第155話 闇に舞う花々
彼を守らなければ――でも、どうやって?
ユーナの思考が混乱する中、場違いなほど浮かれた声が間近で響いた。
「うわー、アタシのがいーっぱい♪」
「まだお前、テイムおぼえてねえだろ」
冷たい応答に、そこにチチュイ♪と鳥の鳴き声が混ざる。
また火柱が一本上がる中、呆然とそちらを見る。うれしそうに両手を広げている彼女の、ボリュームたっぷりのたゆんたゆんしている真っ白な胸元が、夜目につく。次いで、うすい緑色の髪の真上に、同じような色合いの鳥が沈んでいるのが見えた。となりには、鞭を片手ににぎった紫紺の髪の少年が忌々しそうに彼女を見ている。
「できるもんならやってみろよ。いつまでかかってんだよ。俺はいい加減帰りたいんだよ!」
「あはははは~♪ アタシはモラードと一緒だと楽しいよぉ?」
「――これで報酬、小金貨一枚って割に合わねえ……!」
深々とため息をつく彼が、唐突にこちらを見た。鋭い黄玉のまなざしがユーナを捕らえ、すぐに鋭さを失う。
「あれ? お前……っと、それどころじゃねえな」
再びその視線が、細くなる。
マーレ・フォルミーカに向けられたそれを見て、モラードは雇い主に尋ねた。
「一番弱ってるのでいくか?」
「そうよねぇ。男の子のほうがいいかなぁ」
んふふ、と笑いながら、彼女は両腕を小さく組んだ。その腕には、二重になった木製の腕輪が見える。両手の指先が交錯する腕輪に触れ、ルーファンは
「
重ね掛けされた緑色の光が、彼女を包み込む。指先のない白の革手袋に包まれた拳を軽く打ち合わせ、ルーファンは笑む。夜に浮かび上がった白の装備は、そのまま白の残像へと変わった。チュイ♪と鳴いて、取り残された翡翠色の小鳥は紫紺の頭のほうへ移る。
打撃音。
巨大な太鼓を叩くようなリズミカルな低音は、ルーファンの拳がマーレ・フォルミーカを殴打することにより生じていた。拳がうなるたびに、そのふわふわな胸が重力に逆らった動きをする。胴体とあごに対して連撃を受け、ノブムレジーナ・フォルミーカの登場により興奮していたマーレ・フォルミーカは、あっさりと目を回す。赤い複眼は光を失った。
大地に伏したマーレ・フォルミーカから大きく距離を取り、着地したルーファンは声も高らかに叫ぶ。
「よぉっしぃっ! テイムーぅぅぅっ!!!!!」
大きくびしぃっ!と音が聞こえそうな勢いでルーファンがマーレ・フォルミーカを指さした。
その瞬間、なぜか場が沈黙する。爆発音すら聞こえないということは、セルヴァもあっけに取られて見ているということだろうか。
だが。
ぷるぷるとその指先から腕がふるえ始めてもなお、彼女はその姿勢をやめない。
「失敗」
無情にモラードが宣言する。
同時に、ノブムレジーナ・フォルミーカの咆哮が辺り一面に響き渡った。
「ひぁぁぁぁぁっ!」
力任せに引かれて宙を舞うルーファンが、悲鳴を上げている。
そして、モラードの足元に投げ出された身体の上に、チュイ~♪と翡翠色の小鳥が戻っていった。
マーレ・フォルミーカのそばに集まった四体は、それぞれがマーレ・フォルミーカの脚をくわえ、引っ張り合いを始めた。四肢を引きちぎられ、マーレ・フォルミーカの名前がブラックアウトする。
ノブムレジーナ・フォルミーカたちは、その脚を咀嚼している。
あまりにもひどい展開に、プレイヤーたちは息を呑んだ。
「ほっとかないで、攻撃して! 強くなっちゃうっ!」
アシュアの叫びに、真っ先に反応したのはやはり彼だった。
四体のどまんなか、マーレ・フォルミーカの真上で、ホォヤン・ディーレイが炸裂する。光に還るマーレ・フォルミーカ。そして、四方に弾き飛ばされながらも、ノブムレジーナ・フォルミーカはその足を喰べ切った。
異様な脈動が全身から起こり、それぞれが一回り大きくなる。
「んじゃ、次はアレねぇ」
「お前、マジ懲りねえな」
ルーファンとモラードの甘い会話を無視して、プレイヤーたちは雄叫びを上げながら攻撃を再開した。振り下ろされる剣よりも早く、その脚がプレイヤーを弾き飛ばす。追撃を防ぐべく、別のプレイヤーが剣を振るう。傷を負わせられても、一本、脚を奪うには至らない。
どこかのパーティーの魔術師が、ノブムレジーナ・フォルミーカの背に術式を当てる。衝撃に身体が揺れたが、それ以上のダメージはなかった。頭部が動き、あごが開く。蟻酸を吐き出す予備動作だ。フォルミーカ・クエストを終えているプレイヤーたちにはお馴染みのもので、それらはあっさりと回避されていく。
四体ものノブムレジーナ・フォルミーカと、その周囲にまとわりつくフォルミーカの群れ。
転送門広場にあるプレイヤーたちは、アルカロットよりもユヌヤの守備を優先した猛者たちだ。戦闘の呼吸をよくわきまえている。時折聞こえるアシュアの聖句が、彼らを守った。
「来たれ
決して仲が良くないはずのノブムレジーナ・フォルミーカが、目障りなのか、異なる攻撃対象であるはずのプレイヤーに向かっても蟻酸を吐きかけることがあった。その度に、広範囲の聖域が展開され、蟻酸を無効化する。
地狼は霊術陣を広げ、弓手からの爆撃がプレイヤーに降り注がないように、大地の防壁を打ち立てていた。身動きのできない地狼に迫るフォルミーカから、マルドギールをふるい、ユーナはその身を守っていた。
弓手の攻撃をプレイヤーに当てないことで、セルヴァを守る。そのやり方は、彼自身の動きを封じない。一方で、地狼はまったくの無防備になるため、ユーナの援護が欠かせなかった。広場の露出した赤土はぼこぼこになり、そこに足を取られてノブムレジーナ・フォルミーカが動きを止めることも増えてくる。
歓声が上がる。
ノブムレジーナ・フォルミーカのうちの一体が光に還り、転送門広場に立つボスクラスが三体に減った。
「やだぁっ! 倒しちゃったぁぁぁっ」
「やりすぎだ、バカ!」
おかしな悲鳴と鳥の鳴き声まで聞こえる。
そのタイミングで、青の神官の祈りが命の神術陣を夜空に浮かべた。
「わが祈り天に満ちよ
神術陣が光の粒となり、プレイヤーへと降りる。広範囲の回復神術の発現に、ユーナは絶句した。ユーナのHPバーは黄色に変わりつつあったが、緑にまで引き戻された。高レベルの剣士などHPの総量の数値が高い者には微々たる値かもしれないが、複数のプレイヤーを同時に回復できる手段など、見たことがない。
同じパーティーに属しているユーナだからこそわかったが、アシュアが対価として支払ったMPは100を越える。それでもなお、神術陣の真下にいる者たちを一気に回復できるという利点は何にも勝るだろう。
問題は、
HPの数値を確認できないことが、これほど不安になるとは思わなかった。
ユーナは魔力の
【だいじょうぶ?】
「それはこっちの台詞。ごめんね、慣れてないのに」
【このていどなら平気】
その頭を一撫でして、マルドギールを振るう。触角の根元に鉤爪を掛け、ユーナは両手で短槍をにぎり直し、全体重を掛けて引く。そして、地に倒されたフォルミーカを、穂先で貫いた。
本来の戦い方ではない精霊術の行使を繰り返させている。それは明らかに負担であるはずで、また、炎地雷を投げている彼も同様だった。あの戦い方には無理がある。投擲と射かける動作を連続で繰り返しているさまに、ユーナは表情をゆがめた。
どうやって止めたらいいのかがわからない。
その時、爆炎が上がり、稲妻が疾った。
ノブムレジーナ・フォルミーカの一体を包み込み、焼き尽くす炎。それを更に貫いた雷光の名残が、魔蟲の最期を告げる。
ステータス表示に、二人分のバーが追加された。
『おっそいわよ、放火魔!』
『ラブレターが多すぎて、読むのに時間がかかった』
『ラブレターって誰からのですか師匠ぉぉぉぉぉっ!?』
『個人情報につき秘匿する』
怒鳴りつける青の神官に、紅蓮の魔術師が息を切らしながらも軽口を返す。それに魔女の詰問がかぶった。怖い。
更に、一人、ステータスが追加された。
戻ってきたその名前に、ユーナは泣きそうになる。
『爆弾魔にしては物足りないな』
『僕、テロリストには向かなかったよ』
紅蓮の魔術師の指摘に、弓手が残念そうに応える。
その名は、青いままだった。
『ユーナ、前、入りましょう。後ろ頼みます』
腕輪をなぞり、全身に雷の加護を纏わせて、ソルシエールが駆け出す。
セルヴァがアシュアのそばにまで下がるのを見て、ユーナも地狼と前に出た。そのふたりを追い越すように、後方から矢が飛ぶ。あごを狙った一矢は、見事牙を一本へし折った。
「――
のけぞったノブムレジーナ・フォルミーカの腹部を、マルドギールが貫く。炎の加護が傷口を焼き、ユーナは柄を回して引き抜いた。その腹と胸の接合部を、地狼が爪でえぐる。噛み合わされないあごが空を切り、激しく腹部が振り回された。ユーナの襟首をくわえた地狼が回避へと導き、別のプレイヤーの刃が、傷口の上から身体を切断する。
「テイムぅぅぅっ!」
「痺れるから、危ないってば」
もう片方では、ルーファンとソルシエールが言い合いしながらノブムレジーナ・フォルミーカをどついている。轟音を立てて、その巨体が地に沈んだ。魔女の雷を受けたのだろう。苦しまぎれに吐き出された蟻酸の上に落ちかかったルーファンを、モラードの鞭が救う。
個別にダメージを受けたノブムレジーナ・フォルミーカが、プレイヤーから互いへと顔を向ける。そして、奇しくもマーレ・フォルミーカが命を散らした場所で、その二体が衝突した。異様な光景に、一旦体勢を整えるべくプレイヤーがその周囲から引く。再びアシュアの範囲回復神術が発動した。ソルシエールやセルヴァのHPも癒されていく。
『――ヤバイな。爆弾魔、いけるか?』
『残り全部、吐き出してくるよ』
互いの身体を喰らいながら、ノブムレジーナ・フォルミーカが別の何かに変容していく。舌打ちした紅蓮の魔術師の問いかけに、罠師は駆け出した。
無造作にばら撒かれた大判焼きは、二体のノブムレジーナ・フォルミーカであったものの周囲へと配置されるように地に落ちる。
そして。
「
「――
紅蓮の魔術師の
ノブムレジーナ・フォルミーカの周囲から引いていたはずのプレイヤーですら、その膨大な火力の前に吹き飛ばされていく。ユーナの身体の上には地狼が覆いかぶさり、大地に縫い留められたことで難を逃れた。
ボスクラスのモンスターの出現を防いだ爆風の中心から、夜の闇に、光が広がっていく。
それは、ユヌヤに残った者すべてに強襲クエストの終焉を告げていた。
光の柱が打ち上がる。
――青の神官の身体を包み込んで。
『ほんっと、バッカじゃないの!?』
だが、MVPに輝いた彼女は、怒り狂っていた。
ユーナは地狼の顔を撫でながら、息を吐く。その視界のステータス表示では、放火魔と爆弾魔の名が、見事、黄色に染まっていた……。
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