第356話 あなたの剣、わたしの剣


 魔術具が、形を変える。

 魔剣ローレアニムスは青白い手の中で、黒光りする刀身を晒した。

 MRユニットガーファス越しには、幻界ヴェルト・ラーイの光景だけでなく、本来の自分がかすかに見えている。それでも重なり合い映る、形の良い指先、豊かな胸元、ひるがえる銀糸の外套。

 かつての融合召喚の折と異なるのは、プレイヤーである結名に調整が施されているからだろう。

 本来、魔剣ローレアニムス短槍マルドギールをにぎるのとはかなり勝手が異なる。しかし、もともと魔術具の短槍では石突を持って突き出すことすらもできない。もともと、多少持ちやすい作りというだけのペンライトである。幻界ヴェルト・ラーイと異なり、ステータスの恩恵を肉体が受けることはないため、結名でも軽々と振り回すことができそうだった。ただ、システムの恩恵サポートがないため、剣術アルス・ノーミネを動作で発動させることは難しい。

 視界の表示が己の役目を告げる。「融合召喚中:アークエルド」の文字と、二人分を繋ぎ合わせた長いステータスバーが背中を押す。更に、見覚えのないスキル・アイコンまでが映し出された。彼のものだ。

 己の主の迷いを晴らすべく、耳元で低い声音が救いを差し伸べる。


【よろしければ、術式マギア・ラティオはこちらで】

「任せちゃってもいい?」

【もちろん】


 歓迎のことばは彼自身を満たしたことを示し、結名ユーナの心までもうれしくさせる。


「では、僭越ながら……先鋒を務めましょう」


 骸骨執事アズムはカタカタとしゃれこうべを鳴らし、いつになく快活な声を響かせて一礼した。

 踵を返した彼の向こうから、奏多がやってくるのが見えた。

 ホルドルディールは身体の向きを変えつつ、その尾を振るう。骸骨執事アズムが手首をひるがえす。銀盆が獣形態のホルドルディールの尾を、またもや打ち払った。鋭い音を背に、奏多が結名のそばまで駆け抜ける。シンクエディアをかまえながら横に並んだ彼は、短い息を吐き、不意にやわらいだまなざしを結名に向けた。その口元が、妙に歪んで笑みを象る。


「――印象違いすぎ」

「あんまり言わないで……あーもう、鏡ほしいかも!」


 不死伯爵アークエルドがうながすままに、結名は奏多と入れ替わるように駆け出した。立ち上がり、結名をも視野に入れたホルドルディールだったが、ターゲットは未だに奏多とアズムの間で揺れている。こちらのほうが早い。耳元で囁かれる術式マギア・ラティオに続き、結名は魔剣ローレアニムスをその巨体へと突き立てつつ、術句ヴェルブムを口にした。


縛命陣ゼーレ・グライフェン!」


 かつて、風の盾士を守るために発動されたそれが、今また再構築される。

 動きを封じ、命を奪う闇の冥術陣の広がりを見ながら、颯一郎セルヴァは己が無意識に選んだ次手を……番えた矢を更に引く。


『矢なら、持っていけるからな』

『それなら、こんなのもどうですか?』


 病に倒れた彼に、夜食を持ち込むのではなく、矢を差し入れるというとんでもないメンバーはひとりではなかった。


「――起動サータス疾風駆矢ペイル・トレケイン!」


 その一矢は、彼一人だけのものではない。

 長弓用に作られた矢の本体シャフトには風の魔術師による術式刻印が刻まれ、矢羽フェザーの中心には小さな風の魔石を組み込んだ一品だ。十字弓アーバレストではないが、組み込まれた術式によって十字弓アーバレスト並みの射速を得られる。

 この一手は、何としても弓手として外すわけにはいかなかった。

 視界に浮かんだ照準スコープが一点に絞られた瞬間に、颯一郎は矢を放つ。狙いは――回復手段である、ホルドルディールの尾の先、だった。風の加護を得た矢は、その銀色の穂先を奪う。


炎の矢ケオ・ヴェロス!」

雷の矢グロム・ヴェロス!」

突斬撃インペトゥム!」

双牙斬ドゥエ・ファング!」


 双子姫が抉った場所を狙い、術式マギア・ラティオが続けざまに発動し、剣技アルス・ノーミネが叩きつけられる。そのさなかも、結名がにぎった魔剣からは、彼女へと生気が流れ込んでいた。赤に染まったホルドルディールのHPに、勝機を見出す。

 しかし、命を縛る冥術陣の上で、ホルドルディールは身じろぎをした。それはほんの少し、腕を振ったようにしか、見えなかった。その一振りが、近接戦を挑んでいた三人へとダメージとして襲い掛かる。


「ユーナちゃん……!」


 柊子アシュアの叫びの意図を、パーティーメンバーのステータス表示から結名は読み取った。解除される冥術陣に合わせて、ホルドルディールの球状変化が開始される。

 不死伯爵アークエルドと化した結名が近くにいては、癒しができない。だからこそ、結名はその場を下がろうとした。だが、それよりも早く、球状変化は完了してしまう。

 暴走が、始まる。

 フィールドに立ち尽くす結名の周囲を、土の防御壁が覆う。地狼の咆哮に、神官アシュアは叫んだ。


「わが祈り天に満ちよ万人へ癒しの奇跡をオムニス・クラシオン・リート!」


 白の神術陣が天上に描かれる。それは光の粒となり、旅行者プレイヤーへと降り注いだ。ほんの一瞬、前衛のHPをわずかながら癒す。

 彼女に見えたのは、そこまでだった。視界に人影が入り、見えない。その重鎧と、ホルドルディールのグラフィックが重なった。目の前で金属音が交錯する。ホルドルディールはまるで拓海を掠めるように、逸れていった。柊子は手を伸ばす。


「わが手に宿れ癒しの奇跡クラシオン・リート!」


 触れた背に、回復神術を放つ。濃い橙に染まったHPバーが緑にまで癒された時、振り向いた拓海がその手を取った。


「姐さん、私にはもう回復は結構ですから」

「――何言ってるの?」


 問い返す柊子の後方で、衝突が起こった。

 音と土煙とが、背後から巻き起こる。しかし、風は感じない。地図マップはそこにいた三つの青い光点を灯している。


「エスタ!」


 目を見開き呆然と立つ日和の足元に、双子姫が横たわっていた。アリーナの壁へと激突したホルドルディールは、対角線上へと跳ね返っていく。背後に魔術師を控えさせた剣士シリウスは、大きく剣を振りかぶった。


「――獅子王剣リオン・エスパーダ!」


 その一撃は、確かに、ホルドルディールを停めた。

 そして同時に、彼の長剣を打ち砕く。舞う金属片に、小さく皓星は舌打ちした。交錯する一瞬に鱗甲板の隙間を狙う、といった芸当ができなかったのである。

 しかし、その間でじゅうぶんだった。


冥生断ルーディス・セカーレ!」


 土の防御から解き放たれた結名が、銀色の髪を振り乱し暗黒の刃を振るう。それは、残された命の赤を屠り、ホルドルディールを冥界へと叩き込んだ。

 光が、舞う。


 ホールをふるわすほどの歓声が響く中、召喚術師が消えていく。

 柊子は衝撃に未だ動けずにいる双子姫のもとへと駆け寄った。触れることができないために、日和もまたふたりのそばで膝をつき、その魔力を耐久度へと必死で変換している。

 その日和へと、柊子は手を伸ばした。何とかHPバーは橙で止まっている。それは、双子姫の護りによるものだとわかった。にもかかわらず、日和エスタトゥーアはかぶりを横に振る。


「もう、回復は不要ですよ。次で終わりですから……よくもちました」


 MP《リソース》は限られている。癒し手は神官アシュアのみで、そのMP回復手段は芽衣ソルシエールの魔力譲渡しかない。そして、次がラストバトルならば、ふたりが迷う必要はなかった。

 拓海は日和クランマスターを見下ろす。同じ結論に達したとわかることばに、苦笑するまなざしが交わされる。

 戦闘は本職ではない。四戦目を乗り越えられた以上、自分たちはもはや、優先順位の末席にも並ばないのだと。


「最後まで、戦いをあきらめる気はありませんから」


 拓海のことばを受けてもなお、ふたりの意見を受け入れられず……柊子は項垂れる。

 そして、最後の召喚術師サマナーが、姿を現した。

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