」

「それがどうして今回?」

「背に腹はかえられぬってヤツだ。ガラクタでも金属には違いないからな」

「そのガラクタは?」

「もう廃品業者が引き取っていったよ、見つけたのはそれからだ。俺には2億なんて逆立ちしたって用意できないよ。それにおたくらも知っているんだろ、あの現金が昔のものだってくらいは」

「ああ、知っている。見つけた場所に案内してくれるか?」

「いいよ、見たって面白くはないし、ご期待には添えないと思うけど。こっちだ」


 鯱の案内で、工場内の発見場所までついて行く。

 言動に注意して見ていたが、特に不審な感じはなかった。

 国税庁の手先、と蘇合が言ったのだから、本当に相続品なのかの調査をしていることはわかっているだろう。

 本当にそうなのか、それとも、絶対の自信があるかのどちらかのようだった。


「最近は売れていないのか?」

「まあね、おたく、車は?」

「いいや、持っていない」


 栴檀は運転免許は元々の名前で取得しているが、それも身分証として取っただけで、車を購入したことも、レンタルをして使ったこともない。


 完全なペーパードライバーで、車そのものにも興味がない。

 現に、これだけ車が並んでいるが、一つも車種がわからない。

 一瞥して車種を判断するくらいなら、ナンバープレートをちら見で暗記した方がよほど簡単だ。


「そうなんだよな、三十代でも都心に住んでいる人間は、もう車なんて買わないんだ。だからネットで売るようにして、地方に軸足を置いていっているけど、それでも悪いね。特に輸入車はあまり売れない。車をおしゃれで売る時代は終わったんだ。だからうちみたいな輸入車中心は厳しいね。うちの火の車っぷりはあんたらも調査して知っているんだろ」


 栴檀がうなずく。

 国税庁の手先と蘇合が名乗ったことから、鯱は二人が経営状態を知っていると思ったのだろう。


 確かに鯱の資産状態、経営状態を回収室は把握している。

 栴檀の見立てでは青息吐息もいいところだ。

 このまま廃業して、賃金労働をした方がマシなんじゃないかとさえ思えてくる。

 自分が経営コンサルタントなら、まず再建できるとは言わないだろう。


「国産中古を集めて、ロシアあたりに持っていった方が楽だな。そういうルートがないのが残念だ」


 不景気についての愚痴が続いてた。


「事業を辞めればいい」

「それができたらいいね、そういう道もあるかもしれない。まあ、でもオヤジの仕事を継がないで始めたヤツだからね、そういうわけにはいかないのさ」

「意味がわからないな」


 やるだけ無駄なこととわかっていながら、それでも仕事を続ける意味が栴檀にはわからなかった。

 以前監査をした会社でも、明らかに損失を出し続けている事業を過去にやると決めたからという理由だけでやめないところがあったな、と思い出していた。

 そういった誇りのようなものが会社にとって致命的なミスを呼ぶことを、第三者の目線で忠告するのも自分の仕事だった。

 鯱もこの手合いなのだろうか。


「はは、そうだな。俺にもなんでやっているのかわからなくなるよ。まあ、オヤジの工場を使ってりゃ世話ないか」

「父親はもう死んでいる」

「わかってるさ、意地だな」


 身も蓋もなく言った栴檀に、鯱は自嘲気味に言った。


「2億円があればやり直せるのか?」

「どうかな、当面はなんとかなるが、はやく引き渡してもらいたい」


 鯱の2億円はまだ届けられた警察に保管されている。

 国税庁の調査が完了しない限り、その拾得物についての扱いが決まっていないからだ。


「今手持ちがないんだよ」


 鯱が右手を自分の胸の前で振る。


「早急に返さないといけない借金があって、そっちに手持ちの現金を渡しちまったんだ。はやく金が欲しいね」


 少し機嫌がよいようだ。


「ちょっとこれを持ってくれないか?」


 栴檀が胸にあるポケットチーフを鯱に渡す。


「奥のものが取りたいんだ」

「ん、ああ」


 鯱が戸惑いながらも受け取る。


「ああ、あった」


 栴檀が胸ポケットの奥から、人差し指ほどの小さいペンを取り出す。


「だから犬神の誘いに乗った」


 突然の栴檀の質問に、鯱が顔をしかめる。


「何のことだ?」


 鯱の肩に緊張のこわばりがあるのを見逃さなかった。


「詐欺犯だ。顔見知りだろ?」

「そんなヤツは知らない」


 ポケットチーフのせいで動揺が手の震えとしてはっきりと強調されていた。


「そうか、ありがとう」


 栴檀が鯱からチーフを返してもらう。

 そして、まるで意味はなかったとでも言いたげに、ペンを胸に戻した。


「……ほら、ここだよ。好きなだけ見てくれ」


 工場の脇にあった小屋まで行き、その中を見せられた。

 埃っぽい木造の部屋は、光も射し込まず、白熱電球が揺れながら、ちらちらと室内を照らしていた。


「あの奥だ。そこの箱に入っていた」


 鯱が指を差す。

 木箱は、半分ほど床に埋められていて、随分長いこと使われていなかったらしく、ボロボロに朽ちていた。


「何かわかるか?」

「いや、全然」


 蘇合が覗き込んで見ているが、何もなさそうだった。

 栴檀が横にいる鯱を見ると、明らかにいらついているらしく、腕を組み、指で二の腕を叩いている。


「もういいか? 暇じゃないんだ」


 鯱が怒りを込めながら言った。


「これから、商談をして、家に帰らなくちゃいけないんだ」

「ああ、俺たちも帰る」


 半ば追い出されるように二人は工場をあとにした。

 蘇合の運転で帰路につく。

 しばらく経ってから蘇合が口を開く。


「あの質問はよくないな」

「お前の真似をしてみた」

「ああ、まあ、俺ならやりそうなことだが、まだ早すぎると思っただけだ」

「顔は変わった」


 栴檀がした犬神との関係性の質問だ。


「それはそうだが、もう少しステップを踏め」

「俺は間違っていない。鯱は黒だ」


 犬神の名前はニュースにはまだ出ていない。

 それに過剰反応するということは、関係があると自白していると思っていい。


「わかってるよ、エリート。お前は間違っていない、そうだな、そうだよ」

「その言い方はやめろ」


 栴檀は蘇合がつけた『エリート』というあだ名を気に入っていない。


「わかったよ」

「2億円自体は隠しようがない」


 2億円が警察にある以上、資金をこれから隠蔽することは不可能だ。

 犬神の稼いだ金が、鯱の2億円だと証明すれば、そっくり回収することができる。


「借金を返したと言っていたな」


 溜め息交じりに蘇合が言った。


「公的な場所からの借金ではないはずだ。零陵さん、情報はありますか?」

『調べがつきました』


 栴檀の声に応答してイヤフォンに声が流れる、零陵の声だ。


『相手方は『宇佐商会』、渋谷に事務所を構える古物商です』


 この短期間に調査をしてくれていたのだ。


『国税庁でも把握をしています。すでに聞き取り自体は行っているようですが、あくまで鯱の資産状況の確認というだけです。鯱は宇佐という男から、2千万の借入をしています。国税庁の調査時点では、その返済があったかどうかまではわかりませんでした』


 運転資金として借りた2千万。

 2億円を発見後、自分のものになるかどうかの決定もなく、一括して返済。


「ああ、聞いたことがある」


 栴檀が名前を思い出す。


「知り合いか?」

「いや、この前の独法で、図書カードを大量に売ったところだ」

「ああ、あそこか」


 会計監査院の監査で、額面通りの金額で、独法の研究所に525万円分もの図書カードを売ったところだ。

 そのケースでは、古物商側の犯罪性までは確認していなかったが、どちらにせよ、『誠実』な業者ではないことは確実だろう、という判断があった。


「住所データを送ってください」

『わかりました。住所は、渋谷区……』


 すでに準備をしていたようで、零陵が住所を読み上げる。


『それから、関係ないと私は思うのですが、気になったことがあります』

「なんですか?」

『840』


 詐欺グループの帳簿にあった取引業者の符号だ。


「それが?」

『国コードだと、アメリカ合衆国を指します、が……』

「それで……?」


 躊躇しているのか零陵にしては歯切れの悪い言葉に、蘇合が真意を尋ねる。

 やや間があって、零陵が返す。


『USAです。う・さ』

「ジョークかよ! まあ、調べる価値はあるかもな」


 運転しながらハンドルを蘇合が叩いた。


「栴檀、帰りに寄るぞ」

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