第5話 重要性の原則⑦


 二人が回収室を出て成田空港に向かっている間。

 回収室には沈水と零陵が残っていた。


 零陵は自分の席でパソコンに向かって何かを入力している。

 ヘッドセットをしているので、二人の連絡があるのを待機しているのだろう。


 沈水は左だけイヤフォンをしていた。

 普段はヘッドマウントディスプレイで音も映像も見ているが、長時間つけているのは頭痛を引き起こすので時々外すことにしている。


 もう少しで成田空港のシステムにエラーが起き、インドネシア便の保安チェックが長引く手はずになっている。

 本来であれば空港に直接連絡するべき案件で、こういった組織間の交渉は馬酔木室長が請け負ってくれるが、事態は急を要し、室長もここにいない今、犯罪であることを覚悟の上で操作をしていた。


 ことが順調に進めば、あとは室長が上手いことやってくれるだろう、という目論見も当然あった。


 沈水は六枚ある40インチディスプレイの一つの端を見る。

 時刻は間もなく十八時を指そうとしていた。

 零陵はまだディスプレイを見ていて、動く様子もない。


『あのさ』


 零陵のパソコンのディスプレイにチャットで文字を表示させた。


「はい」


 無機質な声が返ってきた。


『もう、六時だけど』

「そうですね」

『帰らないの?』


 普段であれば、零陵は十七時に絶対的に退社をする。

 一分後にはいなくなっているほどの手際のよさで、蘇合がミスシンデレラとあだ名をつけた理由だ。


「いけませんか?」

『いや、いけなくはないけど』


 つっけんどんに、やや面倒そうに零陵が答える。


『いつも帰るから』

「定時で帰るとの契約をしているからです。今は室長不在で緊急事態ですから。待機も仕事ですから、その分の賃金はいただくつもりです」

『なんで定時に帰るの?』

「なぜ帰らないのですか? 私は契約通りに帰っているだけですが。話によると日本ではサービス残業という妙な風習があるようですね」

『いや、そのー、俺はほとんど住んでいるっていうか』


 沈水の背後に、一通りの着替えなどの泊まり込み用のセットが置いてある。

 栴檀と蘇合は仕事の都合上回収室で夜を明かすこともあるが、ソファをベッドにしている。

 沈水は自分の寝袋がある。


『というか、零陵さんも日本人じゃないの』

「私は生まれも育ちもアメリカです」


 零陵は日系アメリカ人というわけだ。


 また部屋に緊張感が流れる。

 栴檀と蘇合が調査のため外出しているときはいつもこの二人で、零陵は必要なときしか話さないので、無音の圧力が流れている。

 このときばかりは、沈水は適当なことをいつも言っている蘇合がうらやましくなった。


 さらに一時間が経過した。

 ディスプレイの時計は十九時を指している。

 成田空港へ向かった二人から連絡はまだない。


『食事は?』

「帰って食べるつもりです」

『そう……』

「何か食べるなら構いませんのでどうぞ」

『あ、うん』


 沈水が自席を立ち、冷蔵庫に行くために、零陵のそばを通り過ぎる。


 冷蔵庫を開け、コーラと買い置きの冷凍のピザを取り出す。

 冷蔵庫の横にある電子レンジに入れ、パッケージの裏を見て、それに従いボタンを押した。


「何か臭いますね」


 ボタンを押した直後に零陵が言った。

 まだピザは凍ったままで、熱が通っていないから、臭いはほとんどしないし、沈水も気が付かなかった。


 沈水が自分の体を嗅ぐ。

 確かに昨日から風呂も入っていないしシャワーも浴びていないが、自分で嗅ぐ分には酷い臭いではない。

 彼女も沈水の体臭のことを言っているわけではなさそうだった。


 端末がないので、沈水はこちらをちらりと見た零陵に首を曲げて『わからない』というジェスチャーをするしかなかった。


「そうですか?」


 沈水が首を縦に振った。


「何か、焦げるような」


 沈水が電子レンジを指さす。


「いいえ、ピザではなく、もっと」


 彼女が鼻をくんくんとさせた。


「やはり、何かの」


 そこで彼女がはっとした顔をする。

 バン、と大きな音を立てて零陵が立ち上がった。


「ファイアー!」


 彼女は素早く行動を開始した。

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