第358話 夢が覚める前に


 拓海は小さくため息をついた。視界からすべてのアイコンが消え、にぎっていた戦斧ウォーアクスも失われ、ただの魔術具に戻る。

 シャンレンは散った。それでも、最後の一撃は無駄ではなかった。


 立て続けに放たれた連続技コンティニュア・テクニカは左翼を抉り、聖鳥サンクオルニスはもはや高く舞い上がることができなくなったようだった。それでも、まだ飛んでいる。しかし、それもあと少しのことだろう。


「アズムさん……アーク――ッ!」


 骸骨執事アズム不死伯爵カードル伯とともに、その姿を消した。最後の一瞬に、それが黒い靄へと変貌し、聖鳥サンクオルニスへとまとわりつく。その存在自体が聖属性ならば、それは不死伯爵にとって毒にしかならない。じわり、と濃い黄色から橙へとHPバーが変化していく。それでも時折ぶれる上に減少がゆるやかに見えるのは、生気吸収エナジードレインゆえだ。

 神官アシュアの回復や防御を、使うなとは言えない。それは自殺行為だ。だからこそ、その回復した分だけでも削れるようにと、彼はそこにいる。


 主の、切なる呼びかけに、不死伯爵アークエルドは応えなかった。不退転の決意が、あの黒い靄にはこめられている。

 地狼アルタクス不死鳥幼生アデライールも現実の彼女を止められない。


 死者が生者に関わるべきではないと知っていても、黙って見ていられなかった。


 拓海が駆け出す。だが、それを追い越すように空から黒い靄をまとわりつかせた聖鳥サンクオルニス。結名を狙い、その両足の鉤爪が伸ばされる。


「ガゥゥッ」


 鉤爪が届くより早く、地狼アルタクスは跳躍した。その鋭い牙が、漆黒のツメが、聖鳥サンクオルニスの足を抉る。甲高い叫びの中、地狼が着地したとたん、奏多は双剣を振るった。


 ――間合いに入ってしまう。


 拓海が足を止めた時、ため息交じりに彼は言った。


「もう十分だって、シャンレン。こっちは任せとけよ。っていうか、エスタのほう頼む」


 黒い魔剣を携えて、皓星シリウスはアリーナの壁近くを顎で示した。未だに打ちひしがれたままの双子姫の前に、日和が立っている。だが、彼女たちに日和エスタトゥーアの姿はもう見えていないようだ。

 柊子アシュアの回復神術が、奏多へと発動している。その一瞬に目を奪われていた拓海を置いて、皓星は奏多に合わせるべく動き出していた。

 結名もまた立ち止まっていた。その手に短槍マルドギールをにぎり、唇を引き結んでいる。彼女がただ、哀しみのまま衝動的に駆け出すのでないなら、と拓海は身をひるがえした。時計回りにと壁沿いを進もうとして、気づく。

 術杖をかかげた紅蓮の魔術師は、聖鳥と、もうひとりの背中を見つめていた。投刃をかまえたままで、タイミングを計っている芽衣ソルシエールがその先にいる。ふと、芽衣はそのまなざしに気づいたかのように振り向いた。芽衣ソルシエールと、真尋ペルソナの視線が交錯する。交わされることばはなかった。ただ、ふたりは互いに術句ヴェルブムを舌に乗せた。


 奏多の双剣が、地狼の牙によって傷ついた脚に追撃を行なう。しかし、触れた瞬間に彼もがまたダメージを受けていた。転がるように床に膝をついた奏多の背へと、聖鳥サンクオルニスが降りようと翼を閉ざす。その背中を目掛けて、皓星は魔剣ローレアニムスを突き立てた。

 刃は素通りする皓星の身体に合わせて、深く切り裂いていく。そして、奏多の近くに彼もまた膝を落とした。奏多が床に手をつき、まるで聖鳥へ蹴りを入れるように飛び上がる。その攻撃は入り、聖鳥のHPを削った。こちらは素通りしていても、相手は弾かれたような反応リアクションを示す。皓星だけではなく、何かを察したかのように黒い靄が聖鳥から離れた時、その術式は発動した。


雷光網トゥルエノ・レーテ!」

「――火炎爆発ケオ・エクリクシス!」


 投刃から広がる雷撃の網、次いで聖鳥の足元より火炎が吹き上がり、遂にその身を地面へと墜とした。痛みのあまりに暴れ回る聖鳥サンクオルニスの鉤爪が、奏多に届く。大きな爪が視界を払い――自身が砕け散るグラフィックに、奏多は一瞬、目を閉じた。

 次いで開いたまなざしには悔しさをにじませながらも、声音は晴れ晴れとしていた。


「あとは、任せたよ!」


 ただのペンライト状に戻った魔術具を軽く振り、彼もまた駆け出す。その足はまっすぐに、日和エスタトゥーアへと向いていた。



 奏多が砕け散った。それを認識した瞬間だった。

 芽衣ソルシエールが振り向き、真尋ペルソナへ駆け寄る。その手が術杖をにぎる腕を、つかんだ。振り払う間は、なかった。


「――魔力譲渡セーデ・ヴィルトゥーテ!」


 発動した術式マギア・ラティオは、半減しているHPを更に削る。だが、黄色をわずかに濃くするだけだった。彼女のHPほどではない。残り少ないMPを、それでも芽衣ソルシエール真尋ペルソナに託した。


「あたし、これだけあれば足りますから」


 鮮やかに微笑んだ芽衣の指先が離れ、彼女自身の手首へと触れる。


雷の加護ケラヴノス・ギベート!」


 その巫女装束をまとう全身を、帯電させる。髪の毛からも放電現象が見えた。


「じゃあ、おっきいの、お願いしますね!」


 緋色の袴がひるがえる。

 欠けた前衛の穴埋めに、彼女は急いだ。その背に小さく「ソル」と呼ばれたような気がしたが、もう芽衣は振り向かなかった。




 術式の発動、そのためだけに黒い靄は聖鳥から離れただけだった。それは彼に戻ることなく、また聖鳥へまとわりつく。聖鳥は床に身を横たえ、暴れ続けていた。


「キゥ」

【主よ】


 結名は、肩に留まった不死鳥幼生を見た。


【アークエルドは覚悟の上じゃ。ただ、そなたに勝利を捧げたいという気持ちを、汲んでやるがいい】

「……でも……」

【ユーナ、急がないと】


 未だに黒い靄は聖鳥サンクオルニスを蝕んでいる。だが、本来なら癒されるはずのHPは時折ぶれながら減少を続けていた。その事実は、聖鳥にわずかながらも継続ダメージを与え続けていることを示す。

 となりに舞い戻った地狼は、己の主をうながした。


【夢が、覚めるよ】




 芽衣ソルシエールの蹴りが、聖鳥を襲う。とはいえ、生身の彼女はただのOLである。システムの支援もない蹴りは、ほとんど踏みつけるような形で放たれた。だが、全身を雷に覆われた魔女にとって、それでじゅうぶんだった。

 聖鳥サンクオルニスは鳴く。全身を麻痺させた痛みにより、その翼もまた羽ばたいた。翼の一部が魔女を撫でるように動く。

 それだけで、芽衣ソルシエールもまた、砕け散った。


 次々と失われていくプレイヤー。今もなお、痛みに耐えながら抗い続ける従魔シムレース。息切れを起こしながら、間合いを探る剣士。その光景に、結名は地狼へと向き直った。

 不死鳥幼生が、天井近くまで舞い上がり、白幻イリディセンシアの檻を仕掛ける。一枚壁が立った時、黒い靄は離れた。


 彼はただ、主のことばを待っていた。


「……行こう、アルタクス」


 その鼻先が、結名の頬へと触れた。彼女の誓句により、広げられた両腕から紫の召喚陣が広がる。うすい栗色のウィッグに、いつもの自分と同じ漆黒の髪が、重なった。


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