第5話 重要性の原則④


 栴檀と蘇合は宇佐に教えられた情報に基づき新大久保の雑踏の中にいた。

 日本以外にもアジア系の住人が多い街だ。


「ここだな」


 蘇合が店を見上げる。店は外から見える階段を上った二階にある。

 一階は飲食店のようだが、今は閉まっている。

 カンカンと靴音を鳴らして二人は二階へ行き、店の中に入った。


 見た目は普通の雑貨屋のようだった。

 客と見られる若い男が二人、それぞれ店の中にいて商品を物色している。

 雑貨が女性向けかと思ったため、栴檀には多少の違和感があった。


 地域は特定できないが、アジア系の木彫りのアイテムがところ狭しと並んでいる。

 細長いそれらは、空調のためカラカラと音を立てていた。


 店内奥の隅には低いカウンターがあった。

 その裏に中年とも老人ともつかない、男性とも女性ともつかない人間が座っていた。

 レジが邪魔をしていて、全身は見えない。

 幾何学模様の深い色をした膝掛けをかけている。


 座りながら、タブレットPCを指で操作していた。

 カウンター越しでは何をしているのかはわからない。


 栴檀が外国語の包装紙にくるまれたポップキャンディを棚から一つつまみ、カウンターに千円札とともに置く。

 相手は無言でレジを開け、千円札を入れたあと、レジから数百円を取りカウンターに置いた。


 残されたキャンディと硬貨を栴檀が取りながら、口を開く。


「あんたが獏か?」

「そうとも呼ばれている」


 しわがれた声で答えた。

 老婆のようでもあり、風邪を引いた青年のようでもある。

 相変わらず二人を見ない。


「本名か?」

「人が答えた名前を本名かどうか聞き直すのは失礼じゃないのかね、少なくともここではそうだ」

「すまなかった」

「私はそちらの旦那に言っているんだよ」


 栴檀の代わりに謝った蘇合に、獏が目線を合わせず言った。


「狛が持ち込んだ金を返してもらいたい」

「何を言っているのかね」


 獏が顔を上げて栴檀を見つめる。

 顔が深い皺で覆われている。

 見た目は老人だ。

 瞳は深い緑色で、日本人ではないようだが、だからといって何人だと窺えるような特徴は他にない。


 栴檀はカウンターに手を置いたままだ。


「あんたは地下銀行屋だろ、昨日から今日にかけて大きな金が入金されなかったか?」


 獏の細い目はそれに動揺するどころか、まぶたすら動かすことはなかった。


「何を言っているかわからんね」

「わからないことはないだろう。狛をけしかけて室長を襲ったのもお前たちだろ?」


 それを聞いて、獏はようやく表情を変えた。

 獏が笑ったのだ。


「そうかいそうかい、あんたたちがトクシューとかいうのかい」


 獏はケタケタと声を上げて笑っている。


「室長が襲われたことは知っているんだな」


 それこそが獏が馬酔木襲撃に関与している証拠だと栴檀は確信したが、獏は栴檀を見透かしたのか頭を振った。


「昨日の今日でも、そんな情報はいくらでも出回るよ。世間じゃともかく、こちらではあんたたちは有名人だ」


 誘拐のことは否定しつつも、獏は自分自身が表側の人間ではないことは認めている。

 宇佐の言う情報も一部は当たっているということだろう。


「ドラッグは、扱っているのか」


 栴檀は質問を変えることにしたが、答えてくれるとは思っていない。

 獏のその余裕ぶった口端をほんの少しでも歪ませたかったのだ。

 獏はタブレットを触る手を止めて、その指で栴檀の手の甲をなぞった。


「旦那はまだ若い。そう生き急ぐことはない。もう少しすれば、世界が色々なものでできているのがわかるはずだ」

「何を言っているのか」


 言いかけた栴檀を獏は遮った。


「さて、もう店仕舞いの時間かね」


 獏はタブレットをカウンターの下に入れた。


「お二人さんがお帰りのようだ。案内してやりなさい」


 それを合図としたのか、買い物客に見えた二人の男が、すっと二人の両側を固める。

 顔つきは東南アジア風にも見えた。

 彼らは表情だけで、ここから出て行けと指示をする。

 獏のボディガードだったのだろう。


 有無を言わさず、押し出される形で、二人は店から追い出される。

 しばらくの間は、じっと二人がドアの前に立っていた。


「馬鹿かお前」


 監視の目がなくなるまで離れ、駅近くで蘇合が栴檀の頭を叩く。


「そうか」

「そうか、じゃねえよ、そうほいほい答えるわけねえだろ」

「だろうな」


 栴檀がポケットからさっき買った飴を取り出し、口へ運ぶ。


「レジの中を見た」

「それが」

「入っていた」

「ああ、そういうことか」


 レジの中には一万円札も入っていた。

 その券番をちらりと見て、栴檀は誘拐犯に渡した札、暗記した2万枚のうちの一枚だと見抜いたのだ。


「確実か?」

「蘇合が信じるなら、確実」


 栴檀は数字に関してなら記憶力に絶対の自信がある。

 あとはそれを周りが認めるか、だ。


「わかった、だが証拠にはならないな」

「そう、証拠ではない」


 それが誘拐犯である狛に渡した2億円の一部かどうかは記録がないため、栴檀の記憶を元にした言い分だけを使い、狛を逮捕することはできない。

 よしんばそれが本当に一部だとしても、直接持ち込まれたものではなく、経由していたのなら尻尾は掴めない。

 これだけの情報では、警察は連携してくれないだろう。

 強制捜査をするのは警察だ、回収室だけでは手も足りない。


「ターゲットが絞られただけか。沈水にも周りの情報を集めさせよう。もうこんな時間か。とりあえず沈水に状況だけ伝えて現地解散にするか。飯は、どうする? どこか行くか?」

「気分じゃない」

「気分で空腹度が変わるのかよ、まあいいや、詰めすぎるなよ。また明日な」



 蘇合と別れ、電車に乗って自宅のある駅で栴檀は降りた。


 駅からほど近いマンションへと向かう。

 高級マンションではないが、回収室に所属したときに与えられたセキュリティーがしっかりとしているマンションだった。

 日中いない栴檀にとって、大通りに面してもいなく、日当たりも悪いところも気に入った。


 あと一ブロックでマンションへの入口というところで、スーツの襟首を背後から掴まれ、ビルとビルの間に引きずり込まれた。


 油断していた。


 まったく予見していなかったといえば嘘になるが、時刻はまだ夕方だ。

 人目もあったはず。


 虚を衝かれた栴檀は、体勢を崩してよろける。

 すでに隙間の先にも一人いて、二人に挟まれていた。


 道側の人間は逆光で顔が見えない。

 防ぐ構えをする間もなく、左頬を思い切り殴られた。


 思わず後ろに下がるのを、奥にいた人間に支えられる。

 親切心ではなく、次の一撃が待っているからだ。


 咄嗟に顔を両腕で守る。

 腕に痛みが走った。

 右手でメガネのツルを掴む。

 腹に二発ほど拳が入り、靴の裏で太ももを蹴られた。


 逆光の影で、出口にも数名いるのが見えた。

 見張り役だ。

 栴檀の耳に道路の騒音が遠く聞こえている。


 あらかた殴って飽きたのか、それとも誰かが来たのか、男は殴るのをやめた。

 荒い息が聞こえた。


 色々な音が栴檀の揺れる脳に混ざって、スープになっている。

 言葉のようなものも発した気がするが、聞き取れもしない。

 目を開けることも叶わなくなって、栴檀は最悪の事態を感じていた。


 男は、トドメを刺すことなく、最後にツバを吐きかける。


「カカワルナ」


 ここだけが片言ながらはっきりと聞こえた。

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