第209話 閑話 帰還


 アンファングの魔獣討伐は、思いのほか早く解決した。討伐隊の結成と旗印を掲げるために派遣されたのだが、十日という期限を半分以上残して討伐を完了したことにより聖騎士団でも高い評価を得ることができた。やはり、一度は王都の大神殿が移された町で、しかも今は『命の神の祝福を受けし者』が復活する奇跡の大神殿、そのお膝元を守るという任務は目立つ。まさかここまでうまくいくとは思わなかったが、結果としては大成功だった。一介の聖騎士から、小隊副隊長に抜擢されたのは、この一件あってこそだった。

 副隊長を任されたエレオス隊は、王家の霊廟の守護に当たっていた。この隊は早昼夜番の三交替で三日勤務して一日休みという勤務体制になっている。例の死霊が扉の封印を破り、事もあろうに結界の外に姿を現したという事件は、王都を激震させた。よもや不死者アンデッドが聖域結界を潜り抜けるとは、大神殿も想像しなかったのである。


 聖騎士マリスもまた、闇夜に浮き上がった赤い目を信じられない思いで見てしまったひとりだった。その場にいた聖騎士たちの猛攻により、死霊は闇に溶けたが……二度めがないとは限らない。巡回の人数を増やすために三交替を二交替へと変え、残りの期間を乗り切り、ようやくエレオス隊と対になっているデュール隊との交代というこの日、何と『聖なる炎の御使い』が王家の霊廟を参拝するという連絡が来た。そのことばの意味は、要するに……王家の霊廟を、聖別するということである。平たく言えば、長年王家の祖霊を祀ってきた場所が、『聖なる炎の御使い』の手により、焼失するのだ。

 王家の霊廟に在る死霊は、この世に未練を残した王たちである。やはり、高貴なる遺骸であれ火葬するべきであった。『聖なる炎の御使い』の手で――という話は、当時、熱病の終息と、当の本人の沈黙によってまさに黙殺された。

 一度王城を出た『聖なる炎の御使い』は、沈黙ゆえに本来の居所である王城に戻ることもなく、『聖なる』存在として神殿に居を移したのである。否応もない話だっただろう、と聖騎士として王家の霊廟に着任するにあたり、マリスは一通りの事情を学んでいた。伝承では創国の時より存在すると謂われる『聖なる炎の御使い』、その意志を妨げることは何人にも許されない。ただ、神官長が耳にした彼女の望みは、時の流れに身を任せて泉下へ旅立つこと、だという。

 だからこそ、今回の出来事は、本来ならば国事として執り行われても何ら不思議がないほどの参拝だった。しかし、迅速に、ではあっても、大神殿は決しておおごとにはしなかった。既に、『聖なる炎の御使い』は己の身を守ることでしか白炎を使わない。そのことを「使えない」と大神殿は解していた。死をどれほど願っていても、彼女の白炎は彼女自身を守るからだ。王家の霊廟の聖別を行なう、即ち、王家の霊廟をも灼くほどの白炎となれば、『聖なる炎の御使い』は自身すら灼き尽くしてしまうのではないか。だが、それは、大神殿や王城の意志であってはならない。あくまで『聖なる炎の御使い』による、敬虔な自己犠牲の結果でなければならないのである……。

 それこそが、熱病の終息時から、王城のみならず、大神殿や王家の霊廟の陰で交わされ続けてきた「願い」であった。


 ――どうせ死ぬなら、役立って死ねばいい。


 聖騎士マリスは、隊舎の食堂の窓辺から、紫色の飲み物を傾けながら霊廟をながめていた。ここからも、美しい前庭も望むことができる。一の鐘が鳴った時にはこの食堂も交替前の聖騎士であふれていたが、今は目の前に座るエレオス隊長と、彼の二人きりだ。

 霊廟守護の任は、昨日、隊ごと交代している。今日は、本来休日に当たる日だ。しかし、『聖なる炎の御使い』が霊廟に入っていると思えば、悠長に休暇を取っていられなかった。自身が守ってきた霊廟が失われる日と思えば、胸が騒ぐ。エレオス小隊は帰参のために解散したが、小隊長エレオスともども、彼は霊廟の敷地内にある隊舎へ残っていた。


「静かだな」


 いつ火の手が上がるのだろうか。

 そう思いながらながめていた聖騎士マリスへ、小隊長エレオスはそれこそ静かな声音でつぶやいた。


「霊廟の墓室は地下にあると伺っています。扉の封印もありますし、ここまでは聞こえないでしょう」

「そなた、『聖なる炎の御使い』に同行した『命の神の祝福を受けし者』と顔見知りだったな」


 ごく常識的な返答には、唐突な確認が返された。そういえば、あの馬車で少し、ことばを交わしたのだ。本当に、顔見知りというだけの間柄である。

 彼らは、アンファングの魔獣討伐で活躍した者たちだった。どう見ても集団戦闘に不慣れな者たちを、わざわざ支援していた奇特な連中と、MVPのパーティーである。あの時は別々のパーティーだったように見えたが、合流していたようだ。

 王都まで自力でたどりついたのなら、相当な腕利きだろう。王都から南には魔獣ホルドルディールが生息していたのだが、先日、彼ら『命の神の祝福を受けし者』の手により討伐されたばかりである。物流が転送門のみでしか行えず、周囲の集落も不自由していたのだが、それがようやく解消された。本来であれば、この魔獣退治も聖騎士団の任務なのだが、その討伐任務が下る直前に討伐された、と聞いている。大神殿お得意の言い訳にも聞こえた。


「アンファングの魔獣討伐でまみえた程度かと」

「そうか。未だに火の手が上がらぬところを見ると、存外、腕が良いようだな。あの物言いでは本当に『聖なる炎の御使い』をお守りしているのやもしれぬ」


 聖騎士マリスは同意するようにうなずいた。アンファングの大神殿がすぐそばにあるにも関わらず、己の武器を触媒にして、若き従魔使いテイマーの命を救う神官が付いているのだ。本当も何も、事実だろう。愚かなことだ。

 『命の神の祝福を受けし者』は、死しても大神殿にて目覚める。だが、随従していた従魔シムレースは助かるまい。せいぜい従魔の宝珠として持ち帰ることができればいいが、果たして『聖なる炎の御使い』の白炎で、そもそも焼け跡が残るのだろうか。もし残るのであれば、捜索するのもいいかもしれない。さまざまな身の回りのものが遺されている可能性がある。

 大神殿が『命の神の祝福を受けし者』を活用することは、めずらしいことではない。熱病の際、特効薬の開発には彼らの命が無数に使われたと聞く。命を救うために、無限の命を費やしたのだ。本望だろう。


 その時、鐘が鳴った。時を告げる鐘ではなく、見張り台から、来訪者を知らせる鐘が打たれている。昨日は『聖なる炎の御使い』の参拝とデュール隊との交代があったが、今日は特に予定にないはずだ。

 やがて、門のほうが騒がしくなってきた。聖騎士マリスは席を立ち、小隊長エレオスに対して一礼する。


「状況を確認してまいります」






 門前に馬車が停まっている。一頭立てだが、立派な箱馬車だった。そこから降りてきたのだろう男は、赤いベストを身にまとっており、遠目からも交易商であると判った。近づくと、徐々にその容貌も見えてくる。思ったよりも年若い男だ。その男は、聖騎士に取り囲まれながらも気圧されたふうもなく、礼儀正しい口振りで、王家の霊廟の警備責任者はどちらかと声高にたずねているようだった。この場に、小隊長デュールはいない。

 内壁の回廊は石造りで、全身鎧プレートメイルの靴音はよく響く。よって、聖騎士マリスに気づき、門に詰めていた聖騎士たちが一斉に敬礼した。それによって、男も聖騎士マリスが立場ある者だと判断したようで、交易商としての礼を取る。一歩前に出て、右手をにぎり、左手を皿のようにして胸の前で受けた。


「お初にお目にかかります。交易商の端くれに名を連ねております、シャンレンと申します。

 この度、聖なる炎の御使いのご指示により、熱病の特効薬を持ち、こちらへ参るようにと青の神官たるアシュア様よりお話を頂戴しました。

 王家の霊廟の中にまでとは申しません。どうか、扉の前まで、立ち入らせていただけないでしょうか」


 聖騎士マリスは、シャンレンと名乗る交易商を凝視した。

 『聖なる炎の御使い』の参拝は、王城の一部と、大神殿の者しか知らないはずである。そして、彼が出した「アシュア」という名は、まぎれもなく彼女に同行した『命の神の祝福を受けし者』の神官の名だった。

 そして、そのことばの真意を悟る。


「……お戻りになられるのか」

「はい。私の到着次第、扉は内側より開きます」


 確信に満ちた答えに、息を呑む。

 シャンレンは背後の馬車を示した。


「こちらに、特効薬を積んであります。王家の霊廟にお勤めの聖騎士様方が何名いらっしゃるのか、大まかな人数しか伺っておりませんので、念のため、60名分準備してまいりました。中を検めていただいても結構です。対価はいっさい求めませんので、ご査収下さい」


 聖騎士マリスは、手近な聖騎士へと視線を向けた。その聖騎士はすぐ馬車へと乗り込み、内部を確認し始める。御者席に座っている男は、ハラハラしてこちらを見ていた。ごく普通の、雇われ御者のようである。

 熱病の特効薬は、今もなお、ただの発熱であったとしても王都では利用される薬である。王都在住者で風邪を引いたことがあれば見知っているものだ。馬車の内部を、それこそ薬だけでなく椅子の下や他の場所も検めた聖騎士は、下車してのち、聖騎士マリスへと敬礼し、薬瓶を一本差し出して報告した。


「確かに、熱病の特効薬と思われます。一瓶お持ちしました。どうぞ」


 既に封を切られ、中を確認している。おそらく、適当に抜き出した一瓶だろう。その瓶には薬術師メディーナの印が蝋で示されていた。彼女の薬であれば、間違いはない。


「小隊長デュール殿と……食堂においでのエレオス様にこの件を報告し、すぐ霊廟の前へお連れしてくれ。

 シャンレン、そなたはあの方々に渡さねばならない必要数の薬を持て。残りの薬は隊舎へ運べ。急いで貴賓棟を開け、使えるように準備し、食事の用意をさせよ」


 その場にいる聖騎士たちへ、次々と聖騎士マリスは指示を出す。敬礼して、彼らはそれぞれの任務を果たしに散っていった。シャンレンは深々と頭を下げた。


「――ありがとうございます」

「大神殿の施療院に勤めていたこともあるメディーナ殿の薬だ。これだけの数を揃えたということは、この件に携わっておられよう。

 『聖なる炎の御使い』をお待たせするわけにはいかぬ。参られよ」


 聖騎士マリスは、現在王家の霊廟の警護の任に就いていない。にも関わらず、門付きの聖騎士へと指示を出し、警護の責任者たるデュールの許しもなく部外者を内部へ連れ込む行為は、明らかな越権行為であった。

 しかし、『聖なる炎の御使い』の指示、である。

 彼女の意志は、何者にも阻むことを許されない。それを口にしたのはあの交易商であり、確認し得る真偽は確認した。よって、マリスに非はない。もし、扉が開かず、交易商がただ嘘偽りを述べていたとしたら……それは、彼が己の命で以て贖えばよいことである。彼もまた『命の神の祝福を受けし者』であろうから、さほど問題ではない。


 聖騎士マリスが、王家の霊廟までシャンレンを先導する。南門から王家の霊廟の扉まで、泉のある前庭を抜けていく。死者を慰めるための光景は、朝日を浴びてきらきらと輝いていた。


「王家の祖霊もまた、眠りにつかれたのか」

「詳しいことは存じませんが、おそらくは。その際、不死者アンデッド……数々の死霊と対峙したそうです。『聖なる炎の御使い』は熱病にかからない体質と伺いましたが、他の『命の神の祝福を受けし者』たちはわかりませんので……少なくとも、ひとりはもう、発症してしまっているようです」

「そうか。熱病は患者や死者に触れずとも、側に寄るだけで一両日中に発症する。特効薬は予防薬ではないので、感染を防ぐ手立てはない。発症しなければよいが、発症したなら、熱が下がるまではここにいてもらう」

「看護のための場所までご提供いただけるとは、痛み入ります」


 完全に、この王家の霊廟で駆逐する。その意志を察する程度の頭はあるようだ。交易商への評価をあらためつつ、先を急いだ。


 王家の霊廟の扉は、今も閉ざされていた。その前に、騎乗し駆けつけた小隊長デュールと、走ってきたらしい上官エレオスが待ちかまえている。他の聖騎士たちは下がらせているようだ。賢明な判断である。

 聖騎士マリスは敬礼した。


「ご報告いたします。もう間もなく、『聖なる炎の御使い』がお戻りになられるそうです」

「話は聞いた。そちらが、あのお方の指示を受けたと?」

「シャンレンと申します。特効薬をお持ちしました。準備ができ次第、扉を開く合図を送らせていただきますが……いかがいたしましょうか?」


 小隊長デュールのことばに、交易商は華麗に一礼した。上官エレオスは聖騎士マリスを見る。


「私とデュール殿は例の熱病にかかり、特効薬で完治したことがあるが……マリス、そなたは?」

「かかったことはございませんが、確認のためにも『聖なる炎の御使い』や『命の神の祝福を受けし者』と共に、一両日は誰かがご一緒する必要がございます。つきましては、志願させていただければと」


 特効薬の効果は明らかである。

 例え発症したとしても、早い時点で薬を服用すれば完治するのだ。それは、二度と同じ熱病にかからないという保証にもなる。

 小隊長デュールは、深くうなずいた。


「貴殿の高潔なる意志、確かに受け取った。では、扉を」


 了解を得て、交易商シャンレンの手が複雑な形に宙を舞う。

 それをながめていると、背後で音がした。封印神術が解除され、王家の霊廟の扉が、ゆっくりと開かれていく。


「――おかえりなさい」


 交易商の声に、青いまなざしが朝陽を受けてきらめいた。昨日は平然と小隊長と渡り合っていた神官が、年相応に見えるほどその表情をやわらげる。


「ただいま! ホント助かったわ、レンくん。ありがとね。あ、ユーナちゃんを寝かせてあげたいんだけど……」

「案内しよう」


 貴賓棟は、この状況下でも定期的に清掃はなされていた。空気を入れ替える必要はあるだろうが、すぐに使用できるだろう。聖騎士マリスは先導すべく、前に出た。

 神官の後ろから、従魔シムレースが姿を見せる。その背に、力なく横たわる少女がいた。少女の身体を横から支える剣士は、片腕を失っているようだ。十字弓アーバレストを背負った少女の次に、盾を担いだ男が『聖なる炎の御使い』を抱き、戻る。

 誰一人、欠けていない。


「よく……戻られた」


 最後に扉から出て、開扉の術を解除したアシュアへと、小隊長デュールが声を掛ける。

 ゆるやかに、大扉は閉まっていく。白銀の法杖を手に、彼女は命の礼を行なう。


「すべては、神の御心のままに」


 祈りのことばに、小隊長二人はうなずきを返す。

 そして、再び、王家の霊廟の扉は完全に閉ざされたのだった。

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