第2話 単一性の原則②


 今読んでいる報告書の対象者はしゃちという輸入中古車の販売を行っている男だ。

 このケースは新聞記事になっていて、逮捕から拘置所から出るまでの数ヶ月分の情報を得るために、たまたまその記事を読んだ栴檀が取り寄せたものだ。


 鯱は15年前に東京の外れに工場を持っていて製造業を営んでいた父親を亡くしている。

 土地や工場は東京とはいえ僻地だったので、相続税はわずかで済み、鯱は土地を売却することなく現金で払っている。


 その後、自分の輸入してきた中古車の保管場所にしていたくらいで、工場も取り壊すことなく使われていた。


 状況が変わったのは、今年の一月だ。


 老朽化が進み、屋根が崩れて保管している車に傷ができてしまう恐れが発覚したため、内部の本格的な整理に入ることになった。

 その都合で、鯱本人には縁遠い、機械としても価値のないガラクタを金属クズとして売却するため搬出しているとき、箱に入った現金を発見したのだという。


 その金額は、およそ2億円。


 鯱はそれを警察署に律儀に届けた。

 拾得物ではなく、父親の遺産の一部、として、だ。


 ここで、その2億円の扱いが国税局で問題になった。

 まず疑われたのが、『これは本当に遺産なのか』という至極当たり前のことだった。


 15年も経って相続人が知らない現金が見つかることはそうない。

 しかし、どうやらこれは国税庁も認めざるを得なくなった。


「古札か」


 栴檀が独りごちた。


 それに合わせて、ピロンと音が鳴った。

 音の報告に視線を送る。

 窓と窓の合間の壁に備え付けられた大型テレビからだった。


「この距離なんだから喋ろう、沈水」


 栴檀が部屋の隅に言う。聞こえていたのだろう。

 いや、この部屋の音ならすべて集めているのかもしれない。


 黒画面に白字でテレビに表示されているのは、


『どうして確定できるの?』


 というポップ体の文字だった。


「古い札だってことがか?」


 ピロン。


『そう』


 栴檀の求めにも応じず、ディスプレイが返事をした。


 隅にいる人物は、栴檀からは見えない。

 窓側の栴檀から一番遠いところに、その一角があった。

 零陵がガラクタを見る目で見た場所だ。


 部屋のどの位置にいても、顔が見えないよう、L字型に机が並べられている。

 隅にあるコンセントを占有して、たくさんのケーブルが伸びている。

 黒いL字デスクの下は板でカバーされていて、足元も見えない。

 デスクの上に並んでいるのはディスプレイだ。

 L字型の隙間をぴったりと埋めるように、40インチのディスプレイが縦二台、横三台の計六台並んでいる。

 ディスプレイに高さがあるために、中にいるはずの人間が見えていないのだ。


 回収室のメンバーの一員である、沈水だ。


 蘇合や栴檀と違い、現場には赴かない。

 零陵と同じく、サポート要員、後方支援だ。

 栴檀は沈水があの場所から離れていることをほとんど見たことがない。

 いつでも大抵いるので、住んでいるのではないかと思っている。


「検索すればわかると思うけど」


 と前置きした上で、栴檀が説明をする。


「紙幣の寿命は一般に思われているよりも短い。通常使用されていれば、五年も保てばよい方。使い古された紙幣は銀行に預けられて、発行元である日本銀行で処分される。今回発見されたのは十五年前に発行された一万円札で、使用された形跡もないきれいなものだった」

『十五年前っていうのはどうしてわかるの?』


 またもテレビに表示される。

 沈水は部屋のコントロール全体を管理下に置いているらしく、そこの表示も彼が操っているのだ。


「万券には種類がある」

『聖徳太子?』

「それはかなり古い話」


 一万円札の肖像は、現在は福沢諭吉が使われている。

 古い一万円札で知られているのは、肖像が聖徳太子のものだ。


「聖徳太子の時代は俺もあまり知らない」


 聖徳太子は、1984年、昭和59年まで発行されていた一万円札の肖像だ。

 三十過ぎでしかない栴檀もほとんど馴染みがない。

 栴檀が前に聞いたところ、沈水は二十歳にもなっていないというから、現物を見たこともないだろう。


「私も知りません」


 記憶を呼び出しているうちに不意に零陵を見てしまったため、零陵がいつものように抑揚なく言う。

 自分よりは若そうだと栴檀は認識していたので、他意はなかった。


「聖徳太子はC券と呼ばれるもの。今出ているもの、2004年から発行されているのはもちろん福沢諭吉で、これはE券と呼ばれる」

『E券? じゃあDはどこにいったの?』

「そうD券、それが問題だ。その中間、1984年から2004年まで発行されていたのがD券と呼ばれる。発見された一万円札はすべてこのD券だ」

『2004年なら』


 2004年に発行された分であれば、十五年と断定はできないのではないか、というのが沈水の主張だ。


「いいや、そうじゃない。分類的にはD券だが、D券の中でも違いがある。札をきちんと見たことがあるか? 製造元が書いてある。表面の下だ」


 沈水のいるところからがさごそと音がしている。

 財布から自分の一万円札を取り出して確認しているのだろう。


『国立印刷局製造』

「そう、今のは。だが昔は違った」

「大蔵省。省庁再編ですね」

「そうです。昔は『大蔵省印刷局製造』でした」


 零陵が入れた合いの手に栴檀もうなずく。


『社会の授業で勉強したよ』


 部屋の中でもっとも若い沈水が書き込む。

 2001年に省庁再編として、かつて大蔵省と呼ばれていた省は、財務省と金融庁に引き継がれた。


「でも、それだけじゃない。D券は三種類に分かれる」


 栴檀が指を立てて、3を表す。


「『大蔵省印刷局』と『国立印刷局』のもの。これは、正式名称は『独立行政法人国立印刷局』だ。そしてその間に、移行期にあった『財務省印刷局』のもの、この三つ。財務省印刷局製造と印字されたものは、2001年5月14日から2003年6月30日までのたった二年間にだけ印刷されたものだ。今回はこの財務省印刷局のものだったから、この期間、もしくはこの期間より以降短期間に入手されたものと思われる。もう流通はしていない」

『ふーん』

「わざわざ表示しなくていい」

『それで?』

「時効なんだ」

『時効ね』

「相続税の時効は二種類ある」


 栴檀が3の指を2に変える。


『時効に種類があるの? 初耳』

「一つ目は、『善意』の場合。人間的によいという意味ではない。状況から『納付が必要ない』と信じていた場合だ。これは五年」

『あとは、悪意?』

「そう『悪意』の場合。意図的な相続税の納付逃れをしていた場合は七年」

『えーと、今回のは、どっち?』

「あまり関係ない。十五年ものだから」

『そっか』


 どちらにしても時効を過ぎているのだ。


「国税庁は鯱の父親が死んだときに相続税の申告を受けている。資産はその当時にはもう使われていなかった工場だけ。鯱はそれを売るのではなく、相続税を現金で支払った。つまり、清算は済んでいる」


 相続の方法は三種類で、資産は欲しいけど、借金などの負債は引き受けない、ということは当たり前だが認められていない。


 一つ目は単純相続、すべての資産と負債を相続する。

 これがもっとも一般的な相続だ。


 二つ目は限定相続、負債の範囲内で、資産を相続する。

 実際にはあまりなく、相続の資産負債がすぐにわからないときに選択され、資産を売却しつつ負債を返済し、負債がそれでも残っていれば双方が消滅し、資産が残っていればそれを相続する。


 三つ目は相続放棄、すべての資産と負債を相続しない。

 負債に対して資産があまりにも少ないか、存在しない場合、これが選択される。


 この中から鯱は一つ目の単純相続を選び、相続税を納めた。


「相続税は物納、という価値のある物で納める方法もあるが、原則は現金一括納付だ。他に資産がなければ工場を売って納付しなければいけない。ただ鯱はそれをせずに手持ちの現金で払った。利用価値がない工場をわざわざ売却しなかった理由は、報告書にはない」

『2億円を隠していたってこと?』

「その可能性はある。たまたま数百万の現金が用意できて、たまたま工場の利用法を思いついたからかもしれない。数年後に輸入車業を始めているから、このとき思いついたかもしれない」


 栴檀がソファから立ち上がって、太ももの皺を直す。


「飲み物は?」

『コーラ』


 栴檀がソファの横の小型の冷蔵庫を開ける。

 回収室のある三階は給湯室がないため、冷たい飲み物はこの冷蔵庫から、温かい飲み物は冷蔵庫上のコーヒーポットからの選択になる。


 栴檀は自分用に冷蔵庫の缶コーヒーと沈水用にコーラを一本ずつ取った。


「投げるぞ」


 気持ち高めに、栴檀が沈水の方角にコーラを投げる。


「ぎゃっ」


 スポットに吸い込まれて、ガラガラと音がした。

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