第5話 重要性の原則③


 二人は回収室に戻る。


「狛の写真が届きました。モンタージュレベルですが」


 零陵から写真を受け取る。

 特徴がなく、日本人の平均を出して作ったようなところが特徴といえば特徴だ。

 あの声を出しそうな顔だな、と栴檀は思った。


「室長から送られてきました。髪色は変わっているだろう、とのことです」

「唯一の特徴じゃねえかよ」


 蘇合がその顔の上に乗っている赤い髪色を見て、文句を言う。

 印象づけるために染められたのかもしれないが、目を引くところだけに、逃げる際には違う色にしているだろう。


「前科者には?」

「今のところは」


 彼女が小さく優雅に首を振った。


「まあ、初犯かもしれないし、そこは室長がもう少し回復してからにしよう」


 夕方再度出掛け、次は宇佐が言っていた地下銀行屋を調べることにした。

 蘇合は昼食を買いに席を外していた。

 栴檀は相変わらず、携帯食を食べていた。


「どうだ?」


 栴檀が沈水の席まで行き、隙間からディスプレイを覗く。


『いや、どうにもこうにも。数が多すぎて、目星がつけられないから』


 複数のディスプレイを操作しつつ、一枚に文字を映す。


 沈水が六枚のディスプレイで見ているのは、全銀システムだ。

 全銀システムは、全国銀行データ通信システムの略称で、全国銀行資金決済ネットワークが運営している。

 日本国内銀行間の為替取引用のシステムで、SWIFTの国内版に当たる。

 SWIFTには及ばないが、一日に5百万件以上、額にして11兆円以上が取引されている。


 2018年には土日祝日を含めた二十四時間対応の新システムの導入が予定されており、平日の十五時に縛られていた当日振り込みの縛りがなくなることで消費者への利便性向上が見込まれている。

 一方、企業が二十四時間対応しているわけではないので、週末の深夜に振り込ませてすぐに引き落とされても、発覚が翌週になるなど、振り込みを利用した詐欺が活発化することも危惧されている。


 現在の全銀システムが取引ごとに決済するのは1億円からだ。

 それ以外は日ごとにまとめて決済をしている。

 沈水はそれとは別に、200万円を超える取引に絞って、回収室に送られたデータを閲覧している。

 個人情報保護の欠片もない。


『いいなあ、これいいなあ』


 沈水がうっとりとした顔で漏らす。


 銀行システムは外部から侵入できないようになっている。

 回収室はその一部の取引について、権限を得て参照しているに過ぎない。

 書き換えもできない。


 沈水が気に入っているのは、システムそのものではなく、システムに入る仕組みが欲しい、ということなのだろう。


「そっちが本音か」

『いやいや、なんでもやるよ、国が作ったものならなんでも入りたい』

「どうしてJMRFに?」

『色々と潜って遊んでいたんだけど、欲を出しすぎた』


 そこで馬酔木に捕まった、ということだ。


『未成年だし、まだ警察にも見つかっていなかったからね、室長に勧誘を受けてここにきたってわけ』

「そうなのか」


 合法とは言え、回収室が真っ当な仕事だと栴檀は思っていない。

 名目上はバックに国がついておらず、国家権力を見せびらかすこともできず、ときには犯罪者と向き合うこともある。

 栴檀や蘇合のように、取引条件として仕方なく来ているならとにかく、自発的に関与したがる人間が多いとは思えなかった。


『これがあるから』


 その疑問を見透かしたのか、沈水が財布から一枚、パンツのポケットから一枚、似たようなカードを出してみせた。


『これは今のところどうにもなっていないからねー』

「マイナンバーカードか」


 沈水が見せたのは、二つの自治体がそれぞれ交付したマイナンバーカードだ。

 どちらにも同じ沈水の写真が使われている。

 マイナンバーカードは一人につき一枚しか発行されない。


『あんたたちと違って、前のも生きているんでね』

「そういうことか」


 栴檀は前の名前では死亡が確認されていることになっている。

 だから前のカードは失効しているはずだ。

 今は回収室、というよりも馬酔木を通して、国の職権で『栴檀東予』として発行されている。


 蘇合は死んだことにされたわけではないから、元々の名前のカードも生きているのだろうが、その届出先の住民票に居住実態があるかどうかはわからないし、前科もある。

 それがクリアになった、蘇合としてのカードがある。


 零陵も似たような境遇だろう。


 それに対して、逮捕されていない沈水は、沈水ではない本名でのカードが発行されている。

 それに加えて、回収室として活動をするための偽名のカードを要求したのだろう。


『欲しければ「買えば」いいんだろうけどね』


 マイナンバーの売買情報はまだ表にはほとんど出てきていない。

 マイナンバーは複数の身分証と合わせて個人を特定するという用法上、マイナンバーのみを知られるデメリットは少ない。

 流出が確認できれば変更することもできる。

 今まで通り、公的機関からの直接の流出を、心配していればいい。


 しかし、マイナンバーを受け取った本人の『意思』でこれが売られてしまうと、状況は変わってくる。

 マイナンバーの通知カードを元にマイナンバーカードを作成することができるが、郵送でも扱ってくれる役所だと、写真付きを他人の顔で作成することができてしまう。

 作成完了後の受け渡しが対面だとしても、そのままその他人が受け取りに行ってしまえば、受け取ることができる。


 身分証として使うときは、顔写真と実物を照らし合わせるしかなく、ここまでできてしまえば成り済ましが簡単にできる。


 小金欲しさに譲渡してしまうと、その人物が犯罪行為をしたとき、自分も巻き添えになってしまうし、そもそも譲渡してはいけない。


 諸事情で住民票が存在しない者たちはマイナンバーカードを手にすることができない。

 住所を知られてしまうと困る者たちだ。


 2015年末に発送した通知カードは当初予想の返送率5%を超え、10%近くにまで達している。

 この比率はあくまで世帯数に対するものだが、ざっと500万人以上が、住民票の場所にいないということになる。

 この中で、行方不明者としてのちに死亡している者もいるだろうが、生きている者もいる。


 マイナンバーは給与支払いの際に必要になるため、彼らは合法的な範囲での賃金労働をすることができない。

 事業所得の一部では不要だが、そういった仕事を受けるのでなければ、待ち受けるのは非合法な仕事や、足元を見た劣悪な仕事ばかりになる。

 そうしてさらに地下社会へと潜らざるを得なくなる。


 詐欺以外にも他人がカードを作るメリットはあるということだ。

 沈水の場合は、国が沈水のために用意したカードだ。

 肉体は一つだが、『二人いる』ことに公式になっている。


『あんたのこと、そこそこ有名だったよ』

「そうか」


 栴檀が捕まった事件はマスメディアも一時賑わせていたものだから、ネットでの話題になっていたことだろう。

 栴檀が知っている、警察と会社が発表した偽の事実以外に有益な情報が見当たらなかったため、栴檀はすぐにネットで調べることをやめてしまっていた。


『俺が見つかったのも、それ関連だからね。多少関心もあったし』

「何だって?」

『関心っていっても、僕はあんたが本当に死んでいたと思ったよ』

「そうじゃない、関連とは」

『これだね』


 沈水がウェブページを表示した。


「オンラインバンクか」


 表示されているのは大手銀行のサイトだ。


『フィッシングだよ』


 沈水が右手でリールを回し、釣りの動作をする。


 二人が見ているサイトは本物ではない。沈水が作った偽のサイトだ。

 電子メールなどでこのサイトに誘導し、ここから暗証番号といったデータを入力させ、それを使って本物のサイトから金額を盗み取る手法を、『フィッシング』という。

 フィッシングは沈水がしたように、魚釣りの『fishing』ではなく、それをもじったと言われる『Phishing』と書かれる。


 近年はフィッシング用の偽サイトが頻繁に作られ、詐欺被害が多発したため、銀行ではネット上の取引に対して事前に入手可能なパスワードではなく、一度だけ表示されるワンタイムパスワードカードを物理的に顧客に配り、安全性を高めようとしている。


『てっきり誰にもわからないと思ったのに、見つかるときはあっさりと見つかるんだあって感じ。そのときの相手が、あの会社のお偉いさんだったんだよね、たまにいるじゃん、ネットに詳しくないのに、なんでもかんでもネットを使いたがるおっさんって』


 沈水がやったのは個人向けのフィッシングだ。

 企業向けではない。

 蘇合ほど関連は濃くないはずだ。


『室長もやるもんだね、次の日にはうちのチャイムが鳴ってた』


 そこで室長に捕まった、ということらしい。


「そのとき、室長はまだ回収室を持っていなかったんだよな」

『そうだよ、『立ち上げるから人員を探している』って言っていたからね』

「捜査機関以外にフィッシングの犯人がばれると思ったか?」

『そんなことは、ない、と思う。確実じゃない。ていうか、釣ったときから、相手が感づいていた気配はなかった』

「つまり、室長は、そいつを最初からモニタリングしていたんじゃないのか?」

『そういうことか? かも』


 沈水はそのことには思い至らなかったようだ。


「誰を狙ったんだ?」


 彼はお偉いさん、と言っていた。役員なら栴檀も知っている顔がある。

 沈水は足をバタバタさせながら考えていた。


『なんだっけ、どっかの部長だったなあ』

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