第355話 我が主に、すべてを

 雷の魔女ソルシエールはその場から下がり、青の神官アシュアは法杖をかざした。

 視界にショートカットを呼び出し、そのタイミングを待つ。今、またホルドルディールは大きく跳ねたバウンドしている一角獣アインホルンの面々は放射線状に広がり、その直撃をまとめて受けないようにと身構えている。固まれば、そこが狙われる。逆に、それを期待してもいるのだが……。

 一人佇む彼女の傍に、交易商が近づく。その立ち位置には、神官彼女の邪魔にならないように、背後に誰もいない右手後方を選んだ。

 柊子は視線をホルドルディールから外さず、言い放つ。


「――身を挺して守ったら、怒るわよ」

「あなたを守らないと、この次勝てませんから」


 ただ事実を告げることばには、条件が含まれていなかった。

 交易商シャンレンらしいような、らしくないようなと考えて、柊子はため息を洩らした。ちがう。


小川くんキミらしいわね」

「お褒めに与り光栄です」


 見えないと知りながらも、拓海シャンレンは得意の営業スマイルを浮かべた。幻界の交易商と異なり、破壊力抜群である。

 彼が立つ位置からも、遠くで、仮面の魔術師が軽く頭を振り、術杖をかまえたのが見えた。一角獣の要とも言うべき双璧は、お互いにどう在るべきかをよくわかっている。その一瞬をつかむために、交易商もまた静かに戦斧ウォーアクスをにぎり締めた。

 

 心底嬉しそうな声音に、言うだけ無駄だと柊子は悟った。

 自分が望む結果を得るためなら、何でもする……そういう相手だと、現実でも思い知ったではないか。

 そして、よく似た行動パターンを思い出した。

 身近にいる。あの。


 ――似た者同士じゃない?


 戦闘とはまったく関係のない思考の中へと、銀色の閃光が疾った。


「来たれ聖域の加護サンクトゥアリウム!」


 砕け散る聖域結界から、その銀色の球は跳ねていく。その勢いは大きく柊子の、拓海の頭上を越えた。行先を悟り、地図マップで対象を指定し、一息に神官アシュア聖句サンクトゥスを放つ。

 光の神術陣は、双子姫の眼前に構築された。しかし、それすらも打ち砕いてホルドルディールは迫る。自動人形オートマートスだからこそ、双子姫はその動きをしっかりととらえ、最優先すべきものを守るべく、個々に動いた。ルーキスは方天画戟ガウェディガイスを振るい、オルトゥスはルーキスの一撃が吸い込まれた箇所へと、重ねるように鎖鎌クラモアの刃を潜り込ませる。

 回転するホルドルディールに対し、その滑り込んだ刃は鱗甲板を抉り取るように動いた。割るように赤の線が引かれ、金属音が散る。

 双子姫の力が、刃を強く前へと押し出した。それは彼女たちの足元近くへと投げ出され、大地を穿つ。凹んだ地面の中央で、獣形態へと球はほどかれていく。


 その双子姫の腕も、無事とは言い難かった。鱗甲板とこすれ合った両手の甲や腕は傷だらけとなり、一際大きな裂傷からは内部の構成物が見え始めている。彼女たちに痛覚はない。それでも「いつもとちがう」感覚が、その感触が、ふたりに嫌悪感を抱かせる材料としては十分だった。

 それでも戦意を失うことなく、双子姫は互いに武器をかまえる。

 その傷が、光を帯びた。人形遣いエスタトゥーアの操術により、耐久度を回復すべく体内の魔石に込められた魔力が消費される。そのぬくもりを、双子姫は確かに「あたたかい」と感じた。


 日和エスタトゥーアもまた、不死伯爵アークエルドがアシュアへ告げたのと同じ内容を知っていた。人形ピエールカ従魔シムレースも同じく、夢の存在扱いである。ここで壊されたとしても、失われることはない。

 だが……そんな光景を、例え夢だとしても、見たくない。

 言えないことばが胸にわだかまる。彼女の心の音は届かない。この弦楽器ドゥラーテは指を置くだけで、音を奏でてしまう。

 「戦え」と。

 だから、彼女はそっと弦楽器ドゥラーテから手を離した。反応速度を高める魔曲オグロ・ピエッサが、最後の音を放って消えていく――。


「ルーキス、オルトゥス、よくがんばった!」


 いつもよりも低い声音で、誇らしげには双子姫を褒め称えた。

 陥没しているように見えるだけの床へと、迷わず走り込む。ホルドルディールの背後に回った奏多は、その手首を返して叫んだ。


「――双華乱舞ラーミナ・フィオーレ!」


 双剣技アルス・ノーミネで、身体は動かない。だが、彼はその動きを演じてみせた。舞うように複数回相手に刃を入れた後、その背後へと駆け抜ける。双剣技アルス・ノーミネの発動を受けて、その技に値するダメージがホルドルディールへと入る。しかし、硬直はない。奏多はホルドルディールの立体映像ホログラムを素通りして駆け抜けたとたん、踵を返した。

 最強の、剣士へと。

 ホルドルディールのターゲットを受け渡すために。



 黒い靄が形を成す。

 深いため息を吐きながら、不死伯爵は主の下へと還った。ダメージは大きく、彼であってもその数値をやや黄色に染めるほどだ。その身体を支えようと、骸骨執事アズムが気遣う。しかし、アークエルドは手を少し上げることで拒絶した。わずかに屈めていた身体を伸ばし、己の主と相対する。


 だいじょうぶだよ、と口にしながら、本当にだいじょうぶかなんてわからなかった。

 成否を問うより前に、試しようもないことだったからだ。

 今まで、自分にその選択肢はなかった。ただ、いつも委ねてきた。

 信頼できる仲間従魔に、すべてを任せてきた。

 この手が、この足が、どんなふうに動いて敵を屠ってきたのかを知っていても、それが自分の意思によるものではなく。

 本能で戦いに挑む魔狼や、経験によって剣を振るう不死者アンデッドや、己を知り尽くしている幻獣こそが戦いの舞台に立っていて、あくまで自分は器でしかなかった。


 従魔シムレースの力を、更に強く発揮させるために取れる手段が、この手にある。

 レベルが足りない、という制限が、今回は存在しない。

 それは、彼らに自分を預けることができない事実を意味していた。


 嘆きの音が聞こえる。崩壊の兆しがわかる。それを敗北で終わらせないために、戦わなければならない。


 不安だった。

 それは、唇から零れ落ちた。


「いいのかな……」


 その声音に、深紅のまなざしは笑みを浮かべた。


「以前、お伝えしなかったか?」


 心配げな紫色のまなざしを受け、彼は跪く。

 触れられない指先にではなく、更に、深く頭を下げて。


「――私のすべては、貴女のものだ」


 その唇が、爪先へと落ちる――。


 結名は黙って彼の成そうとすることを見守れなかった。即座に両手で翼を形作り、視界に浮かぶスキルの選択表示をなぞるように……彼女はその誓句を口にした。


融合召喚ウィンクルム!」


 召喚陣が広がる。不死伯爵が光に融けた。いつもなら自分がバラバラになるような感覚があるが、今回は何もない。ただ、手が、服が、流れる髪の色合いが、変化していく。

 装備の変更を、ウィンドウが問う。

 結名は紅のまなざしで選んだ。今、この身体が必要としているものは炎ではなく――一振りの魔剣、だった。

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