第357話 勝利の道へ、たどりつくために


 融合召喚ウィンクルム解除レリーズを選ぶと、不死伯爵アークエルドは自身から分かたれた。最後の一撃は、お互いのHPを癒すほどのものだった。今となっては銀の髪も紅の瞳も、彼のものだ。かつて「凍てついている」とまで感じた不死伯爵の表情が、まるで永久凍土が初めての春を知り溶け始めたかのように笑んでいる。口の端をゆるめた彼のまなざしは歓喜に満ち、己の主を見つめていた。

 自身の手に戻った剣を鞘に戻すことすら後回しにして、彼の指先が結名の頬に伸びる。


「見事だ」


 端的な称賛は、そのすべてを物語っていた。冷たさは届かないまま、ただアークエルドの高揚した心を伝えた。結名ユーナは肩を上下させ、呼吸を落ちつかせようと努力する。どうしても口元がゆるんでしまって、うまくいかない。ただ、うなずくことしかできなかった。


【だから、あの時も最初から喚んでたらよかったんだよ】

「う……っ」


 未だにMPバーが半減したままの地狼は、己の主のそばへと身を寄せながら、悪態をついた。そのとおりだと思うので、結名は言い返せない。


「キゥゥッ!」

【来るぞ!】


 甲高く鳴いた不死鳥幼生アデライールの声に、意識が向く。

 背を丸めた召喚術師サマナーは透明な水晶球を翳していた。しわがれた声が、重苦しく術式マギア・ラティオを紡ぐ。


起動サータス聖鳥サンクオルニス・召喚アンヴォカシオン!」


 耳慣れぬ術句ヴェルブムが挟まり、水晶球が砕け散るのと引き換えに、白の召喚陣が描かれる。銀朱の翼が、舞う。その優美なる姿を見て、結名は絶句する。

 羽ばたきひとつに光を撒く、聖なる鳥。

 ――それは、不死鳥フェニーチェによく似ていた。彼女と異なるのは、アークエルドにも似た色合いの紅のまなざしである。甲高く一声鳴いた聖鳥サンクオルニスが、天井近くより結名たちを睥睨する。

 その姿もその名も伝承の中でしか知らなかった不死伯爵アークエルドは、ゆえに呻いた。


聖鳥サンクオルニスだと……!?」

「旦那様!」


 そのまなざしが、閃光と化した。二つの赤は一つに集い、そこから聖鳥の視界に広がるように無数の赤線を走らせる。扇形に放たれた射線から逃れようもない。不死鳥幼生アデライール白炎ブランカの壁を結名たちの眼前へと打ち立てた。拓海シャンレンの影で、柊子アシュアの防御神術が発動する。その聖句サンクトゥスが響くのと同時に、聖鳥サンクオルニスのHPバーが少し揺れた。皓星シリウスは半ば折れ飛んだ長剣を振るい、その線を直接受けないようにときらめかせる。奏多カナタは背後にいた芽衣ソルシエールを庇うべく、その身体の前に立つ。術杖に指を滑らせようとしていた真尋ペルソナの腕を、颯一郎セルヴァが引いた。


「かーさま!」

「かぁさま!」


 起き上がったばかりの双子姫は、とっさに母の前にその身体を盾にすべく投げ出した。しかし、逆に日和の腕が双子姫の頭部を守るべく広げられる。



 ほんの一瞬の出来事だった。


「え……」


 ブラックアウトしたパーティーメンバーのHPバーに、柊子は目をみはる。それだけではない。無傷な者のほうが少ない状況に、息を呑む。確かに、神官アシュアの聖域結界は発動していた。

 にもかかわらず、という点において、彼はつぶやく。


「聖属性、ですか」


 拓海シャンレンは赤に染まったHPバーを抱えたまま、駆け出した。そのさなか、石突をひねるように動かす。感触はないが、戦斧ウォーアクスとの切り替えを画面で問われる。「はい」を選ぶと戦斧が消え、手元に細身の短剣が残った。

 あの閃光は、神術結界を貫いてなお、交易商シャンレンのHPのほとんどを吹き飛ばす威力があった。もうひとつ、未だにダメージの入っていないはずの聖鳥サンクオルニスのHPバーが揺れた。それによってふたつの仮説が浮かぶ。同じ聖属性の攻撃ならば、神術結界がその効果を弱めてしまうという可能性。もうひとつは……聖属性の神術を扱うことで、聖鳥サンクオルニスは回復してしまうということだ。

 同じ聖域の範囲内にいた双子姫と人形遣いエスタトゥーアもまた、その威力に大ダメージを受けていた。弦楽器ドゥラーテを失い、日和は呆然とする双子姫へとささやく。


「――あなたたちが生きてて、よかった」


 その身体が、砕け散った。



 呼吸をすることさえ、忘れていたかもしれない。

 彼女が砕け散るさまに、奏多は息苦しさをおぼえた。

 なぜ、自分は、あそこにいなかったのだろう。

 双子姫に守られるべき彼女が、最後の最後に双子姫を差し置いて自分自身の安全を選び取るはずがないことくらい、わかっていたではないか――。


「な……何で……あたしなんか……っ」


 その声は、自分のものではなかった。

 今にも泣きそうな声が、衝撃にくずおれていた自身の意識を上向ける。守り切った命に対して振り返り、奏多は告げた。引き裂かれそうな心は、そっと脇に置いておく。だって自分は……そう呼ばれたくはないけれど、偶像アイドルと呼称されることすらある存在だから。


「え? 私のファンなんだから、守って当然だよね?」


 くしゃくしゃになった芽衣ソルシエールの顔を見返し、軽く言い放つ。とたんに、その頬が紅潮した。


「だっ、誰が――っ!?」


 こんな時だけ、と日和ならきっと苦笑するなと思った。



 目の前から白炎ブランカの壁が消える。すぐそばにいた不死伯爵アークエルドとともに、結名は骸骨執事アズムの背に守られる形で立っていた。触れるほどそばにいる地狼が、うなる。対する聖鳥サンクオルニスは、こちらを物色するように滞空したままだ。老召喚術師サマナーは膝をつき、肩で息をしている始末だ。次手はない。これが最終決戦だと嫌でもわかる光景である。


 だが、先手を打たれてしまった。


 人形遣いエスタトゥーアが失われた。残るプレイヤーで無傷なのは結名と柊子だけだ。前衛の中でも拓海と奏多が致命傷状態で、他のメンバーも多かれ少なかれダメージを受けている。

 結名の手には短槍マルドギールが戻っていたが、空にある聖鳥サンクオルニスには到底届かない。手のひらが、じっとりと汗ばんでいた。


 そこへ、彼が駆け込む。


「シャンレン!」


 呼びかけは、制止ではなかった。弓を番えたままで、颯一郎セルヴァは彼の背中を押す。

 視界の端に弓手を捉えつつ、上空目掛けて拓海シャンレンは短剣を放った。その細い一本は、投刃スキルを持たないにも関わらず、聖鳥サンクオルニスの翼に突き立った。痛みをおぼえた聖鳥は、大きくはばたくべく翼を動かそうとした。合わさるように、弓術アルス・ノーミネが響く。


「――炎爆矢ショーラ・フレッチャー!」


 足元の交易商に意識を向けていた聖鳥は、弧を描いた彼の矢に対処できなかった。

 その銀朱の翼に、炎の花が咲く。




「主殿」


 赤いのに、それは凪いだまなざしだった。確かにその色を自身へ向けて、彼は魔剣をかかげて礼をした。


「御前、失礼する。――アルタクス、アデライール、任せた」


 そして身をひるがえす。向かう先に剣士シリウスの姿があり、結名はわずかに首を傾げた。骸骨執事アズムは銀盆を手に、聖鳥を見上げた。そのはばたきで巻き起こる風は、彼の礼服の裾をはためかせた。


「目覚めたのちには、またお茶の淹れ方をご指南いたしましょう」

「アズムさん……?」


 そのことばは確かに結名に向けられていたにもかかわらず、どこか遠く聞こえた。ただ彼は、カタカタとしゃれこうべを鳴らし……振り向きざまに胸に手を置き、頭を下げた。


「では」


 短い別れのことばを告げ、その身体が前へと駆け出す。手首を使い、その銀盆は高く、聖鳥へと投げつけられた。




 魔術具から、長剣が完全に消える。まだHPは残っていたが、攻撃手段が失われたことに衝撃を受けた。打てる手を、と考えた時、その声と黒い剣が差し出された。


「シリウス、これを」

「……カードル伯?」


 そういえば。

 いつから、名前を呼ばれるようになったのだろう。


 その事実に気づいておどろきながらも応えると、銀糸の外套をまとった彼は一歩こちらへ踏み込んできた。耳元にまで身体を傾けられ、息を呑む。


「使うがいい。あとは頼む」


 その手から、剣が消える。次いで、かつて使っていたステッキが現れた。彼はそのまま、身をひるがえす。――サンクオルニスと名を冠した、巨鳥のほうへと。

 言いそびれた礼を、小さく口の中でつぶやく。視界に魔剣ローレアニムスへと変更する旨のウィンドウが残っていた。「はい」を選ぶと、魔術具が黒の剣を呼び出す。その特性を説明するウィンドウへ重なるように、骸骨執事の手から銀盆が放たれるのが見えた。


「キゥゥ」

【よもや、聖なる鳥が相手とはの……】


 苦鳴にも聞こえる声音が、耳元に響く。アデライールのことばに、結名は目をみはった。銀盆は聖鳥サンクオルニスの翼の付け根を撃つ。連続技コンティニュア・テクニカとシステムが判断する流れは、聖鳥の滞空高度を瞬く間に下げた。不死伯爵アークエルドがその攻撃に合流するように、ステッキを振るう。向こう側には、魔術具を戦斧ウォーアクスに戻した拓海の姿も見えた。

 闇色の冥術陣が形作られる。その攻撃は、届いた。

 聖鳥サンクオルニスもまた命を持つものだと物語るように、その翼のはばたきが止む。墜落に見えた瞬間、戦斧が振るわれた。


斧突斬アッシュトルム!」


 聖鳥は、生きるために足掻いた。

 再び放たれた赤光は、まともに彼らを……交易商は元より、不死伯爵アークエルド骸骨執事アズムまでもを貫いたのである。


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