第1話 継続性の原則②


「そりゃどーも」


 アロハは指をくるくる回して、スーツの男に向く。


「社員は十人。脱税額は」


 一応は礼を言ったアロハと違い、スーツの男が何も聞こえていないかのように帳簿らしきものをめくりながらぶつぶつとつぶやく。


「質問に答えてください。脱税額は」


 スーツの男が調子を変えず、感情のこもっていない声でもう一度聞く。


 問いかけられた女性査察官が、不承不承、という感じで答える。


「5千万。調べた口座にはなかった。我々は工場内にあると」

「『ハズレ』だ。最近は5千万でマルサも動くのか。費用対効果も何もない」


 スーツが誰に言うでもなく、馬鹿にするでもなく、独りごつ。


「何?」


 鼻息荒く詰め寄ろうとしたマルサに、アロハが肩を手で軽く押さえる。

 動作は優しいが、その体の大きさと筋肉で、軽く力を込めただけで女性の動きくらいは簡単に止められる。


「まあまあ、そう怒らない怒らない。そっちも取るもの取らなくちゃ話にならないでしょ」


 マルサは年間におよそ200件の査察を行っていて、数年置きに行われる定期調査とは異なり、対象に対して事前通告はない。

 査察で脱税が明らかになり、それが相当に悪質であると判断されれば、検察庁に告発をし、刑事罰を与えることもある。

 査察のうち、実に百件以上が告発されている。


 マルサは調査を丹念に行い、これはいけると判断したものに査察をしかける。

 令状を取る以上、手ぶらで帰ることは許されていない。


「おたくらとも利害は一致しているんだから、ね。どうだ」


 ここ数年1件当たりの脱税額は低下し続けており、平成16年では1億6千万だったのが、平成26年では8千万まで下がっていた。


 スーツが揶揄したのはこのことからだった。

 想定が5千万なら減少している昨今でも少ない方だ。

 大量の人間を一気に使う査察部は、人件費がかなりかかる。


「我々も捜索した方がよいのでは?」


 マルサの一人が指揮を執っていた女性のそばに寄ってささやいた。

 女性マルサはスーツの男を睨みながら首を振った。


「『かかわるな』とのことだ」

「『かかわるな』? 『助けろ』ではなく?」

「そうだ」


 脱税額が減っているのは国民の納税意識が高まっているからではない。

 隠蔽が巧妙になっているのだ。


 査察部の調査であれば、ここ以外にも同時に動いている部隊があるはずだ。

 銀行口座の流れから、貸金庫の利用実績まで事前調べもあわせて相当やり込んでいるに違いない。

 しかし、それでも現金が見つからなければ意味がない。


 ここの隊は実働本隊、現金が工場のどこかに保管されている可能性を考えているのだ。

 実際に、銀行口座ではすぐにばれてしまうため、自宅や会社内に隠匿するケースは多い。

 隠し金庫はいうに及ばず、仏壇の裏からトイレのタンク、猛犬のいるそば、壁に塗り込まれているものまで、あらゆるところに隠されている。


「どうなっているんですか?」

「知らん。とにかく局長が直々に『丁寧な対応をしてくれ』という連絡をしてきた」

「さっきは『かかわるな』って」

「同じだ」

「仲間ですか? コメ?」


 コメはマルサと同様に、国税局の職員で、資料調査課を指す。

 マルサとは異なり、与えられた資料を徹底的にチェックし、確実性のない脱税をも見つけるチームだ。


「うちの職員ではない」

「でも、あいつら帳簿を見ているだけじゃないですか」


 査察官の一人が二人を指す。


 立ったままスーツが帳簿を見ている。

 流し見でメモを取ることもない。

 帳簿を一冊読み終わってはぞんざいな扱いで机の上に放り投げ、また別の一冊を読みだす。

 順番も関係ないようだ。

 真面目に調査をしているとは思えない。

 その横にはイライラした様子で社長が座っている。

 アロハにいたっては事務所を歩きながら壁を見て回っていた。


「もういいだろう?」


 業を煮やした女性マルサがスーツから帳簿を取り上げようとしたところだった。


「あった」


 スーツが左手に帳簿を持ち、右手の人差し指を立てる。

 その声で、アロハがゆっくりとスーツに向かう。


「どこだ? 架空取引か?」

「虎子鉄工所。取引が多い。加工賃だ」


 ぼそぼそと話すスーツに、社長が早口で言葉を挟む。


「そりゃネジ屋だよ。特殊なネジを扱ってて、うちの製品に必要なネジが山ほどある。大口取引先だ」

「加工賃なら、現物の材料費から多少離れていてもおかしくない」

「何を根拠に言ってんだ!」

「数字は嘘をつかない」


 スーツが誰とも焦点を合わさず床に向かって喋る。


「請求書のナンバーが四月、六月でまったく『同じ』だ。適当に書いたつもりで、他の請求書とたまたま一致したんだろう」

「そんな」


 スーツはパラパラと帳簿をめくっていただけにしか見えなかった。


「それだけじゃない、複数日を同日に記入している箇所がある。インクのにじみが同じだ」


 帳簿を眺めていたスーツが指でなぞる。


「ほーん、そういうのもわかるのか」

「数字に関することなら」

「ふうん」


 アロハが感心しているところに、スーツがアロハの顔を見て言う。


「この日にあったことを調べてくれ」


 メモ用紙とカレンダーをアロハが付き合わせる。


「ビンゴ、社員旅行だ」


 アロハが続ける。


「行き先はマカオか、カジノだな。カジノに社員旅行とは豪勢だこと」


 にやりとアロハが社長に笑いかける。


「別に、社員旅行でどこ行こうが文句ないだろう」


 社長が虚勢を張っているのは見え見えだった。


「社員が十人。家族も入れて十五人。三年連続。一人頭百万で合計4千5百万か。現金を持ち出しても不自然ではない」


 と、スーツがアロハに言った。


「それなら5千万に近いな。どうだ?」


 作業員と社長の顔を窺っていたアロハは、社長の眉が動いたのを見逃さなかった。


「おっ、これもビンゴだな」

「どういうことだ?」


 女性マルサがスーツに聞く。


「関税法、外国為替及び外国貿易法」


 スーツは機械の自動応答かのように、惑いなく喋り始める。


「無申告で国外に持ち出せるのは一人頭日本円で百万円相当まで。現金だけならそこまでは税関に申告しなくていい」

「海外に持ち出したのか!」


 そこでマルサも理解したようだった。

 脱税によってプールされた現金は、分散させ旅行のたびに各自が現金として鞄に詰め込み、個人の荷物として無申告で運んでいたのだ。

 それを三年間、十五人で行ったと仮定すれば、金額は4千5百万円になる。


「持ち歩くにしては金額が多額なのは、カジノ用だと言えば怪しまれない」


 国内に置いておけば司法の手が伸びる可能性が高い。

 国税ともなれば、差し押さえも難しくない。

 現にこうして脱税の容疑でマルサがやってきた。

 国内にあれば調べ尽くすことも不可能ではない。


 だが、国外に持ち出されてしまっては途端に回収の見込みが薄くなる。

 法律上の違い、組織間、国家間が友好的かどうかで異なる。

 全世界に撒かれてしまっては、一国が捕捉できるものは少なくなる。


 そうならないために日本では水際作戦として、現金等の持ち出し、国外送金に一定の報告制度を設けている。


 現金の持ち出しでは百万円以上が申告の対象だ。

 百万円未満までは少額なので税関では申告不要としている。

 その制度の隙をついた、というわけだ。


「実際に賭けはしたかもしれない。二人でルーレットの赤と黒に賭け合えばいい。そうすれば『合法的』に洗浄が完了する」


 ルーレットの確率は赤と黒で二分の一。

 両方に二人が賭ければ片方はすべてを失い、もう片方は二倍になる。

 損をした人間と得をした人間がいて、総額は同じ。

 ただし、その金はもはや二人が持ち出した金ではなく、カジノから渡された金、ということになる。

 多少は入場料やチップで目減りはするかもしれないが、それは手数料、必要経費というわけだ。


「いや、ゼロがあるぜ。ゼロなら赤でも黒でもない」

「ん?」


 アロハの突っ込みに対し、スーツが少しだけ上目遣いでアロハを見た。


「だから、ルーレット。ゼロは色がないから全損するかもしれない」

「そうか。ルーレットは見たことがない」

「ああ、そうかよ」


 アロハが言わなきゃよかったとでも言いたげに右手で頭を掻いた。


「で、どうだ? それでいいか?」


 アロハの男が口を曲げて社長を見る。

 答え合わせをされた社長はすっかり青ざめてしまったようだ。


 現実に、カジノでもこのような方式を裏で認め、現地銀行と共謀してクリーニングを手伝っている例がある。


零陵れいりょうさん、聞こえていましたか」

『はい』


 スーツのイヤフォンから鮮明な女性の声が聞こえる。


「マカオに繋がりの深い中国の銀行の口座を調査してください。口座担当者には『カジノで儲けた金』と言っている可能性が高い。担当者の割り出しには、裁量でいくらか包んでも構いません」


 スーツは、明確に『賄賂を渡してもいい』という意味の言葉を指示した。

 少なくとも、国税庁などの国家組織が、表立って公言していいことではない。


『了解いたしました。カジノ関連とあわせて調査を開始します』

「じゃあ、まあ、そういうことで、あとはよろしく」


 ぽかんとしていた町工場の従業員とマルサを置き去りにし、二人はすでに踵を返して外へ向かっている。


「次は?」

「警察、詐欺だってよ」

「そうか」





「結局なんだったんですか、あいつら」


 二人が去ってしまったあとで、若い男性マルサが彼らを通した女性マルサに聞く。

 彼女は彼らに帳簿を明け渡したあと、本部と連絡をしていた。

 本部には電話のあと、局長から文書として指示がきていたらしい。

 その文書には、電話で伝えた以上の情報が記されていた。


 彼女は心底嫌そうに眉間の皺をさらに深くしながら答える。


「ハイエナだ」

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