第311話 滅びと再生

 何も失わずに、何かを得ることはできないものだろうか。


 第35代フェリーシュ国王フォルティス。

 墓室の扉の上部に刻まれた名を見上げ、青の神官アシュアは白銀の法杖を掲げる。


「――開扉アペィエレ・オストゥム


 その唇が紡ぐは開扉の聖句。風の盾士セルウスによって打ち上げられた複数の魔力光セヘル・フォスに照らされる中、神術陣が扉に浮き上がった。安らかな眠りを、旅立ちを祈った封印の扉を、今、開く。


 石造りの扉がゆっくりと動く。しかし、まだ誰も通れないほどの幅しか開いていないにもかかわらず、小さな影が飛び出してきた。弓手セルヴァの矢が、その小さな影を射抜く。人ならぬ呻きをあげ、それは床に転がった。身にまとっていた汚らしい服の裾は、術衣よりも広がっているように見えた。

 アシュアは遅れて一歩後ろに引く。待機していた剣士と舞姫が入れ替わりに踏み込む。近かったのは舞姫のほうだった。双剣が閃く。

 だが、影はひとつだけではなかった。重なるように存在していたもうひとつが、矢で射抜かれた影の下から現れる。その頭部には金色の長髪が申し訳ていどに付着し、青黒い肌の中、やけに大きな虚ろの眼窩が敵を認め、双剣の刃をその身に受けた。似て非なる悲鳴が耳障りに撒き散らされる。背後から、火炎球が飛ぶ。小さな炎の玉は、小さなふたつの影をまとめて燃え上がらせ……絶鳴の叫びごと光へと還した。


 異変は直後に起こった。

 鋭い金属音が二度、床を打つ。弾かれたようにアシュアが振り向く。


「は……ぅぁっ」

「ふ……ぅぁ」


 呻きは後衛の……今回、墓室には立ち入らせないと決めた双子姫のものだった。ふたりとも武器を落とし、両手をその胸の中央に押し当てている。エスタトゥーアはふたりのステータスに異常を見つけた。


 ――侵蝕。

 今まで目にしたことのない状態異常の単語に、目をみはる。その口が、叫ぶように親友を呼んだ。


「アシュア!」


 後衛にまで下がり、アシュアは白銀の法杖を二人の眼前に翳す。自動人形オートマートスに対してどこまで神術が通用するかはわからないが、試すしかない。


「わが手に宿れ……癒しの祈りクラシオン・マリーツァ!」


 白の神術陣がふたりの足元に広がる。しかし、祈りは届かない。一瞬でその神術陣は砕け散り、効果なしという判定が下った。遂に、双子姫は床に膝をつく。

 その時、墓室の扉が、重苦しい音を立てて開き切った。双子姫ばかりを気にするわけにはいかない。この向こうには、不死鳥フェニーチェの宝珠を手にする不死王ノーライフ・キングが待ちかまえているのだ。剣士は意識を無理やり前へと向け、闇に眼を凝らす。


「戻れ、我が姫よ」


 聞きおぼえのある声が、厳かに闇から発された。

 その命が誰に向けられたものなのかを悟り、シリウスは駆け出す。先手必勝。とにかく狙うは右手の指輪である。それに合わせるように、彼を跳び越す形で爆矢が飛んだ。


「――風爆矢フラゴール・フレッチャー!」


 欲しがったんだろ。くれるって言ってんじゃん。それなら、ちゃんと受け取ってやろうぜ。やっぱりイラナイってのがいちばん相手に失礼なんだからな。

 黄金の狩人フィニア・フィニスの割り切りっぷりが、その全力の一矢に見える。フィニア・フィニスは父王の、双子姫に対する愛情を知っている。光の下へと願った彼の心を知っている。例え自分ひとり闇に取り残されようとも、娘を手放したのは――確かに父王の選択だった。

 しかし、今のひとことがすべてを無に帰した。


 閃光と爆風が、墓室の床の上で炸裂する。

 その奥に、人影が見えた。眩しさの中にそれを見出したシリウスは、明滅する視界と爆風に耐えながら距離を詰める。そして、長剣を一閃した。

 手応えが――人の肉を、骨を断った感触が、伝わる。


「くれてやろう、剣士よ」


 そのつぶやきに、シリウスは顔を向けた。

 床に落ちた腕は、瞬時に闇に融ける。跡には赤い宝玉を抱く、指輪のみが残されていた。




「ちがうのだ、神官殿!」


 不死伯爵アークエルドは振り向き叫ぶ。神術の行使のために、彼はそばに近寄れなかった。それでも、わかる。不死者アンデッドだからこそ、アークエルドはあれが何であったのかを察知し、何をしようとしているのかまでもを理解してしまった。

 食屍鬼グールと化した姫君らの肉体には、魂と呼ばれるものが既に欠けていた。不死王フォルティスの手によって、取り出されていたのだ。だが、肉体の滅びによって、その存在は死霊レイスと化し――今、元の魂へと戻ろうとしている。他ならぬ、不死王ノーライフ・キングフォルティスの手によって。


 それは、病ではない。

 精神異常でもない。

 もともと彼女たちのものであり、彼女たち自身でもある。


 だが、それは異物だった。


 自動人形オートマートスと人は異なる。

 魂核である従魔の宝珠にダメージを受けてしまえば、自動人形オートマートスに封じられたふたりはその存在を維持することができない。だからこそ、母なるエスタトゥーアの魔力を帯びた魔石が必要となるのだ。双子人形の命を宿していた魔石は、合成シンテジスを経て守護結界の役目を果たす殻となって魂核を守っている。その殻にとって、闇の術式に染まった肉体のなれの果てなど、例え彼女たち自身であろうとも異物でしかなかったのである。

 だからこそ、魔力による結界が拒否した。

 体内で繰り広げられた攻防は、そのままふたりに激痛を生む。癒しの神術陣は病や状態異常ではないために発動せず、聖なる力の気配のみを残した。それが更なる激痛に繋がる。闇をまとうふたりのかけらが、侵蝕しながらも苦痛に喘ぐ。


 結界は、かけらを排除すべく、その力を発動させる。

 しかし、娘を求める父の心が、彼女たちを呼ぶ。

 次いで、双子姫の足元に、闇の真円と術式が広がった。とたん、エスタトゥーアとアシュアが弾き出される。

 それでもなお、床に叩きつけられながらも、エスタトゥーアは身を起こし、手を伸ばす。


「ルーキス、オルトゥス――!」

「――眷属の呪縛カタラ・シンニエス


 冥術を構成する最後の呪いが、母の娘を呼ぶ声と重なるように響き渡った。

 黒い靄が、双子姫を覆う。

 瞬く間に吸い込まれ……その白銀の髪が、黒銀へと変化した。一房のみ、母たるエスタトゥーアの白髪だけを残して。




 シリウスは指輪をにぎる。闇は深い。なぜか魔力光セヘル・フォスもシリウスを追わず、背後の状況がわからなかった。不死王の口から吐き出された呪いのことばに顔をしかめ、それでも攻撃に移ることはせずに――剣をかまえた。

 不死王フォルティスは笑みを浮かべたまま、失われた腕をそのままに向き合う。


『手に入れたぜ』


 パーティーチャットでの報告に、ユーナが叫んだ。


『シリウス、下がって――!』


 とっさに、地図マップに視線を走らせる。後衛の中心に沸いた二つの赤い光点エネミー・アイコンが、別々に動き出していた。ひとつは、通路の奥へ。もうひとつは……!


 シリウスは身をひるがえした。魔力光セヘル・フォスを背に、月の形の刃が振るわれる。長剣を片手でしかにぎっていない彼は、とっさにその刃を刃でもって流した。長い柄ゆえに、攻撃は大振りとなる。第二撃はすぐに来ない、という予測は正しかった。

 だが、刃で反射した光が、その刃の持ち主を一瞬浮かび上がらせた。

 整った、黒光りする髪に縁どられた白い顔。

 先ほどまで母の腕の中でぐずっていた双子姫の片割れが、ぎょろりと金色の双眸をシリウスに向ける。

 すとん、と失われた表情のどこにも、かつての愛らしさは見い出せなかった。

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