第208話 閑話 とある交易商の、儲からない上に長く忙しい一日 後編
用途を限定される、というのは、さほどめずらしい話ではない。
マイウスのように裏と表が混在している町ならともかく、王都という場所柄、例えば貴族街に賭博場を建てる、等ということも当然認められないだろう。元の所有者の意向というものが売却先に影響するのはある程度理解できる。ギルド通りなので連れ込み宿というのも一定の需要はありそうだが、そもそも、掃除一つを見ても、マールテイトのこの店への愛着はよくわかる。誰かに任せるのではなく、店主自らが行なっているのだ。連れ込み宿や、その手のいかがわしい類の用途は認められないというのも納得できた。
その気持ちを思えば、下手な理由づけをするより、本音で語ったほうがよさそうだとシャンレンは判断した。何となく、子どもじみている、と笑われる気はしなかった。
マールテイトは、
「訊くが、あんたのクランに、料理人はいるのか?」
「いえ……ひとり、調理のスキルマスタリーをスクロールで取得したという話は聞きましたが、料理人ではないはずです」
――調理してみたことあるんですけど、お塩とかなかったから、そのまま焼いちゃったんです。そしたら、ホントもう泣きそうな味で……シャンレンさん、調味料とか、取り扱いありますか……?
脳裏に過ぎった
シャンレンの深刻な悩みなど気づかず、マールテイトはふむ、とうなずいた。
「真昼間から酒を出すのか?」
「どうでしょう? メインとしては
さすがに「現実でならある程度作れますから、適当に出します」とは言えない。
だが、シャンレンの返答に、マールテイトは絶句した。ごく普通の答えを返したはずだが、その表情は驚愕に彩られている。アンファングから王都までの道のりでも、そういう類の酒場は多く見てきた。おかしなことはないはず、である。
マールテイトはシャンレンの若葉色の瞳を見つめていた。それから、視線を動かす。それこそ、頭の先から靴の先まで、じっくりと見回すように。
「……腸詰か」
ようやく絞り出された声に、シャンレンは首を傾げた。きちんとした料理を出す宿屋から、適当なつまみしか出さない酒場への用途変更に怒ったのかもしれないと想像していたのだが、それすら裏切るような、力の抜けた声音だった。
「普段のメシはどうするんだ。クランのメンバーがいるんだろう?」
「そうですね……」
小さな子どもではないのだから、適当にパンを買ってくるとか、露店でつまむとか、いろいろ対処法はある。だが、どれもマールテイトの機嫌を損ねそうで、シャンレンはそれ以上のことばを濁した。返事を期待していなかったようで、逆に彼はニヤリと笑う。
「何にも考えてなかったな?」
「お恥ずかしい限りで」
苦笑を浮かべたシャンレンのことばに、ぽん、とマールテイトは膝を打った。
「――決めた。この店を売ってやってもいいが、条件がある」
その表情は清々しいほどに明るく、提示された条件は厳しかった。
店の代金は金三枚。即金で全額支払えるのであれば、それで売買は終了となる。予定していた金額の倍である。そのような大金はない。やはり、ギルド通りへの扉で利便性が高いと見做されるのだろう。シャンレンはその最初の条件を聞いた時点であきらめかけた。その陰った表情に、マールテイトは機嫌よくことばを続ける。
「まあ、無理だよなあ。じゃあ、次だ」
即金で金一枚。残金は無利息分割払いでいい。但し、残金の支払いまで、マールテイトの推薦する料理人を一人雇うこと。勤務は不定期だが、厨房にいなかったとしても、メンバーの食事と酒のつまみは、温めるだけでよいものを毎日ある程度準備する。給料は食材の調達費用込で月大銀貨一枚。
随分と地に足のついた話に変わった。シャンレンは脳裏で金利計算を行う。残金が無利息であれば、料理人の給料は金利手数料と思えば問題ない。むしろ、食材の調達費用込みとなれば破格である。だが。
「えーっと、実は、私たちはその、命の神の祝福を受けし者、でして」
「ああ……知ってる。よく寝る種族だったな」
身もふたもないが、その通りである。
特に食事ともなると、無駄にしそうで怖い、というのが本音だった。
「ああ、それなら心配はいらない。店の残りを使えばタダだ」
食材について気にしたシャンレンに、マールテイトは機嫌よく答えてくれた。
何と、自身の店で余った食材を、この店で再利用するつもりらしい。今も余剰分は廃棄せず、調理して各従業員の自宅へ持ち帰らせているという。もし消費しきれなかったとしても、ちゃんと調理し直して
「俺が見込んだ通りだな」
「え?」
「あんたは、まっとうな商人らしい。食べ物を粗末にしないやつは、悪いやつじゃないさ。
あと、この宿を見る目もいい。そうさな……そこに誰かがいたらって、ひとを心に想う目だな」
マールテイトはおだやかに目を細める。武骨な料理人は、その目元に、年齢とともに過ごしたしわを刻む。
シャンレンは気恥ずかしさのまま、日本人らしく微笑み、そして、覚悟を決める。クランマスターとなるエスタトゥーアや、
実際の宿の土地や建物の確認を終えると、鍵を閉め、場所をマールテイトの自宅へと移した。それは東通りの彼の店の真上にあった。ギルド通りの店とは違い、素朴な雰囲気ではない。密談用個室までありそうな瀟洒な石造りの建物に、シャンレンは内心おどろいていた。裏通りから階段を昇り、妻という温和な女性を紹介されつつ、居間に通される。そこで、土地台帳の写し、店舗建築時の設計図、権利書までもを赤裸々にマールテイトは見せてくれた。本契約時にはすべて先渡ししてくれるという話に、シャンレンは今更壮大な詐欺に遭っているのではと心配になるほどだった。もちろん、仮契約書にも何ら不備はなく、場所も商人ギルドにて立会人を雇った上で行うこととなり、それは杞憂に終わることとなる。
アシュアからその日二度目の連絡が来たのは仮契約を終え、彼の自慢の食堂やその弟子たちの仕事ぶりを拝見し、自宅でご馳走になっていた時だった。
夜も更け、勧められるままに酒を嗜んでいたシャンレンは、一気に酔いが醒めた。
「――マールテイト、懇意の薬術師を紹介していただけますか?」
彼の妻がその薬術師であることを知り、シャンレンは天に感謝を捧げた。しかもマールテイトの妻、メディーナは、彼が必要とする熱病の薬を、在庫だけでは足りないだろうと夜通し追加で調剤してくれたのである。シャンレンも夫マールテイトも、その助手を務めた。そして、開門の鐘に合わせて王都を出られるように、馬車まで都合してくれたのだ。
「亡くした命ってのは、
シャンレンはその時、心からこのめぐり合わせに感謝していたが、最後まで気づかなかった。
マールテイトの行動の端々が、
そして、彼がそれに気づくのは、もっと後になる。
本契約を終え、宿の改修工事も終わり、「契約だ、雇え」とマールテイト本人が食堂に現れるまで、マールテイト自身の本心を遂に読み切れなかったのである。
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